かつて母は、ふぁふぁでありパパだった

古博かん

第五回お題作品「スマホ」KAC20215

 中盤にしてそろそろ、お題難易度の乱高下に振り回されてきた感が否めない(半笑)今度のお題は、スマホかあ。

 そう言えば、元々はスマートンの略式であるのに、何でスマ「ホ」になるんだろうなあ。


 素朴な疑問から、ふと、昔取った杵柄キネヅカ、せっかくだから、少し言語オタクな話題をしてみようと思う。


 ファ行(特にファ・フィ・フェ・フォ)は、外来語由来の言葉の音写に用いられることが多い。スマートフォン然り、テレフォン、マイクロフォン、サイフォン等々。

 これらの子音は、発音記号 [f] で表される唇歯摩擦音しんしまさつおんに属する。ばっくりした説明で恐縮だが、上歯と下唇の隙間で空気の摩擦を起こして発する音のことだ。


 そして、ハ行もまた同じ摩擦音に属するのだが、長い日本語の歴史の中で面白い変化を遂げてきた音である。


 「は・へ・ほ」については、声門摩擦音せいもんまさつおん(厳密にいうとではないのだが)と呼ばれ、喉を通る空気の流れだけで発する音 [h] として表記され、「ひ」は硬口蓋摩擦音こうこうがいまさつおん(空気の摩擦を上顎で調音する音)で、C の下部にチョボ点がついた [ç] で表記される。


 「ふ」については両唇摩擦音りょうしんまさつおん(上下の唇で空気の摩擦を起こす音)[Φ]として表記される。


 つまり、ハ行の縦列の中で、音声学的に異なる発声をしているのだ。


 共通するのは、無声(声帯を振動させるのではなく、息の流れだけで発声できる音)であることだ。これが、濁音・半濁音になると、今度は有声化して破裂音が加わってくる。


 ともあれ、「フォ」が唇と歯を使うのに対し、「ほ」は喉の奥を使って息だけを流す、という違いがあるわけだ。そして、ハ行の発音は、音声学的な変遷を辿ると、最も最近(後発)の発声法に類するようである。


 どういうことか、まあ、さくっと奈良時代まで遡ってみよう。


 この時代の日本人は、「は・ひ・ふ・へ・ほ」を「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」と発音していたのである。花は「ふぁな」、母は「ふぁふぁ」と言っていたのだ。


 口内の奥をコントロールして発声するよりも、唇や歯の方が音をコントロールしやすいと考えることができる。発声は喉や顎周辺の筋肉が、より発達して行えるものだからだ。


 例えば、赤ちゃんの発する「あー」は、声帯を震わせるだけで発声できる単純な音だ。

 一度、口を閉じて、唇を開く瞬間に「あ」と言えば、それは「ま」と発声される。同じように唇を開く瞬間に「い」と言えば、「み」になる。


 マ行は全て、両唇鼻音りょうしんびおんだ。


 この音は、口を閉じた状態で、軟口蓋なんこうがい奥(いわゆる)を下げて、息を鼻に抜かすことで発声できる音とされている。

 赤ちゃんにとっては、声帯を震わせて母音を発声しながら、口をぱくぱくし始めると、自然と次のステップである「マ行」を発声することになるわけだ。


 次にやってくるのが、両唇破裂音りょうしんはれつおんである。

 無声なら半濁音パ行、有声なら濁音バ行が、それに相当する。


 (マ行と同じく)口を閉じて、開くと同時に強くを吐き出して発声すると、「ぱ・ぺ・ぷ・ぽ」となる。

 「ぴ」は無声両唇硬口蓋破裂音むせいりょうしんこうこうがいはれつおんという、少し特殊な音として扱われる。

 言語学的に言えば、「パパ」よりも「ママ」の方が、幼児にとって習得しやすい音なのだ(例外は、もちろんある)。


 そして、奈良時代から更に遡ると、当時の日本人には、現代で言う「パ行」と「ハ行」の発音の区別は、ほぼ無かったそうだ。

 平たく言うと、母は「パパ」だったのである。


 時代を下るにつれ、「パパ」は「ふぁふぁ」となり「はは」になった。

 唇(先端)から、徐々に発声が喉の奥の方へと移り変わっていったことが窺える。

 そして、止まることなくハ行の一部は、助詞「は」や「へ」において、さらに発声が変化した——すなわち、「わ」と「え」だ。

 わたしはの「は」は、「わ」と発音する。

 こちらへの「へ」も同様に「え」だ。

 この変化は、ハ行転呼音と呼ばれ、平安時代には既に確認されている現象だ。貴族文化が花ひらいた時代は、同時に日本語における大きな転換期でもあったわけだ。

 ハ行は、あっちへフラフラ、こっちへヒョロヒョロ、実に愉快な変化を遂げ続けている。


 さて、二千年をゆうに超える日本語の歴史の中で、一度は自然淘汰されてしまった「ファ行」だったが、外来語として再び脚光を浴びて返り咲いたのが、近代から現代にかけて——と言えるだろう。

 しかし、文法表記と音声表記が、必ずしも一致するとは限らないということを、「スマホ」は教えてくれている。


 もし「スマートフォン」の略式に、正確性を求めるならば、「スマフォ」でなければ辻褄が合わない。


 しかし、長い年月を経て一度淘汰された発音は、なかなか元には戻らない。

 使わない筋肉が衰えるのは早く、衰えた筋肉を再び鍛えるのは中々に難しい。


 日本人が他言語を苦手に思う要因の一つが、この発声にあると、私は考えている。実際、英語の発音もそうだ。日本語よりも母音・子音とも音数が多く、より複雑な筋肉のコントロールを要するのだ。


 そして、聴覚もまた然り。

 人間の言語学習の過程において、不要と判断した音は、そもそもらしい。日本人にとって、「ラ行」は「ラ行」であり、LとRの聞き分けなど不要なのである。だから自然、成長と共に聞き分けるという労力を費やさなくなる。


 こと、リスニングという点に関しては、早期教育は、ある意味有効なのだが、それはあくまでも真価を発揮する。

 十三歳未満の子供が、他言語を耳から覚えるのは早いが、同時に忘れるのも恐ろしく早いのだ。

 このことから言えること、とどのつまり、大事なのは国語力なのである。日本に住んでいる以上、日本語の土台がしっかりしていないと、いくら他言語を学習しても砂上の楼閣のごとく、すぐに風化してしまう(自責の念)。


 少し話が脱線したが、外来語として「ファ行」を文法上は認識しても、発音と聴覚が伴わないことは、よくあることだ。


 そして、ハ行として、堂々と日本語に取り込まれた外来語も割と散見される。

 テレホン、イヤホン、インターホン、プラットホームなどが代表だと思う。


 スマホには、「スマートホン」表記や「スマフォン」といった略式も散見されたが、大手キャリアで統一表記でも話し合われたのだろうか、現在では概ね、正式名称スマートフォン、略式はスマホで定着している。


 正式名称は文法表記を忠実に音写し、略式は耳馴染みの良い音声表記に寄り添ったというところか。


 まあ、あえて「スマホ」の正式名称を発音してください、と街中で尋ねたら「スマート」と発音する日本人が意外と多いのではないかと、個人的には思っている。

(なにぶん、学生時代のうろ覚えのオタク知識なので、表現や時系列に語弊や誤解があれば、ご指摘いただけると嬉しい)

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