第21話 戦闘(逃走)
「どうしてこうなったどうしてこうなったどうしてこうなった!」
「ねぇ! ドンドン増えてる気がするんだけど!」
「そんなのわかってるって!」
服の中から猫が主張するが、そんなことは走っている僕が一番理解していた。
屋根という屋根を岩で繋げて走り続けてもう数十分は経過している。
とっくに息切れで体力の限界だし、僕が作った足場を辿って追いかけてくる兵士は増え続ける一方で減る気配すらない。
もう散々だ!
ちらりと後ろを振り向く。
するとはかったかのようなタイミングで後方から矢が飛んできた。
「――っお⁉」
声にならない声をあげながら咄嗟に岩で壁を造って防御する。
もう後ろを追う兵士たちには僕が魔法使いということはバレていると考えての捨て身の策だった。
アドットさんに人には教えるなと言われていたことを思い出すが、それも仕方ないだろう。
命あってのなんとやらというやつだ。
兵士たちの作戦が変わったのか攻撃許可が下りたようで、先程から矢がたまに飛んでくるのを防ぐのにはこれしか思いつかなかった。
だが、一向に自分たちの状況が好転しない追いかけっこというのはそれだけで精神に来る。
いつまでたっても追っ手は撒けないし、なんだったら先回りされてばかりだ。
正直、もう捕まるのも時間の問題と心の中で考えている自分もいた。
「なぁスル!」
「なに⁉」
「獣長化のスキルで大きくなってこの街から脱出できないのか!?」
「そんなのできないよ! 第一あれは数日に一回しか使えないスキルだし!」
「じゃあほかに何か使えるスキルとかないの⁉」
「ない!」
「なんだよ使えねぇええええええ!」
「ちょ、何かキャラ変わってない⁉」
スルが何もできないとなると、僕らにこの状況を好転させられる要素はもう残っていない。
僕にもスキルが使えればそれが一番なんだろうけど、生憎と僕はスキルなんてもってないし、魔法もその場しのぎが精々だ。
「そっちこそ魔法でなんとかできないの⁉」
「できるわけないだろ⁉ っつぉ!」
そうこういっている間に飛んでくる矢を再び防御。
そして一度屋根から飛び降りて、辺りを民家に囲まれた狭い路地へと入った。
兵士たちの声を後ろに聞きながら、必死に走り続ける。
右に折れて、左に曲がる。壁を造って後ろからの追っ手を防御しつつ再び左へ。
自分がどこにいるのかわからなくなっていたが、それでもただただ走り続けた。
そして、もう何度目かもわからない曲がり角を左に曲がったところで、僕は絶望した。
「行き止まり……」
三方を二階建ての家の壁に囲まれており、完全に袋小路となっていた。
「おい! こっちで声がしたぞ!」
戻ろうとしたところで、再び兵士たちの声が響く。
咄嗟に再び袋小路の中へと飛び込んだ。
どうする、どうするどうするどうするどうする⁉
焦りと疲労で僕の脳はまともに機能していない。
「なああ! 落ち着け!」
僕はすぐに頭を振って気持ちを切り替える。
コの字型の行き止まりのうち、左の家から右の家にかけて、三軒をまたいだ階段を岩で造る。
行き止まりがあったなら上に逃げればいい。
そう考えて、階段を走るように登っている途中で、事件は起きた。
それは初めは遠くから響いてくる地響きのような音だった。
それが徐々に近づいてきたかと思いきや、僕が二軒目の家の階段へと足をかけた途端、進行方向にあった三軒目の家が一瞬ひしゃげ、派手な音を立てて大破した。
レンガ片やガラスがとんでもない勢いで飛び散り、次の瞬間にはそれらが瓦礫の後ろから現れた”何か”の腕によって地面に叩きつけられる。
まず目に付くのはその尖った鼻先から覗くとてつもなく長い牙だ。
それだけで僕の腕ぐらいあろうかというほど長く鋭い。
目は鋭く血走っており、黄金色の瞳がこちらをギョロリと向いた。
真っ黒な体毛に覆われた六メートル近い身長で、腕も数メートルはあるかと思われるほどの豪腕。
かと思えばその体躯に見合わない短く引き締まった足の先には鋭い爪が生えており、地面を小さくひび割れさせる。
誰が見ても答えられるわかりやすい怪物の姿がそこにはあった。
「え……っと……」
だが、疲労感や唐突に現れた怪物という異常事態のせいで、僕の脳は既に現実逃避を始めつつあった。
空気が軋む音や、瓦礫が地面に落ちる音が響いてくる中で、僕の中での時間は停止しつつあった。
あ、終わった……
目の前の二足歩行なので半狼型の化物がいつどこから現れたのか、そんな疑問が浮かぶよりも先に、僕の頭は生を諦めようとしていた――そんな時、
「はし――れっ!」
