第23話 戦闘(切り札)(聖女様視点)
矢は、三本刺さっていた。
すべて背面で、太ももと背中と肩の三ヶ所だ。
「……くっ、そ……!」
矢はかなり体の奥まで刺さっていたようで、鏃が完全に見えないものが三本中二本もあった。
もしかすると内臓を傷つけているかもしれない。
そう考えるとぞっとする。
矢を抜いていないから、流血は最小限に抑えられているはずだが、それでもゼロではない。
滲みでた血が黒い服に染みを作って、体を流れて足あとを刻んでいった。
「アドット……」
完全に失策だった。
アドットが、最後に黒狼王となったのは数年前のことだったし、もう獣長化のスキルを制御できたものだとばかり思っていた。
あの時も確か私が大怪我を負ったのが原因で獣長化スキルが暴走したんだったと思う――そう考えると、私は何も成長していないな。
壁伝いに歩くのにも疲れた私は、一度壁にもたれかかる。
遠くで聞こえる獣の鳴き声が建物を震わせるのを感じながら空を見上げると、不意に涙がこぼれた。
「アドット……ごめんなさい。本当に……」
誰に聞かれているでもない謝罪を口にすると、私はうずくまってとめどなく溢れる涙を感じながら、走馬灯のように浮かび上がるアドットとの思い出の波に飲まれていった。
聖女という存在に憧れたのは、おそらく私が物覚えがつくよりも早かったと思う。
一属性ですら極めて珍しいというのに、四属性の魔法をすべて使える人格者の乙女など憧れない方がおかしいだろう。
聖女になりたい、将来は絶対に聖女になる。
そう語って幼少期を過ごしていた。
だが、そんなものは暫くすると戯言だということに気づく。
貴族だった両親は初めは笑っていたが、流石に十歳ほどになるとそんなことをいうのをやめろと言い出した。
しかし、そんなことを聞く私ではなかった。
その頃には憧れの一貫として自分が聖女だと名乗るようにもなっていた。
何の気もない、ただの子供の冗談のようなものだったが、そう聞こえなかった人もいたのだ。
私の両親は、貴族であったが、父は二属性、母は一属性の魔法を使えた。
そんなふたりの子が聖女だと言ったならどうだろう、普通の子供がいうのとは訳が違ってくる。
不幸は唐突に訪れた。
王都から自分たちの領地へと帰る途中だ。
私たちは野党の集団に囚われた。冒険者の護衛たちは、突然の襲撃に全滅。
残ったのは私たち家族と使用人が幾名かだけだった。
狙いは、私だった。
巷で密かに囁かれていた噂を信じた輩が暴走したらしい。
使用人たちは陵辱され、両親は殺された。
しかし、盗賊たちが、私をどこに売るかで話し合っていたときに、颯爽と現れたアドットが助けてくれたのだ。
それ以来、私は彼と冒険者になった。
ここで私は気づいてしまった。
聖女を騙るということは死罪に値するほどの重罪だという常識に。
今までは噂だと聞き流せる程度だったが、私を狙って襲うほどの輩が現れるとなれば、その信憑性はぐっと高まる。
世間は勝手に私を聖女だと決めつけていた。
旅は、辛くも楽しくもあった。
初めての経験に戸惑いを覚えながらも、自分の知らなかった世界を知れるのは楽しかった。
だが、その一方で聖女だと知って襲いかかってくるやつもたまに現れた。
アドットに秘密を打ち明けた時は、盗賊に襲われたときに匹敵するほど怖かった。
殺されるんじゃないかとか、警察に連れて行かれるんじゃないかとか、いろいろ考えたが、全て杞憂に終わった。彼は快活に笑い飛ばしてくれたのだ。
どんなにその時彼に救われたか、今でもはっきり覚えている。
アドットは、冒険者をしながら密かに獣長化のスキルについて調べていた。
彼が獣長化のスキルで暴走したことは過去に三回あったという。
いずれも彼が人の世界に出てくる前の縄張り争いで仲間が殺されたのを見たのがきっかけだったという。
私はそれを聞いても獣長化というスキルを全然知らなかったし、その危険性を全く理解できていなかったのが、後の悲劇を生んだと言える。
冒険者としても名が売れてきたころだ。
アドットが気に入ったといって当時一緒に冒険していたひとりの男が、私を誘拐しようとしたことがあった。
私もそれなりに冒険者としても腕が上がっていたこともあり、それは未遂に終わったのだが、男は報復として仲間たちを連れてきたのだ。
数の暴力に為すすべもなくリンチされた私を、遅れてやってきたアドットが見て、スキルは発動した。
疲労で倒れ込んだアドットは丸一日暴れまわって、その男たちを含めて数十人を殺した。
彼が獣長化した姿は黒狼王として指名手配される流れとなったのだ。
私たちは危機感を理解して、より精力的に獣長化について調査すると決意した。
「もうあなたには、使わせないって決意したのに……ごめん、ごめん……」
