第16話 剛力百足(前編)



「なあ、どうしてこうなったんだっけ?」

「色々とあったんだよきっと」

「そっか、ならしかたないね」

「……うん」

「これからどうする?」

「逃げる」

「だよな」

「うん、ありがと」

「別にいいよ。僕が勝手にやっただけだし」


 そう言うと、どちらともなく笑い出した。


「じゃ、行こうか」

「うん」



 三週間が経過した。

 その間に僕とスルは共に生活するのにも慣れて、アドットさんや聖女様と一緒に依頼をこなすようになっていた。

 聖女様は途中で諦めたのか、いつからか僕たちを誘ってくれるアドットさんを怒るのもやめていた。

 少しずつ、関係は変わっていくのを感じていた。


 そんな本日の依頼は、C級魔獣、剛力百足の討伐。

 C級魔獣の中でも凶悪さにおいてはかなり上位にその名が上がる魔獣だ。

 なんでも町の近くの洞窟に住みついているらしいとのこと。

 正直、十メートル以上もあると噂なので、僕の怯えもマックスだ。


「まあ、流石に兄ちゃんも死にはせんやろ。最近は魔法も結構上達してきたようやしな!」

「え、ええ。まあそうですね」

「始めの頃は一日中ベッドの上で唸ってたもんね。ニャハハ」

「あははは……」


 魔法を使い続けると、とてつもない疲労感に訪れることに最近ようやく気づいた。

 吐き気が訪れはするものの、かといって吐瀉物が口から流れそうで流れないという不快感が常時僕を襲うのだ。

 二日酔いにも似た感覚だった。


 正直、『魔法というのは周囲の魔素が重要』ということしか知らない僕からすれば、どうして体が疲れるのかはよくわからない。

 ただ、とりあえず周囲の魔素をごっそり使うような、中規模以上の魔法を使ったあとはとてつもない疲労感に襲われることを知ったのだ。

 まあ中規模といっても今までに使ってた地面を少し落としたりとかそんなレベルのものの範囲が少し広くなっただけにすぎないが。


「それはそうとして早く行きましょ。洞窟まで結構あるんでしょ?」

「そ、そうですね! 行きましょう!」


 聖女様に乗っかって会話を強引にカット。

 後ろでいまだにクスクス笑っている二人を放っておいて、聖女様の後を追う。

 今日もまた大変な旅になりそうだ。


 洞窟までギルド保有の馬車に乗ること四時間ほど。

 道中はとくに魔獣に遭遇するわけでもなくあっさりと森を抜けて岩肌の目立つ山へと到着した。

 御者役はアドットさんとスルの交代だったとは言え、思いのほか大変そうに見えた。

 森の舗装されていない道のせいか馬が慎重になっていたせいだろう。


「ま、何はともあれ到着や。んで、目的の洞窟はここから徒歩で十五分くらい山を登ったとこらしいし、サクッといこか」

「そうね、流石に腰も痛いし早く帰りたいわ」

「二人ともそんなあっさりと……まあ知ってましたけど」


 B級冒険者で、直にA級に上がる可能性すらあると言われている二人だ。

 C級魔獣なら問題ないということだろうが、付き合わされる未だにE級も抜けきらないへっぽこ冒険者は恐怖でちびりそうだ。

 今までにも二人に付き合ってC級魔獣は何度か倒したことはあったが、どれも僕の魔法が活かせる平野部のみだった。

 洞窟ともなると地形を軽く変えるだけでも崩落する恐れもあるので、そう簡単に魔法には頼れない。


 ならばと言ってダガーを用いるものならば、至近距離まで接近しなければいけないわけなのだが、正直今までにダガーだけで戦うことなんてほとんどなかったので不安しかない。

 C級魔獣にE級冒険者が挑むとなると正直百人以上欲しいものだ。

 いくら時が経とうとも、根っこの恐怖心は抜けないのである。


「大丈夫でしょ! なんてったって今回はわたしも武器を新調したからね!」


 そう言ってスルは自身の手についたピカピカの鉤爪を打ち鳴らす。

 驚くことにスルは、数日前に魔法の使いすぎで僕が唸っている隙を見計らい、アドットさんと僕(僕には無言)から借りた金で武器屋にて鉤爪を購入していたのである。


 弧を描くような曲線の内側に刃がついており、グローブから三本ずつ生えたそれを、両手に装着してバッチリと戦闘モード。

 正直ぶん殴りたくなったが、いつか返すといわれたのでぐっとこらえた。


 僕よりいい武器を使っていることに苛立ちしか感じないが、自分の身を守るためと言われると何も言い返せなくなる。

 猫又族ということで猫モードに近い武器をチョイスしたということなのだろう。

 や、まあそれでも相談くらいはして欲しかったけどね。


「そうやな! 嬢ちゃんもいれば安心やな! ガハハハハ」

「ニャハハハハ!」

