第20話

 それからというもの、弘子は度々私の前に現れるようになった。私もそれを待ち焦がれていた。弘子は美大の学生だったが、彼氏に浮気された挙句に、殺されたらしい。しかし、証拠不十分で彼氏は無罪。

結局は自殺扱いになったそうだが、その恨みと志半ばだった画家への想いが未練として残り、成仏できない。いや、成仏しなかったらしい。弘子の話では、成仏も自由意志に依るそうだ。しかし恨みを晴らし、いざ天界へと向かったが、多くの人を殺めたせいで締め出されたそうだ。

かなり恐ろしい霊だったようだ。きっと、照明を揺らすくらいは朝飯前だったのだろう。そこで私は弘子に聞いてみた。

「ところで、今でも絵はかけるの?」

「出来るわ、箪笥だって動かせるのよ。鉛筆なんて楽勝、楽勝」どうやら、箪笥もぶん投げていたようだ。そして、私が差し出した紙と鉛筆で、弘子はすらすら絵を描き始めた。その横顔は、文字通りこの世の者とは思えないほどに光り輝き、見ている私の心を熱くした。

「はい、出来たわよ」と弘子が出来上がった絵を見せてくれた。

「うまい!」私は思わず叫んだ。紙にはミロのビーナスが見事に描かれてあった。流石に元美大生だ。

「本当は油絵専門だけど、デッサンも得意よ」

弘子の笑顔はとても美しく、私には幽霊とは思えないくらい現実的な存在であった。私は恥ずかしかったが、弘子に尋ねてみた。

「ヒーローのコスチュームを考えてほしいのだけど……」

「えっ?……。あー、描いてほしいの?」

「そう、私は絵心がないし」

「コスチューム?私も得意ではないけど……。でも、面白そうね。考えてあげる」すると弘子は姿を消した。どこに行ったのかと思っていたら、突然、目の前に舞い戻ってきた。

「どこに行っていたの?」

「ふふ、漫画家のところよ。覗き見してきたの」

そう言うと、弘子はなにやら描き始めた。私は弘子の能力に脱帽した。一瞬で好きなところに飛んで行き、誰にも不審に思われず行動する。幽霊こそはヒーローになる素質を十分に持っているのではないかと、私は思った。

弘子の絵は見事だった。私は覗き込みながら、自分の希望を付け加えた。

顔は隠して、突き出た腹も目立たないような衣装。弘子は何度も描き直しながらも、それは徐々に形を成してきた。全体的な雰囲気は、目立たないことを条件に、黒が基本となった。黒はスマートにも見えるし、一石二鳥だ。

黄色のラインが数本身体を取り巻き、さながら工事現場だが、弘子曰く、トラのイメージだそうだ。しかし、タイガーマスクではない。マントは協議の結果、ボツになった。飛べない?私には無用の長物だと。コンセプトはスパイダーマンに近いものだ。

全身はフィットした感じだが、バッドマンのような胸当てがついている。これはお腹を目立たなくさせるためだ。マスクは目の周りだけが黄色く、頭部をすべて隠す形だ。全体的に見ればやはりトラだ。なぜか?私は寅年生まれだ。そして弘子も寅年だった。ただ、私よりも一周りも先輩になるのだが……。

ついでに、胸には(H)のマークを入れてみた。勿論、私と弘子のイニシャルである。完璧だ。マスコミがどんなネーミングを付けるのか、今から楽しみだった。私は、絵に集中する弘子に聞いてみた。

「私は遠くの声を聞き分けられるが、弘子の場合はどうだい?」

既に、呼び捨てあう仲だ。

「私は無理よ。でも近くならば、心も読めるの」

「読める?」超能力っぽいのかな?と思ったが、

「うーん、違うな。覗くと言った方が正確かしら」

そう言って目を閉じた。何をするのかと思ったが、目を伏せた弘子は美しかった。幽霊でなければ、押し倒し……。なんて人間的な考えだろう。

「嫌だ、変なこと考えて」

弘子は私の心を覗いていたようだ。私は慌てたが、弘子は笑顔だった。

「でも、嬉しいわ。ありがとう」

正直、恥ずかしかった。しかし、幽霊とエイリアンの恋物語も面白そうだ。

「私ね、始めは貴方を信じなかった。でも、心を覗いて分かったの。真実だって」弘子はそう言って肩をすぼめた。

「出来た。これでどう?」

出来上がったデッサンは、最高の出来だった。だが、問題は残る。制作が問題だ。どんな生地を使い、どうやって仕上げるか。弘子はしばらく考えていたが、やがて何かを思いついたらしい。

「待っていてね」と言い残し姿を眩ました。しかし、いつまで待っても、弘子は戻ってこなかった。仕方無しに、夕食の買出しに向かおうと思ったとき、不動産屋の親父から電話がかかって来た。

「どうですか」その声は僅かに震えていた。泣きつかれるか、怒鳴られるかするとでも思ったのだろうか。

「問題ないですよ。楽しく生活しています」

「楽しく?」

「いえ、何でもないです。気になさらずに」

まさか幽霊と親しくなったとは、言えないだろう。不動産屋の親父は、恐縮したように、何かあったら言ってくださいと言い残し電話を切った。

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