第17話 剛力百足(後編)



「でっか……」


 悲鳴と絶叫となぜだか笑いが重なって響く中、隣のスルがポツリと声を漏らした。


 だが、気持ちは大いに分かる。

 なぜアドットが楽しそうに笑っているのかはわからないが、その後ろから二人を追うように現れた剛力百足は、一目みただけでもその異常さが分かる大きさをしていた。


 通常、剛力百足は十メートル前後。

 大きいものでも二十メートルほどだという。

 だが、現れた剛力ムカデは、全長五十メートルほどはありそうなほどのサイズ感を持ち合わせていたのだ。


「あんなのあの洞窟のどこに入ってたのよ……」


 どう考えてもC級の魔獣のレベルではなかった。A級確実の超凶悪魔獣だ。

 一見しただけでも私たちには手に余るレベルの魔獣だった。


『キスュィィィイイ!』


 剛力百足が声にならない奇声をあげて、洞窟の外の山肌を転がる。

 途端に土煙が上がり、岩肌が砕ける。

 剛力百足の質量が遠目に見てもわかった。


「そうだ! 二人は⁉」

 

 剛力百足よりも先に飛び出してきた二人のことを思い出して、重い音を立てながら転がる剛力百足の下へと目を向ける。

 飛び出した方向は一緒だった事を考えると、もしかしたら踏み潰されているかもしれない。

 そうなるとおそらく即死だ。

 回復薬をどうのこうの言っている場合ではないのは確実だろう。


 ただ、それでも私の足は洞窟の方へと向いていた。

 しかし、すぐに止められる。


「待って!」

「待ってもなにもない! 潰されてるかもしれないのよ⁉」

「それでも待つの! 二人はきっと生きてる!」

「む、無責任なこと言わないで!」


 私はそう言って強引に腕を振りはらって進もうとするが、気づけば後ろから抱きとめられていた。


「今行ったらアヴァが死んじゃう!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ⁉ 仲間が死ぬかも知れないのよ⁉」


 そうこういっているうちに、剛力百足が山を降りきったのだろう。

 一際大きな砂埃が重低音とともに響いてきた。

 自然とそちらへと目が向いてしまう。

 剛力百足は、一瞬困惑したように体をひねったが、すぐに自分が裏返っていることを理解したのか、その強靭な肉体を使ってすぐに体を反転させて、あたりを徘徊し始めた。

 それを見て、なぜだか私の脳も、急激に冷静さを取り戻していた。


「――……ふう、ごめんなさい。……とりあえず、近くにふたりがいないか確認しましょう。あいつは多分暫くはあのまま二人を探して暴れまわるだろうから先に見つけて逃げるわよ。幸い森まではそう遠くないから森につきさえすれば完全に撒けるだろうし」

「イヤ」

「そう。じゃあとりあえず私は……は?」

「それじゃあダメだよ」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。


「だ、ダメって……何がダメなの?」

「今あいつを野放しにしたらきっとたくさんの人が死ぬよ?」

「……い、いや確かにそうだけど……」


 なら、あれを相手にするというのか? 


