第6話

 怪我は不思議とあっという間に完治した。医師の制止を無視して、私は半ば強行に退院した。入院費は銀行持ちだと聞かされていたため、逃げるように病院を後にしたのだ。何故ならば、細かく調べられるのも問題だったからだ。私の星の母?が言っていたのは、外見では変わらないとだけで、詳しく調べられたら何が出てくるのか分かったものではなかった。幸い今までの検査ではなにも出てないらしい。身体の内部も地球人と似ているのだろう。しかし、大きな問題が残った。帰りのタクシー運転手にも握手を求められ、帰り着いたアパートは報道陣で溢れ返っていた。既に素性は公になっていたのだ。銀行内で誰かが動画を撮影していたようで、瞬く間に拡散したのもその要因である。確か、隣の部屋は幼い子供のいる家族だ。人が集まり過ぎてさぞや五月蝿いだろうと、私はタクシーから降りずに、そのまま都内のホテルに向かった。どうせ下劣な質問しかできない人種だ。タクシー運転手は『他言しません』と、気の毒がっていたが、裏切る可能性は十分に残っていた。騒ぎ立てるマスコミとネットのお陰で有名になりすぎたのだ。タクシーが居なくなるのを確認してから、私は徒歩で別のホテルを探し始めた。アーケードにある商店でサングラスと帽子を手に入れ、なるべく顔を見られないようにと気をつけていた。しかし、妙に視線を感じた。自分だけがそう感じたのかも知れないが、実際は、ジャージと帽子とサングラスがアンバランス過ぎたようだ。『もっとまともな服を頼めばよかった』銀行関係者に必要な物を聞かれたときに、いつもの要領で答えた結果がジャージだった。

ヒーローとは疲れるものだと思いながらも、私には充実感もあり、最高の気分だった。まるで試験に受かったかのような嬉しさもあった。『本当に試験だったのかも知れない。あの時、見て見ぬ振りをしたならば悪人になっていたかも』そんなことまで考えながらホテルを探し続けた。

ところが今度は、やたらと通行人の声が響いてくる。まるで耳元近くで話しているみたいだ。咄嗟に振り向いたが、そこには誰も居ない。おかしいなと、思いながらも歩いていると、突然、助けを求める声が響いた。慌てて辺りを見回したが、それらしき人物も、犯罪らしき行いも発見出来なかった。耳を澄ますと、はっきりと助けを呼ぶ声は聞こえた。女性の声である。これも能力の一つだと気がついたが、どうすることも出来なかった。病院帰りのため、パジャマや下着の入ったバッグを持ち、顔を隠して歩くような男に、人助けなどする余裕は無かった。人助けに時と場所は無関係だが、今の私には大いに関係があった。それこそ犯罪は至る所で起き、時間の制約も無い。いつどこで起こるか予想もつかないのだ。そこで私は考えた。仮に人命危機の犯罪が同時に起こった場合、私はスーパーマンみたいに早く移動出来ない理由で、どちらかを選ばなくてはいけない。しかも、その判断基準は、聞こえてくる声だけが頼りになる。

それが、三箇所、いや四箇所から聞こえてきた場合どうなるのか……。私は考えるのを止めた。答えが出ないことに悩んでも仕方ない。よって、今聞こえる声も、無視するより仕方なかった。それほど危機感に陥った悲鳴にも聞こえなかったのだ。今はホテルを探すのが先決だと、私は足を速めた。ちょっと早く歩いたつもりだったが、走っているようだった。

おおおお、と思ったが、カール・ルイスには負けると分かった。耳には相変わらず声が届いていた。こちらの意志とは関係なく、あらゆる声が耳にこだました。ラブホテル街も近いためだろうか、その中には情事の声まで混ざり、思わずにやけてしまった。変態的な情事だ。

止めようと思っても、つい、その手の声に集中してしまう。地球人でいる時間があまりに長すぎた。なんて人間的だろう。それが自己弁護でしかないのは、十分に理解はしている。

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