第14話

 その時、ドアのロックが外された。管理人の合鍵でも使ったのだろう。ドアが開かれると同時に私は飛び降りた。

一瞬「あっ」と女性が叫んだように感じたが、今はそれどころではなかった。

真下にパトカー数台止まっていたのだ。このままでは見つかる。私はくるりと身をひるがえし、建物を上り始めた。

ところがその急な反転に、気分が悪くなった。腹の中でビールが泡だっている様だ。それは屋上に着くまでもたなかった。勢いよく、マグロやら焼き鳥をまき散らかした。おそらくパトカーに直撃しただろう。叫び声が聞こえたような……。

登りきったそのマンションは二十階建て位だろうか、屋上は夜風が心地よかった。手摺土台のコンクリートに腰を下ろし、一呼吸付いて気分が落ち着くのを待った。ふと空を見上げると、多くの星が輝いていた。

故郷はあるのだろうか……。そんな想いで見ていると、一際輝きを放つ星が見えた。もちろんそれが故郷とは解らない。ただ、懐かしさだけは感じずには居られなかった。気分が落ち着き、私はゆっくりと立ち上がった。夜風が私の髪を優しく撫ぜ回した。そして周囲を見渡すと、この建物よりも若干低い建物が隣に並んでいた。飛び移れない距離では無さそうだ。

狭い路地を挟んでいるだけだ。いつまでもここで長居するわけには行かない。

賊の進入経路の確認で、屋上に来る恐れも残っていたからだ。しかし、ジャンプもあまり得意ではない。だから思い切り助走をつけた。すると私の身体は、鳥になったように夜空に浮かんだ。楽勝だ。と思ったが、予想以上に飛びすぎた。これも酒の影響か?あれよあれよという間に、隣の建物を余裕で飛び越えてしまったのだ。その先には……。何もない。これでは五十センチの飛行術も役には立たない。ただ落ちるに任せるしかなかった。なるべく身体を丸めて……。幸い落ちたところは土の露出したところで、怪我はない……様に見えたが、左足に鉄筋が刺さっていた。脹脛のところだ。

「なんだー、痛てー」思わず叫んだ。しかし、引き抜くしかなかった。でも、引き抜いた後は、見る見る傷が回復するのが分かった。痛みは感じるが、回復は早いようだ。ところが、完全に傷が回復しても、痛みは残った。神経過敏だな。足を引きずり表に出ると、マンションの建設予定地だと気が付いた。完成予想図が壁に張られていたのだ。どうりで鉄筋があるわけだ。もっと早く造れよ。と怒鳴りそうになった。振り返ると、マンションの前にはパトカーが数台止まっていた。目を凝らすとさらによく見えた。

そう、私の汚物がべっとりと付いた様子がよく見えた。耳を澄ますと「誰だ」と怒鳴る警官の声も聞こえた。それよりも、私は助けた女性が気になった。変なことを話してなければ……と、野次馬を装いゆっくりと近づいた。耳を澄ますと、女性と警官の話す声が聞こえた。一度聞いた声だから、探し出すのは容易だ。

「電話で話していらした男性は?」

「気が付いたら消えていました」

「犯人を縛ったのは?」

「男性です」

「我々が到着したとき、鍵は掛けられたままでしたね。その男性はどこから帰ったのでしょう」

しばらく間があってから、女性は答えた。

「さあ、電話中だったので、……見ていません」

どうやら女性は口を閉ざしてくれたらしい。まあ、真実を話しても、誰も信じはしないだろう。私は安心して、ホテルに戻ろうとした。ところが、やけに他の野次馬が私を見る。そして笑うのだ。それもそのはず、私はホテルの寝巻き姿だった。鉄筋を引き抜くときにも、焦っていたせいで気が付かなかった。馬鹿だ。顔から火が出そうだ。おっと、気をつけないと本当に火を吐く恐れがある。私は照れ笑いを浮かべながら、その場を離れた。そして、人目のない裏路地で、全力疾走の体勢に入った。もう痛みはない。と、何か視線を感じた。見ると、あの中学生がじっと見ていた。

「や、やあ」

その時私は既に走り出していた。夜遅くに不良少年と思ったが、

「うあー」

と逃げ出しているだろうと考えると、つい笑ってしまった。走る姿は速すぎて人には見えないだろう。地続きならば、かなり多くの人助けが出来そうだと、私は確信した。ともかく急いで帰らなければ、寝巻き姿ではどうしようもない。戻る間も、助けを求める声は聞こえた。けれども、差し迫っているようには聞こえない。しかしこの件で、ある程度の基準は私の中で出来たと思う。聞こえる叫び全部をまわることなど出来ないのだから。

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