 チラリと視線を再び剛力百足へと移す。

 どれほどアドットの馬鹿でかい鳴き声がしゃくにさわったのか、相当に怒り狂った様子でそこらかしこを掘り回しては二人を探していた。


 正直、あれは本当にどうしようもない。

 おそらく五十メートル級の剛力百足など今までに前例がなかったはずだ。

 これからS級冒険者含むパーティーが結成されるか、王都から大規模な討伐部隊が派遣されるかしないと、正直どうしようもない。


 逆にあれに挑んで命を散らせるほうが、これから死にゆくだろう人々に失礼なほどだ。


「それを、聖女様がほうっておくの?」

「――っ……!」


 心臓が大きく鼓動した。

 スルの目を見る。

 少しの不安を覗かせてはいるものの極めて真剣そのもの。

 どうして、この子はそんな目ができるんだろうか。


 彼女は人間を憎んでもいいはずなのだ。

 猫又族だからといって、おそらく彼女は今まで迫害され続けてきたのだろう。

 中には癒えない傷を付けられた可能性だってある。

 そんな彼女が、どうして今人を気遣って、思いやることができるんだろうか。

 僅かに不安を孕んだその目が揺れた。

 それを見て、私の答えも決まった。


「ごめんなさい。とりあえずあなたは二人を探して。あいつの足止めは私がするわ」


 私がそう言うと、スルは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに嬉しそうな顔をして頷いた。


「うん! ……でも、いいよ」

「え?」

「あれの相手はわたしがするから。アヴァは二人を探して」

「え? いやでも……というかあなた何言ってるの? 自分が何言ってるかわかってる?」

「大丈夫、わかってるよ。あと、試すようなことしてごめんね!」

「え? それは……」

「じゃあよろしくっ!」

「あ、ちょっと!」


 それだけ言うとと、スルは私を残して剛力百足へと駆け出した。



「アドットさん。なんですか、あれは」

「あれは獣人系の民族がたまーにもっとるスキルの一種やな」

「へ、へー……そうなんですか」

「獣長化っていうスキルや。効果はまあ言わんでもわかるやろ」

「わかりますね」

「にしても、嬢ちゃんがもっとるとはなー」

「あ、やっぱりあれスルなんですね」


 僕はアドットさんの脇の中でポツリと呟いた。

 だが、それに対する返事はなく、アドットさんは豪笑しながら二匹の化物から逃げるように走った。

 そう、驚くことに化物は一匹から二匹に増えていたのだ。

 片方は、先程も見た赤目を光らせながら体をひねって暴れまわる剛力百足。

 口? らしき部分から緑色の液体を吐きながら、もう一匹の化物へと威嚇を繰り返していた。


 そして、もう一匹。

 全長では流石に剛力百足に及ばないまでも、尻尾をいれるとこちらも数十メートルクラスの化物サイズの白猫が、剛力百足に対峙するように並んでいた。

 猫もまた息を吐く音とともに四又に割れた尻尾を逆立てて、剛力百足を威嚇している。


 はっきり言って、自分がおかしくなったのではないかと目を疑う光景だった。

 ただでさえ規格外のサイズの剛力百足に怯えていたら、これまた規格外のサイズの猫が現れたのだ。

 そして、アドットさんが言うにはあれはスルなのだという。

 なんというか、ここまで来たらもうなんでも信じられそうだ、うん。


「獣長化ってスキルはな、数万個体に一匹しか持たんスキルやで? あの嬢ちゃんやっぱすごいな! ガハハハハ」

「そうなんですねー。まったく知りませんでした」


 今尚相手の出方を伺うように睨みを効かせる百足と猫。

 その片割れが、つい先程まで僕たちと行動していたのかと思うと、あれがスルだと分かっていても恐怖心が芽生えた。

 もしかするとアルアーナの中でスルがあれになる可能性だってあったと考えると、かなり自分が危ない橋を渡っていたような気がした。

 今度から敬語で話そう。


「それでこれからどうするんですか?」

「とりあえずアヴァと合流して、それから嬢ちゃんの応援にでも行くか? ガハハハハ」

「それは面白い冗談ですね」


 キングサイズの化物同士の決戦に近づくとか正気とかんなレベルじゃないよね。

 崖から投げ出されたときは、たまたまアドットさんが上手く着地したから踏み潰されずにすんだけど、あの二匹に近づいたら踏み潰されない未来の方が少なく見える。


「せめて離れたところからにしてください」

「えー、でもそうそう獣長化した獣人族の戦闘シーンなんて見れんで?」

「命をもっと大事にしましょうよ⁉」

「まあ兄ちゃんがそう言うならしゃーないか。我慢するわ――ってお? あれアヴァちゃうけ?」

「や、一人だったとしても行かないでくださいよ?」


 そこで、アドットさんの言うとおり、視線の先に聖女様の姿を見つけた。

 聖女様は微かに額に汗を浮かべ、僕らの名前を呼びながらこちらへと走ってきている。

 心配してもらえたのだろうか。


「おおアヴァ! こっちやこっち!」

「二人とも! 無事だったのね!」


 そして、僕たちを見つけた途端に聖女様の顔がパッと明るくなった。

 どうしよう、こんな状況なのに非常に嬉しい。


「ええ、アドットさんが助けてくれました」

「な、なによ。あんた今日はえらく冷静ね。普段なら泣き叫んでてもおかしくない状況なのに」

「いえ、別に……」


 もう理解することを諦めただけです。

 っていうか聖女様に僕そんな風に思われていたのだろうか。

 そう考えると非常にショックです。

 多少は魔法とかも上達してきた関係でいい格好出来てるものだと思っていたのに……。


「それはそうと、さっきスルが……」

「おお、わかっとるわかっとる。にしても猫又族の獣長化できる個体なんて初めて聞いたな」

「あ、あんたもあんたで大概おかしいくらい冷静ね」

「そうか? まあ、わしも兄ちゃんも男やしな! こういう時こそ冷静さを保てるんやろうな!」

「……そうですねー」

「ああはいはいそうね。とりあえず戦闘に巻き込まれないように麓までおりましょ。馬車の安全も確保しないと。二人とも歩ける?」

「おう!」

「歩けます」

「そう。じゃあ行きましょ!」

「そうやな!」


 聖女様の声に続いてアドットさんが走り始めた。

 もちろん、脇に抱えられて運ばれる僕も一緒についていく形。

 歩けるといっても運んでくれるアドットさんはとても優しい(泣)。


「正直、あれに援護なんてできないわね」


 数百メートル離れたところからでも、巨獣たちの大決戦ははっきりと確認できた。

 背面に洞窟のあった山を構えながら、必死に抵抗する百足に、これでもかと飛びかかりながら攻撃する猫。

 百足が飛びかかってくる猫の勢いを利用してその体に巻き付き、締め上げようとすると、猫が数多ある足を噛みちぎって抵抗する。

 初めは真っ白な猫の毛並みも剛力百足の血にさらされて所々に緑色の斑点を作っていた。


「兄ちゃん、魔法でなんとか援護できんか?」

「いやー……流石にあそこまでは届かないですね。というか僕よりも聖女様ならできるんじゃないんですか?」

「……無理よ」

「やっぱりそうですか」

「っ……!」

「――え? ああいやそういう意味じゃなくてですね! 数百メートル先に攻撃する手段なんて世界中探しても多分ほとんどないでしょうし! 決して聖女様をバカにしようとして言ったわけじゃないんです!」