「っっっ!」
僕の腹に強烈な痛みが走った。
咄嗟に下を向くと、スルが僕の腹を引っ掻いているのが見えた。
それと同時に、停止していた思考が再び活動を再開する――つまり、パニックが訪れた。
僕はさっきまでスルを追う兵士から逃げていたはずだ。
それがいま目の前には六メートル近い二足歩行の狼型の魔獣がいて、それがまさしく獲物を見る目で僕を見ている。
つまり、つまり……
「うわあああああああああああああああああああ!」
僕の逃走劇第二部が始まった瞬間だった。
ここふた月で何回これぐらい全速力で走ったのだろうか。
始まりの黒星狼から成長はしているのかもしれないが、ちっとも状況が好転しない。
ただただ僕は追いかけられて、それから逃げるのみの人生というやつだ。
「なあああぁぁぁぁぁああ!」
助けを求めても誰も来ないと分かっていても、喉は勝手に自殺しようと仕事を続けて、かえってそれが後ろから怪物を呼ぶ。
まさしく悪循環。
後ろを振り返る余裕なんてないし、とりあえず適当に作りまくっている岩の壁もすぐに音を立てて割れていく。
「うわああ!」
「た、助けて!」
「ぎゃあああああああああ!」
いつの間にか僕を追いかけていた兵士たちは、僕たちに追いかけられるように逃げている。
僕の数メートル前を走る兵士たちの目には、もう僕たちの姿は写っていなかった。
「ちょ、あんたらわたしを追いかけてたんじゃないの⁉」
スルが人型モードになって走っていても、もう誰も構うものはいない。
今は自分の命が一番。
任務など二の次ということだ。
『ブォオオ!』
後ろの狼? の魔獣が地の底から響くような低音で唸り声を上げる。
口から飛ぶ唾が僕の後頭部に勢いよく飛び散ってくる。
しつこく逃げ回る僕たちにいらだちを隠せない様子だ。
思わず後ろを振り返ると、わずか数メートル後方に大きく開いた狼の口があった。
「っつぉぉぉ!」
咄嗟に顔くらいの大きさの岩の塊を作り、口元へと投げ込む。
いくら鋭い牙を持っているとは言え、さすがに岩を噛むと痛みを感じるだろうという考えだ。
それが無理でも僅かに怯んでくれれば、その隙に隠れられる――そんな浅はかな考えは、現実の前に砕け散る。
『ヴォォ!』
狼は岩をそのまま噛み砕くと、咀嚼、そしてこちらへと吐き出した。
肺活量もとんでもないようで、その口から飛び出した岩の破片たちは、さきほど見た矢など比べ物にならない速度で飛んでくる。
咄嗟に岩の壁を作成するも、無残に穴を開けられた。
「ちょ、それはいくらなんでもやりすぎだろぉおお!」
僕の叫びは周囲の雑踏に消えていく。
僕たちを追い回すのに必死な怪物は、民家があろうとなんだろうとおかまいなしにその膂力に物を言わせて直進してくる。
当然、やつが通り過ぎたあとの家はすべて大破しており、綺麗な瓦礫の山へと変貌していた。
そんなことになれば、当然アルアーナの街に住まう住人たちとて無視はできない。
すぐに避難しようと溢れた人たちで道は溢れかえった。
「レイバー! こっち!」
「ぬぁ⁉」
再び魔法で壁を作っていた僕の腕をスルが強引に引っ張って、脇道へとそれる。
いつしか街を一周していたらしく、ギルドの近くの大通りから一本入ったところへと場所を移していた。
慣れ親しんだ道をスイスイと迷いなく進んでは魔獣から身を隠すべくそこかしこに岩の壁を作り続けた。
僕らは適当な家の壁を背後に岩の壁を前に造って簡易的な密室を作り、一度休憩を取る。
もう正直わけがわからなくなっていた。
「な、なぁスル?」
「なに……?」
「あの魔獣って……な、なんだ……?」
「そんなの知らないよ……はぁ、はぁ。ただ、あれはあれだね。獣長化のスキルだったね」
スルがあまりの疲労感からか、四つん這いのような姿勢で汗を地面に垂らす。
ぽたりぽたりと水滴が地面に浮かんだかと思いきや、すぐに吸収されて黒いシミになった。
僕も痒くなった体中を掻きむしりながら汗の雫を飛ばす。
「獣長化? ……っていうと、昼にお前が使ってた……?」
「そう。ただ、あれはわたしのものとは違って完全に獣になってる感じ。理性とかが完全に吹っ飛んでる気がする」
「でも、じゃああれって……元は人だったってことか?」
「そ、そういうことだね……」
息切れを起こしながらの会話は、ぎこちなく進んでいく。
ただ、やけに自分の心臓の音が響いて聴こえてくるのを感じた。
あの人狼とでも形容する怪物が、魔獣ではなく、獣長化のスキルによる変異だとスルは言った。
ごく一部の獣人に与えられる種族の長のためのスキル……だっただろうか?
