第22話 戦闘(挑戦)



「お、おかしいだろ! なんで僕ばっかりこんな目に!」

「レイバーさん!? これからどこへ!?」


 フィリアさんの手を握りながら走る。

 きっと普段の僕なら緊張してできないこんなことでも、今この状況だけは例外だった。


 本日何回目か数えるのも面倒になった追いかけっこだ。

 それも、今回の人狼はやたらと早い。

 こちらが路地を使って撒こうとしても、家を破壊しながら直進してくる上に、隠れようにも鼻が利くせいでそれも不可能ときた。


 もう避難は大方完了しているせいか、辺りには人一人おらず、協力して戦うこともできない。

 いや、もし仮にいたとしても僕はあれと戦うことなんてできるのだろうか。


 もしかすると、あれは――アドットさんかもしれないのに。


「どこへって言われてもそんなのわかりませんよ! 僕だって今は適当に走ってるだけです!」

「そんなっ!」

「じゃあどこかいいところあります⁉」

「そ、そんなのわかりません!」 

「そういうことですよ!」


 走りながらの会話は、とてつもなく呼吸を乱す。

 すぐに痰が喉に絡んで息が詰まったかのように苦しくなる。


「――はっ」


 せめてもの時間稼ぎに、再び強固な壁を築いて一瞬だけ速度を落とし、道脇に痰を吐き捨てる。


『ヴァアオオオ!』


 だが、数秒後には鳴き声とともに一際大きな破壊音が後ろから響いてきた。

 後ろを確認したわけではないが、おそらくさきほどの壁が破壊されたのだろう。

 ちらりと隣のフィリアさんを見ると、普段走り慣れていないせいか、かなり息切れをおこしていてつらそうだ。

 そう言う僕もまた、走って逃げることにも限界を感じていた。


 おそらく、このまま逃げていてもいずれは捕まる。

 兵士たちに協力を求めることもおそらく不可能だし、スルや聖女様だってこの場にはいない。

 今、ここで戦えるのは僕一人しかいない――そう考えると、大量の唾が湧き出てきた。


 それを飲むと同時に、決意を固める。

 兵士がいない路地は、ランタンの火なんてどこにもなく、暗い。

 月や星だけが道を暖かく照らしているのみだった。

 そんな薄暗がりの先にT字路がぼんやりと浮かび上がる。


「フィリアさん! 大通りに行きます! 道わかりますか⁉」

「……そ、そこを右に曲がって真っ直ぐです!」

「わ、かりましたっ!」


 言いながら、フィリアさんを左に突き飛ばす。

 フィリアさんの目が驚愕に見開かれるのを感じながら、僕は後ろを振り返った。

 十メートルほど後ろに迫っている人狼は、相変わらず殺意のこもった瞳でこちらを睨みつけながら走ってくる。


 すぐに、僕は自分の目の前に顔ほどの大きさの岩の塊を作成。

 それを人狼にぶつけようとして――


「っ――⁉」


 できなかった。

 それはひとえに恐怖だろう。

 きっと、そんなことはないとわかっていながらも、もし僕が放った岩のせいであの人狼が死んだとしたらと考えてしまった僕がいた。

 自分の命が失われるかもしれないというこの状況でも、どうしても僕はあの怪物が、アドットさんかもしれないという可能性を否定しきれなかったのだ。


 打ち放とうとした岩の塊は、人狼の頭の横数メートルを通り過ぎていく。

 だが、それを自分への攻撃と受け取った人狼は、怒りを爆発させたような声をあげながら、完全に僕へと狙いを定めた。


『ヴォオオオオオオオオオ!』


 腕を振り回し、つばをまき散らしながら血走った目でこちらへと突進してくる。

 今までとは比べ物にならない速度で突進してくる人狼を確認すると、僕はもう何も考えるのをやめて大通りへと飛び込んだ。

 一瞬遅れて爆音が鳴り響いて、それと同時に意識が飛んだ。


 逃げるな


 どこから、響いた声なのだろうか。

 頭の中で一瞬、だれかの顔が浮かんだ気がする。

 白く、靄がかかったように曖昧なものだったけれど、それが脳裏によぎった瞬間、僕の意識ははっきりと覚醒した。


「――おぉぉるぁああぁ!」


 地面に転がったと同時に、必死に歯を食いしばって自分を覆うようにドームを作って降ってくる瓦礫から身を守る。

 だが、それでも空中でガラスにでもかすったのか、頬を暖かいものが伝うのを感じた。


 数秒ほど待って、ドームを解除。

 無事とは言い難いものの大通りには出られたようで、普段なら考えられない人通りゼロの大通りがそこにはあった。

 ちらりと後ろを振り向くと、さきほど僕らが逃げた通りがまるまる瓦礫の山と化していて、随分と見通しが良くなっていた。

 フィリアさんは上手く逃げられたのか、姿がない。

 全身が痛むが、動けないわけではない。


『ヴォオオオオオオオ!』


 怪物は、未だに健在だった。

 突進した勢いそのまま通りの反対側まで突っ込んでいた人狼は、体中についた瓦礫片など気にする様子もなく空に向かって吠えると、肩を揺らしながら大通りへと再び姿を現した。