いつの間にか地面に倒れ込んでいた私の顔を涙の雫が縦断していく。
筋は繋がって一本となって、地面へと跡を作る。
「どうして。どうして私は……」
このまま死ぬのは間違っている。
あまりに責任を放棄しすぎだ。
アドットを殴ってでも止めないといけないのに、体に全く力が入らない。
――……意識が、遠のいていく――
「どうしたの?」
声が、はっきりと声が聞こえた。
目を開けると、真っ白なドレスに身を包んだ人の姿があった。
しゃがみこんでいるが、顔までは見えない。
「……」
弱りきった私は、声すらも出せなかった。
ただ、パクパクと口を動かしているだけで、呼吸もうまくできない。
やはり、私はもうここで死ぬのだろうか。
「……はい。立てる?」
声とともに、何か暖かいものを感じた。
辺りは真っ暗なはずなのに、まるで暖かな春のような心地よいものが全身を包み込んだ。
回復薬にしても、これほどは効かない。
確実にスキルの類だ。
「あ、ありがとうございます……っ⁉」
そう言って、顔を上げた瞬間、辺りに白い女性の姿はなく、ただ水が入った瓶が二本落ちているだけだった。
二本にはラベルがついており一本には、回復薬。
もう一本の容器には――
* *
屋根から飛び降りながら、思わず叫ぶ。
「アドット――っ⁉」
怪物の背中は、直ぐに見つかった。
あれだけ派手に暴れてくれたなら当然だ。
今まさに前傾姿勢で、何かに襲いかからんとするさまを見た瞬間、背筋にぞっとするものを感じた。
誰かはわからないが、あそこには誰かがいる。
そう思った時には、近くに落ちていた尖った家の木材を、槍に見立ててアドットの足に投擲した。
普段なら考えられないような速度で投げ出された槍は、まっすぐとアドットへと向かっていき、アドットが避けるよりも早くその足を後ろから貫いた。
『ヴァアアアア!』
威力は全く衰えず、木材はアドットの足を貫通した。
血しぶきがあたりに上がったかと思いきや、左足が折れて膝をつく。
アドットの叫び声はまさしく絶叫と呼ぶにふさわしいような心の底からの叫び声だった。
ただ、そんな爆音が耳に響いてきたはずなのに、私は全く別のことに意識を取られていた。
――この威力はなに……?
普段なら絶対にありえない。
アドットの筋肉質な体がさらに肥大化した今の状態で、ただ尖っただけの木片を投げつけただけで、アドットの体を貫くだなんてありえなかった。
『ヴァオオオオオオオオオオオオオ!』
二度目の巨大な鳴き声で目の前へと意識を戻すと目の前には何かを投げつけるように振りかぶるアドットの姿があった。
咄嗟に元いた屋根の上へと回避すると、数瞬後にさっきまで立っていたあたりに黒い線が大量に走った。
まただ。
普通なら、跳躍で屋根の上へと飛び乗るなど絶対に不可能だ。
だが、それがなぜか今出来ている。
明らかな身体能力の向上だった。
私はそんなスキルを持っていないし、今使えるようになったという感覚もない。
ということは、これもさっきみた白いドレスの女の仕業なのだろうか……?
いや、今はそんなことはどうだっていい。
「アドット! 起きなさい!」
叫びながら、再び大通りへと飛び出すと、適当なレンガをアドットに投げつけながら、槍替わりの木材を拾う。
アドットはというと、足の負傷のせいか明らかに下半身を庇うように上体だけでレンガを躱すと、こちらへと私の体よりも太い腕で殴りかかってくる。
――その時。
今までたまたま視界から外れていたアドットの足元が開けて見えた。
真っ赤なトマトを潰したかのようにクレーターの真ん中で血の海を作っている少年。
それは、私がよく知る人物だった。
もう新しい仲間なんて作らない、信じないと決めていたはずなのに、いつも私の前に現れては怯えつつも楽しそうに笑っていた、レイバーの姿がそこにはあったのだ。
「アドットオオオオオオオ!」
刹那、私の中で何かが吹っ切れるような感覚があった。
再び槍を、今度は右足に向かって投げつける。
唸るように風を切って飛び出した槍は、アドットが回避しようと考える間すら与えずに、その右膝に穴を開けた。
『グ、ガアアアアア!』
あまりの痛さに、倒れ込んだアドットを見て、私の足は胸の律動を追い越す速度で地面を蹴る。
倒れ込んだアドットは、激痛からか、破壊欲からか、なおも暴れようと腕をばたつかせる。
だが、それでは私を捕まえることはできない。
「目ぇ覚ましなさあああああああぁぁぁぁい!」
勢いそのままに、アドットの尖った歯に向けて、『獣長化回復用』と書かれた瓶を投げつけた。
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