アドットさんと話していたことが酸素の足りない脳ではうまく思い出せない。
そういえば、アドットさんと聖女様は上手く逃げれているのだろうか。
もし捕まっていなければ、この騒ぎを聞きつけてこちらへと援護に来てくれるかも知れない。
いや、そもそもあの人たちが捕まるなんて姿がイマイチ想像できないな。
そんな自問自答をしている最中、
『ヴォオオオオ!』
「ひいいいいい!」
少しだけ離れたところから人狼の鳴き声とともに叫び声が聞こえてきた。
高い、女性の声――それも、どこかで聞いたことのあるものだった。
心臓が、激しく動悸する。
これは疲労だろうか、恐怖だろうか、それとも心配だろうか。
もちろんすべてだ。
喉の奥で血の味がするほど走ったし、それと同じだけ恐怖も味わった。
そう考えると、これだけでもいつもの僕ならば逃げだす――というかそれすらもできずに隠れて震えていることしかできないだろう。
だから、こんなことを考えている時点で今日の僕は異常だった……いや、それは違うか。
実際、今でも僅かばかりの余裕ができているこの状況に安堵している自分がいた。
それは怯えから解放された開放感と、高揚感が合わさっていかんともしがたいものだ。
きっと今、あの怪物が暴れまわっているこの状況なら、アドットさんや聖女様と合流してそのままの勢いで街を出ることもできるだろう。
兵士たちは逃げ回ることに必死で統率なんて取れたものじゃない。検問なんてあってないようなものだ。
でも、それでも今聞いてしまった。
僕の耳は、確かに見知った声を捉えてしまった。
――フィリアさん!
それは、ともすればこの街にきてで最も話したかもしれない女の子。
宿屋の娘という客と店員という関係性ながらも、僕に気兼ねなく話してくれて、いつも朝食を作ってくれていた女の子の声だった。
心臓が、もう一度大きく鼓動する。
ここで隠れるのがいつもの僕だ。
弱くて、ちっぽけで、臆病で――僕が一番嫌いな僕の姿だ。
ここで逃げるのが正解の選択肢だ。
きっと今なら全員無事に逃げ出せるし、自分の命さえ無事ならば、この街がなくなろうともどうということはない。
僕たちは冒険者だ。
本来は街を転々とするものだし、別にこの街がなくなったところで罰を科せられるわけでもない。
だから、今僕が選ぶのはこの選択肢が正解だ。
僕が立ち向かっても、人狼にはきっと勝てない。
ただ単に命を投げ出すだけにすぎず、アドットさんや聖女様の思いを踏みにじることにしかならない。
そうだよ、思い出せよ……。子供の頃もあっただろ?
僕が街に行って、それでどうなったんだよ。
ただただあの時であった聖女様に手を煩わせてしまっただけだ。
結局僕があの時何もしなくても魔獣は討伐されたじゃないか。
僕みたいなちっぽけなやつがでしゃばっても、きっと何にもならない……。
――刹那。
頭の中に今まで出会った二人の聖女様の姿が浮かんだ。
優しくて、強くて、気高い聖女様たちの姿に、この世界に生きるものなら誰もが憧れる。
それは、僕だって――!