「別に……わかってるわよそんなの」


 聖女様は、そう言いながら再び巨獣大決戦へと視線を戻した。

 怒らせてしまったらしい。

 確かに聖女様ともあろう人のプライドを刺激するようなことを言ったのはまずかっただろう。

 あとでしっかりと謝っておこう。


 と、そんな感じの僕たちの脇ではアドットさんがすごく興奮していた。


「よしゃ! そこや! 後ろから飛びつけ! おお、嬢ちゃんええぞ! ──アァ! 危ない危ない! 嬢ちゃんそこよけてカウンターや! アァ、ちゃうちゃうそうじゃないて!」


 巨獣大決戦がよっぽどその琴線を刺激したのか、先程から一人で叫びまくっている。

 そして困ったことにそれが非常にうるさい。


「ちょっとアドット! 黙りなさいよ! うるさくて何も聞こえないじゃない!」

「ぬあああああ! そこちゃうて! 嬢ちゃん後ろや手後ろ! 下から来るで? ほらそこや! あああああああああああああああ! もう我慢できん! わしも行くで!」

「え?」


 そう言った途端、アドットさんは僕らの乗る馬車の手綱をひったくり、強くしならせた。

 急な臀部への衝撃に驚いた馬たちは、いななきをひとつ。

 そして急速発進。

 風を切り、辺りの景色を吹っ飛ばしながら、巨獣大決戦の方面へと足を進め始めたのだ。

 そのあまりの勢いに慣性に引っ張られた僕たち二人は荷車の中で盛大に尻餅をつく。


 が、それも一瞬。

 すぐに起き上がると御者台に乗るアドットさんのもとへと駆け寄ってその肩を強く揺らした。


「な、何やってるんですか! 早く止めてくださいよ!」

「いや、そら無理や! もう勢い着きすぎて馬も止まられんしな!」

「な、なら早くコース変更を!」

「何を言うてんにゃ二人とも。わしらは仲間やで? 死ぬときは一緒……やろ?」

「「それっぽいこと言ってごまかすなああああああああああああ!」」


 絶叫する乗組員を無視して馬車はどんどん加速しながら巨獣たちのもとへと歩みを進めていく。

 もはや馬車というよりは騎士団員が使う騎馬のような速度に変わっていた。


「ちょ、アドット前! 前!」


 当然、そんな速度で進んでいたらすぐに目的地へはたどり着く。

 一分も経たずに、首が痛くなるほど見上げないと巨獣たちの全体像が把握できないほどまで近づいてきていた。 


 そして、そんな巨獣たちの戦場で簡単に馬車が操縦できるわけがないのは言わずもがな。

 おそらくどちらかが倒れ込んだ時にできたであろう大きなくぼみが馬車の行く手を遮る。


「甘い!」


 アドットさんが格好いい声とともに馬車の進路を右、すなわち巨獣たちの方へと移動させる。

 途端に聖女様がアドットさんを殴打。


「逆でしょバカ! っていうか危ない危ない!」

「っとぉ!」

「困ったときは右やろ普通!」


 そして、そんな風に聖女様とアドットさんが言い争いをしている隣で、僕は必死に道路の舗装をしていた。

 具体的にはボコボコになった道路の舗装と、くぼみに落ちそうになる馬車の後輪を壁で補助したりとか。

 さっきも咄嗟に後輪の落下を土壁で防御した。

 ファインプレー。


「っていうかちょっとまって! 上! うえ!」


 聖女様の指に釣られて上を見ると、ちょうど真上から百足の頭が降って来るところだった。

 確実に狙いをこちらに定めて、緑色の血液を口元から滴らせながら、その赤い目は獲物を逃すまいと光っている。


 それを見た瞬間、こぶし大ほどの岩の塊を魔力で生成。

 剛力百足へと放つ。

 が、虚しくボコリという音を立てて、百足は無傷のまま岩は砕けた。


「ちょ、無理です! 上は絶対に無理!」

「アドット! あんた何とかしなさいよ!」

「おう! よしゃ! 任せとけ!」


 なおも勢いづいたままこちらへと突っ込んでくる百足をめがけて、アドットさんは荷台に置かれている大剣を手に持ち、下段に構えた。

 その目は獲物を定めた狩人のように研ぎ澄まされており、不覚にも格好いいと思ってしまった。完全にここまでの原因作ったのこの人だということを忘れていた。

 そして、


「ッシャァ!」


 馬鹿でかい声とともに、アドットさんは弾丸のように空中へと飛び出した。



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