第3話

 辺りが暗くなった頃に、私は我に返った。考え疲れたと言う方が正解だろう。我を忘れるほど思考の限りを尽くしたが、得られたのは極度の疲労だけだった。暗がりの中、手探りでベッド脇のサイドランプのスイッチを入れた。壁の時計は八時を回ったところだ。

携帯からお袋に電話を掛けてみた。問いただすつもりは毛頭ない。

『どうしたの?』お袋の返事は、昨夜に会ったとは言えいたって簡単だった。

「おかしな質問するけど、ちゃんと答えて」

『なによ。昨日聞けばよかったのに』

「赤ん坊の頃の俺は、どんな感じだった?」

『どんな?って。うーん。よく泣く子ではあったわね。それがどうかしたの?』

「ほかに何かなかった?」

『特に覚えてないけど、夜泣きは少なく楽だったわ』と、おふくろの声は楽しそうに弾んで聞こえた。

「そうか……」手紙の中身が本物で、実際に自分がエイリアンだと考えた場合、入れ替わるのは当然、子供の頃か赤ん坊の時だと思ったからだ。ところが話の内容からは疑わしき面は見られずに、私は少々がっかりした。

『それがどうしたの?』

「いや、なんでもない。気にしないで、おやすみ」と、おふくろの質問には答えが出せず、強引い通話を終えた。しかし、生後まもなくであろう写真などは残されている。その後の人生の節目を写した写真も手元にある。それらの途中で入れ替わったとは言い難かった。そもそも、自分にも僅かながらに記憶が残っているからだ。では、この手紙の主は?その内容は?私はコインを手に持った。書かれている情報カプセルとは、これ以外に考えつかない。同封されていたのは、このコインらしき物のほかには何もなかったのだ。

試しに、真っ暗なテレビ画面に近づけてみた。しかし、何の反応もなかった。それから、そのコインをじっくり観察してみたが、何も見つからない。のっぺりとした銀色の表面には、スイッチらしき突起もないし、丸い側面にも切れ目一つなかった。その上、重量感のありそうな金属的な輝きを放ってはいるが、実は真綿のように軽かった。だが、こうやって持っているだけでも、幸福感は失われない。単なる悪戯なのか、事実なのか、それさえ分からなくなっていた。もう一度紙面を読み返したが、内容に変化はなかった。そこで一つの疑問が持ち上がった。『何故、急に読めたのか?このコインが原因なのか?だとしたなら、コインを持たずに読めるのか?』。幸福感を投げ捨てることに戸惑いながらも、コインをテーブルに置いてから、紙面に眼を向けた。すると思ったとおり、以前の意味不明な文字に戻っていた。どんな手品かわからないが、その時、これが情報カプセルだと、私は確信を持った。もう一度、そのコインをテレビに近づけた。やはりなんの反応もない。今度は電源を入れてから近づけたが、画面は無情にもニュースキャスターを写し続けていた。落胆しながらも必死に考え、さらには、空きチャンネルにあわせてから、コインを近づけてみた。すると、画面の砂嵐が徐々に収まり、若い女性の姿が映り始めた。


「これを見ているということは、そろそろ大人の仲間入りね」

私の驚きなど無視するかのように、画面の女性は優しく語り続けた。

「貴方も自分の急激な変化に気が付いていると思うわ」

変化?どんな変化があったのか、特に記憶に残るような変化は何一つ覚えていなかった。変化と呼べる唯一の記憶は声変わり程度であったが、その過程は既に記憶から失われていた。それでも、体毛などの変化は確かにあった。それ以外には、何が急に変化したのさえはっきりとは覚えていなかった。

「それは、貴方が地球人では無いからよ」

私は目の玉が飛び出る思いだった。実際に飛び出していたのかも知れない。

『何でそんなことを笑顔で言えるんだ』驚きと共に怒りさえ感じ始めた。

「私たちの星は、破滅の一途をたどっているの、消滅までもう時間が無いの。

そこで貴方だけでも助かるように、はるか遠くの地球に送ったの。何故かは、私たちと地球人は、外見上では、見分けがつかないからよ」

確かに画面の女性は魅力的な人間の女性に見える。彼女の言うとおりならば、画面の女性は異星人であり、私も異星人ということになる。そう思った途端、怒りは消え失せ私は思わず笑ってしまった。どう見ても、普通の地球人にしか見えないからだ。

「でも、地球とは大きな違いがあるの。まず重力が地球のほうが軽いわ。パワーも人間よりも優れているの。もちろん知能もよ。でも、これには訓練が必要なのも忘れないで。幼くして地球に行ったあなたなら、特に人間同様に身体を鍛えることが必要よ。そのためにも、思春期には始めなくてはいけないの」

まるでどこかの映画のようだが、私は大事なことに気が付いた。思春期どころか、とっくに三十を越えているのだ。

その後の映像では、いかにして空を飛ぶか、力の出し方はどのようにするのか、

あらゆる能力について、事細かに説明され、その習得方法が収録されていた。

半ば馬鹿にしながら見ていた私も、いつの間にか画面に釘付けになっていた。そして全てを見終わったのは、三十六時間後だった。不思議と疲れてはいないし、空腹感もなかった。しかも、内容は全て頭に入っていた。今は画面も砂嵐に戻っていたが、私は動きもせずにじっと、自分の手を見つめた。やがて、思い切り目の前のテーブルに手刀を振り下ろした。だが、テーブルは無傷で私を笑い、手には激痛だけが残った。

痺れる手を摩りながら、習得方法を思い出していたが、なにぶんにももう三十をとうに越えている。どれだけ習得できるのか、自分のは不安しかなかった。

しかし、半信半疑ではあるが、読めない文字が読めたり、空きチャンネルが映ったりと、嘘や冗談、ましてや悪戯とも思えなかった。第一に、これだけ大掛かりな悪戯を仕掛けるのに、友人もいない自分が選ばれる訳がないと理解していたからだ。逆に、半分でも信じ始めた一番の理由は、この広い宇宙に、知的生命体が人間だけだとは思ってはいなかったからだ。宇宙はビックバンによって始まり、膨張していると科学番組で見たことがある。それならば、ビックバンを中心として、地球と同じような距離にある星は、地球と同じような過程を踏み、同じように生命が誕生しても可笑しくはないだろう。そう考えれば、当てはまる星の数は計り知れない。私はそう思っていた。だからこそ、こんな話もあながち嘘だと決めつけることが出来なかった。ただ、自分の身に起こるとは想像すらしてはいなかった。あくまでも遠い遥か彼方の出来事だと思っていた。『まさか人間じゃなかったなんて』半信半疑は事実だが、真実の天秤を無理矢理に傾けるしかなかった。それが不甲斐なき人生を送って来た理由であり、自分に残された最後の救済の道に思えたのだ。そして、能力の一つ一つの習得に向け、訓練を始める決意を固めた。ところが、それから数か月経っても、特に変化を感じることは出来なかった。 

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