心臓が再び大きく鼓動した。
間違いだろうとなんだろうと、ここで助けるのが――僕が憧れた僕の姿だろ‼
「スル! アドットさんと聖女様を探しといて!」
「ちょ、なに急に……ってレイバー⁉」
岩の壁を崩して、すぐに階段を作り屋根へと登る。
恐怖は感じても、不思議と怯えは感じない。
きっと、自分でもこの選択肢を選んだことで悦にいっているのだろう。
当然だ。
こんな選択、いままで考えることすらできなかったのだから。
こんな行動を実際にできるのは、それこそ聖女様みたいな僕の憧れの人たちだけなのだから。
雑念を振り払うように頭を振って、屋根から覗く耳の方へと走り出した。
なぜだろうか。
頭の中に浮かぶのはどう戦うか、どうフィリアさんを助けるのか――そんなことではなかった。
獣長化というスキル。
スルの言うとおりならば、あの人狼はきっと誰か元になった人がいるのだ。
なら、それは一体誰なんだ?
僕の頭はすぐに答えをはじき出す。
今思えば昼間やたらと獣長化というスキルに食いついてきた気がするし、それにあの真っ黒な毛並みと、いかつい顔。
僕の頭の中ではすでに人狼の正体は確定していた。
でも、それを認めたくはなかった。
認めるということは、戦う相手だと認識するということだから。
『ヴォオオオオオオオオ!』
再び雷鳴のような鳴き声が響くのと、僕が人狼を視界に捉えたのは同時だった。
狭い路地の中で、足が竦んだように座り込んだまま震えるフィリアさんと、それに覆いかぶさるように顔を近づける人狼。
それを見た瞬間、先程まで考えていたことはすべて頭から抜けて、瞬時に屋根から飛び降りていた。
瞬間、僕には背中を向けているだけのはずの人狼の耳がぴくりと反応したのを僕は見逃さなかった。
「――フィリアさん!」
叫びながら、攻撃――ではなく、防御のための壁を僕と人狼との間に作る。
家の壁を使って、狭い路地を横断するような厚めの壁だ。
だが、作ったと同時の出来事。
何を叫ぶでもなく、人狼は今まさに襲いかかろうとしていたフィリアさんから視線を逸らすと、左腕で家を破壊しながら僕の方へと勢いよく振り向いたのだ。
普通に飛び降りていただけなら、確実に腕に巻き込まれていたであろうその位置関係だが、生憎とそこには壁がある。
僕が限界まで硬度をあげて作った岩の壁――それは、左腕があたったと同時に音を立てて砕け散った。
「――は⁉」
岩の階段の途中で、思わず声が漏れた。
目の前の人狼に、僕の本気があっけなく敗れ去った瞬間を見て確信した。
僕は、こいつには勝てない。
さっき理解していたはずなのに、いざ現実と直面すると、いかに自分が愚かな行為をしているかがはっきりとわかった。
「っづァああ!」
『ヴォオオオオオ!』
人狼は、何か違和感を感じた左腕を振り回しながら叫ぶ。
辺りの家々は振り回した腕がかするたびにその部分がえぐれて音を立てて崩れていく。
「きゃああああああああああ!」
この場に、フィリアさんがいて良かったと思う。
彼女の声がなかったら、きっと僕はいつまでもただ圧倒的な脅威に打ちのめされていただろうから。
ハッとしたのも束の間、僕はすぐに人狼に向かって走り出す。
上から落ちてくる瓦礫は、家の下に作った壁で塞ぎながら、人狼の股の下へ。
胴体上部に比べて、あまりにも短い足は僕がギリギリ通れるかどうかということろだったが、未だに自分の左腕があたった”何か”に意識を取られている人狼のおかげですんなりと通ることができた。
だが、それに安心したせいだろうか。
僕はひとつミスを犯してしまった。
「――フィリアさん!」
「れ、レイバー……さん?」
狼という種族は、人間なんか比べ物にならないくらい聴覚が発達しているのだ。
人狼の耳がびくりと固まったかと思いきや、次の瞬間にはこちらへと首が向いた。
金色の瞳が、確実に僕を捉えた瞬間だった。
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