 視界に捉えるのはもちろん僕一人だけだ。


 大きく、息を吐く。

 これからやるのは完全な僕の自己満足だ。

 誰を守るわけでもないし、誰に求められたわけでもない。

 ただ、僕が憧れた人たちならこうすると勝手に僕が決めつけて、勝手に自分でもやりたいと思っただけ。

 力量不足なのはわかっているし、死ぬ可能性しかないことだってわかっている。

 それでも、自分にとって一番格好いいのは今きっとこうすることだから。

 震える足を一度力いっぱい叩いて、僕も怪物に向かって吠えてみた。


「うおおおおおおお!」


 決戦の始まりだ。


 僕はスキルを使えない。

 筋力増強も治癒力増大も俊敏性向上も、すべて使えない。

 僕が持っているのは魔法のみだ。


 壁を造って、それを駆け上がる。

 上に気を取られた隙に足元の地盤を下げて、落とし穴の要領で動きを妨げる。

 すぐに辺りの地盤を緩ませて泥のようにして人狼の半身を沈める。


「アドットさん! あなた、アドットさんなんですよね⁉」

『ヴォオオオオオオオオ!』


 僕の言葉は届いておらず、動きを阻害されたことに対して怒る人狼は、その身をバタつかせながら抵抗する。


「くっそ……」


 そして、筋力の割に柔軟性もあるその体で泥からぬるりと抜け出すと、大きく体を振るって再び夜空に吠えた。

 次の瞬間、飛来する泥の飛沫があらゆる角度から僕を攻撃する。

 咄嗟に壁を造って防御するも、壁を作るよりも早く幾ばくかの泥が顔に付着した。

 それによって視界が奪われる。


 すぐに顔の泥をとって再び前を向くと、作った壁の上から今まさに僕を踏み潰さんと跳躍した人狼の姿があった。


「――っづぁあ!」


 横っ飛びにそれを回避するも、上手く受身が取れずに頭を強打。

 そのまま転がるが、転がっている小石や瓦礫のせいで顔や手足に無数の細かい傷が走った。


「アドットさん! しっかりしてください! アドットさん!」


 必死に呼びかけるが、人狼はそんなこといとも介さずに、僕を追撃せんと再び突進の構えを取る。

 僕はすぐに横長の壁を作って自分の姿を完全に隠すと、側方へと避難する。

 案の定すぐに突進を開始した人狼は、つい先ほどまで僕が居た場所を壁ごと抉りとっていき、再び夜空に吠えた。


 その目が徐々に見開かれていることから、だんだんと苛立ちが募ってきているのが分かる。

 きっと、人狼からすると僕は攻撃もしないくせにチョロチョロと逃げ回る羽虫のように思っているのだろう。

 いつでも消せるはずなのになぜだか消せない目障りな存在と思われているに違いない。


「そう。それでいい――僕は英雄にはなれないんだから」


 僕はどれだけ頑張っても万人を救う英雄にはなれない。

 それはわかってる。

 でも、英雄になれないからといって、恩人をたった一人も救うことぐらいなら僕にもできないのだろうか。


「アドットさん! しっかりしてください! アドットさん!」


 人狼の足元の地面が、一瞬沈んだかと思いきや、すぐにその周りが人狼の足を覆うように絡みつく。

 しかし、それも一瞬。

 人狼の太い腕が自らの足を殴ると同時に卵の殻をわるように岩が砕けた。


『ヴォオオオ!』

「こんなことならどうやったら獣長化が解除できるか聞いといたらよかった!」


 ここで一つ、人狼は怒りの中に冷静さを見せた。

 スゥっと目が細まったかと思いきや、足元の岩や砂利の礫をその大きな手のひらで大量に掴む。

 そして、そのまま後ろに振りかぶった。


 ――まずい!


 咄嗟に、岩の壁を作る。

 最高の強度で、なるべく厚く。


 次の瞬間、とてつもない振動が壁伝いに体を貫いた。

 壁の隣から見える礫の嵐は、もはや目で追うことすら難しく、何か黒いものが線のように連なっているだけにしか見えなかった。


 ピシリ


 どこかで聞こえた。

 それは、音を立てて徐々に広がって行き、大きなひびとなって――止まった。

 嵐が収まったのだ。

 僕は絶え間なく痛みを主張する全身を鞭打って、壁から恐る恐る顔をのぞかせる。

 だが、そこに見えたのは閑散とした道と、ボロボロになった家ばかりだった。

 刹那的に自分の危機を察知する。


「――しまっ!」


 言い終わる前に、爆音は響いた。

 上を見るでもなく、咄嗟に後ろへと飛べたのは奇跡だっただろう。

 それがなかったら、確実に僕は踏み潰されて死んでいたに違いない。

 だから、今この状況は最悪ではないのだ。


『ブヴォオオオオオオ!』

「なあああああああぁぁぁぁあああああ!」


 右足に激痛が走った。

 左足はあるのかもわからないほど感触というものを感じない。


 それもそうだろう、僕の腰から下には人狼の足があったのだから。


 数トンはあろうかという肉体をその体の上において、僕の体は激痛から完全に意識を手放した。

 再三に渡って耐え忍んできた僕の決闘が、一発も相手に当てることなく負けた瞬間だった。


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