第21話

 私は商店街で買い物をしようと坂を下り、小さな商店に足を踏み入れた。

店主は初めて見る顔に、心なしか用心したように見えた。若い子ならともかく、いいおっさんだからか?店には食料品や、日用品が所狭しと並べられていた。昔ならば、迷わずカップラーメンに手を伸ばしていただろう。しかし今は、豆腐や果物、脂身の少ない肉。小魚の干し物など、健康的と思われるものに変わっていた。

私が牛乳に手を伸ばしたとき、近くで弘子の声が聞こえてきた。

「日付をよく見て。ここの親父は古いものでも平気で売るから」

振り向くと弘子が立っていた。正確には浮いていた。そして、見慣れない人物が一緒に浮いているのにも気がついた。

「その人は?」

「後で紹介するわ。先に帰っているから早くね」

そのまま弘子とその連れは、スーッと消えて行った。何か新婚夫婦の会話みたいだと、ニヤけていると、店主が不審そうに見ていた。勿論、店主に弘子達が見えるはずもない。変なおっさんが食品売り場でニヤついていたら、不審がられても可笑しくはない。一応、挨拶はしとくべきだと思った。これからも利用する可能性があるからだ。来る度に不審がられるのもいい気分はしない。そのうちには、慣れるだろうが何時になることやら……。

「今度、坂の上のアパートに越してきました。利用すると思うので、よろしく」

親父の顔は急に笑顔に変わった。

「そうですか、いや、こちらこそ御贔屓にお願いします。変な顔していませんでしたか?物騒な世の中なので申し訳ない」店主は自分でも理解しているようだ。と言うよりは、初めての客を『見ているぞ』と、脅かすのが店主の行動パターンとして確立されていたようだ。

「こう言ってはなんですが、そのアパート、過去に殺人事件があったそうですよ。もっとも、聞いた話ですがね」店主は、商品を袋に詰めながら、呟くように話した。私だからいいようなものを、他の住人だったら気分が悪くなるだろう。更に店主は話したそうな顔つきだった。

話が長くなりそうな予感がしたため、私は料金を払うと早々に商店を後にした。

弘子がアパートで待っているのだ。そのためだろうか、早く帰りたい気持ちが強かった。アパートでは、弘子とその連れが、デッサンに見入っていた。

「お帰りなさい」弘子の元気な声が聞こえた。

「ただいま」ほんとに新婚みたいだ。

「もう、嫌だ」弘子は私の心を覗いた。しかし、笑顔は絶やさない。

「そちらは?」

「ごめん、紹介するわ。こちら夕子さん、私同様に彼氏に裏切られた口なの」

「初めまして」私が手を出すと、夕子と呼ばれる幽霊は、それこそ幽霊を見たような驚きの顔で私を覗き込んだ。

「この人がエイリアン?」夕子は弘子に振り向き、目を丸くして尋ねた。

「そうよ、人間そっくりでしょ」

「うん、見た目じゃ分からないわ」

ふざけた会話である。幽霊二人がエイリアンを分析しているのだ。

「あっ、ごめんなさい」

夕子は気を取り直して私の手を握った。ように感じた。実体がないから仕方ない。夕子は私を見ながら何度も感心していた。

「幽霊でよかった。そうでなければ会えなかったもの。へー、エイリアンか、本当に居たのね。へー」裕子は興味津々といった感じで楽しそうだった。

「夕子さんはね、裁縫の達人なの」

何故に連れてきたのか理解できた。コスチューム作りを手伝わせるつもりだ。

「そうですか。それで協力してもらえますか?」私は夕子に尋ねた。

「勿論手伝うわ。弘子さんを殺すような人間は一杯いるの。少しでもそんな悪者を捕まえ、救ってほしい。それが唯一の条件よ」至極まともな意見だと思った。

「分かりました」と私は真面目に答えた。

「では決まり。ただ、私は物を動かしたり出来ないの。幽霊になったときサボったせいね。やり方を教えるだけよ。それでもいい?」

「もちろん」私は即答したが、正直不安だった。その心を見透かしたのか、

「大丈夫、私も手伝うわ、女ですもの」と、弘子が言った。

『幸せだ!』と本心からそう思った。こんなに幸せで良いのかとさえ思ったほどだ。

まずは、夕子の言うように、制作に当たっての準備だ。生地の選択、道具の調達。中でも、胸当て部分の材質が問題だった。しかし、何をするにしても、お金がかかりそうだ。貯金も多くは残っていない。アパートの経費が安かったのが救いだ。待てよ?面接会社から連絡は来たか?そろそろ十日が過ぎようとしている。すっかり忘れていた自分にも責任はあるが、何の連絡も寄こさない相手にもいささか腹が立った。店舗リストを探し出し、本社に電話をかけようと受話器を持ち上げたとき、弘子が私の手を止めた。

「止めて」

「なぜ?」

「無駄な時間を過ごしてほしくないの」その目には悲しみが宿っていた。

「無駄な時間?」

「……そう。ヒーローになるには大変よ。仕事なんか忘れて」確かに弘子の言う通りである。まだまだ訓練が必要な能力もあり、楽観視できる要素は一つもないのだ。

「しかし、食うに困っては……」と、私は言った。弘子と出会ったアパートだって、家賃を払わなければ追い出される。生きて行く上で、お金は必要不可欠なのだ。その時弘子は、かなり多くの紙幣を私の前に差し出した。

「これは?」くしゃくしゃの紙幣も新品に見える紙幣も混ざっている。

「私の全財産。仲間のもあるわ。お願いこれを使って」

「そうは言っても……」なにかヒモにでもなった気分がした。

「死んで分からなくなったお金は、随分とあるの。隠したお金と言ったら分かる?」

「へそくりみたいな?」

「そうね。もっと大きな例えもあるわ。隠し金とか、犯罪がらみのお金もあるんだけど、持ち主が死んでそのままになっているお金は、すごい額よ。貴方一人ならば、ほんの一握りで賄える。これは幽霊仲間の希望なの」

悲願にも似た表情に、私は戸惑った。死んでしまったとは言え、人の金である。はいそうですかとは行かない。

「採用の電話は私が断っときました」弘子の強い意志を感じる言葉に、道理で連絡がこないはずだと合点がいった。

ただ、弘子の気持ちが嬉しかったが、後ろめたさは残った。

「気にしないで、持ち主には了解を得ているし、死んでは使えない。そのうち誰かに発見され、寄付されるか、持ち逃げされるかしかないの。貴方ならば、皆、喜んで出すわ」他人のお金ではなく、他霊のお金のようだ。要は発見される前のお金と言うことだ。幽霊たちにしてみれば、お金を持っていても意味を成さない。人間界以外では不要なものなの。隠し金が見つかり、薄情な家族に残したくもないのに、法律によって分けられてしまうなんてこともあり得ると言う。死んだあとに、財産をめぐるトラブルを見せられて、それこそ成仏できなくなることもあるそうだ。そんなお金の有効利用を私に託したいと言うのだ。結局は弘子の説得によって、私は行為に甘えることにした。

ただ、御礼を言いたくても、こちらからコンタクトは取れない。せめてもと、心の中でお礼を言うしかなかった。

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