「うるさいわよそこのバカ二人。早く行きましょ」

「おう! そうやな! 兄ちゃんもほら、行くで!」

「は、はい!」


 とりあえず今はそんなことはどうでもいい。

 すっからかんになった財布の補充の為にもしっかりと依頼をこなしてお金を稼がないといけないのだ。


 洞窟の中は、どことなく不気味な雰囲気が漂う異界のような印象を受けた。

 思ったよりも洞窟は広いらしく、横にゆとりを持って三人並べるほどの余裕がある。

 しかし、ランタンなしでは暗すぎて歩けないほどの闇。

 それに、岩肌から水が漏れているのか、どこからともなく水滴が水たまりに落ちるような音が反響する。

 怪物の住処と言われているだけあって、洞窟の中には蝙蝠などの生物は見受けられない。

 その『普通と違った』洞窟の様相も不気味さを際立てていた。


 ちなみに、今回の並びはリーチが長い聖女様とアドットさんが前で、僕とスルが後ろ、という正方形フォーメーションだ。

 基本的に前からしか敵は来ないというのをもとにしたフォーメーションだが、そもそも剛力百足が正面から迫ってきたら聖女様とアドットさんでも止められるのかという不安は多いにある。


 正直、十メートルを超えるサイズのムカデの巣に潜り込んでるって考えると自分で自分の正気を疑いたくなる。


「にしても、やけにでっかいな」

「確かに、剛力百足ていってももしかしたら化物みたいなサイズしてるのかも。十メートル超えって聞いてたけど、そんなレベルのかも怪しいわね」

「ちょ、怖いこと言わないでくださいよ……」

「まあでも多分元あった洞窟を巣にしてるって感じやろうけどな。やっこさんがこの洞窟を掘ったわけやないやろ」

「でも随分深いよ?」

「まあ自然にせよ剛力百足が掘ったにせよ用心は必要やな。今のところ分岐点はないけどあったら敵が敵やしちょっと強引にでもつっついてみたいな」

「強引って?」

「威嚇でもして引っ張り出してみるか。なんにせよ洞窟内で勝負は起こしたくないし」

「は、はあ……」


 はっきりとは言わないまでも、アドットさんの顔は真剣みを帯びている。

 きっと今後の作戦もアドットさんの頭の中では形になっているのだろう。

 それに僕も洞窟の中で戦うのは勘弁して欲しいので助かるし。


 そして、それから数分歩いたところで、曲がり角を見つけた。

 右が奥までまっすぐ続いているのに対して、左はかなり入り組んでいるのか正面から奥まで見ることができなかった。

 普通に考えると、剛力百足のような大型の魔獣が通る分には右の方が楽だろう。


 だが、剛力百足は節ごとに体を動かせるらしいので、蛇のように体をうねらせながら左に入っていったのかもしれない。


「どうするんですか?」


 自分たちが逃げやすいということを考えると右だろう。

 だが、自分たちが逃げやすいということは相手も追いかけやすいということ。

 はっきりと移動速度はわからないが、おそらく人間が徒競走をしてかなう相手ではないだろう。


 なら、左を行くのが正解なのだろうか。

 正直左なら剛力百足の遭遇率は低そうだ。

 この入り組んだ道をわざわざ住処にしても剛力百足とて動きにくいに違いない。


 だが、今回の依頼は剛力百足を討伐することで果たされるのだ。

 なら、やはり右に行くのがおそらくは正解だろう。

 最悪剛力百足と遭遇するはめになっても僕が岩壁を下から反り上げるように作ったら洞窟への被害は軽微だし、剛力百足の足止めにもなる。

 

 なら、右か? やっぱり右なのか?


 いや、まて。

 そもそもここで僕たちが右に行ったとしたら、左から別の魔獣が現れて待ち伏せされる可能性だってある。

 今まではたまたま魔獣が一匹も現れなかったが、ここに剛力百足が住んでいるということは、ここにはその餌となる魔獣もいる可能性がある。

 なんだったら剛力百足に寄生するようなやつもいるかもしれない。

 剛力百足よりかは弱いかもしれないが、それでも巨大な魔獣に追いかけられている最中に冷静に討伐できるかと言われるとわからないだろう。


 ならどうするのが……ん?


「アドットさん?」


 そこで、アドットさんが手に持つ大剣を聖女様に渡していることに気づいた。

 そのまま一歩前に踏み出して、こちらを振り向く。


「よぉし兄ちゃん。今から百足を外まで出すから覚悟しときや。あ、アヴァと嬢ちゃんは外で待ってて」

「え? 僕は違うんですか?」

「そりゃ兄ちゃんは待っててもらわなわしが死ぬやんけ」

「え?」


 そう言われると何も言えなくなる。

 というかアドットさんが死ぬって……。


「ほら、あんたも荷物よこしなさいよ」

「え? あ、はい――ってええぇ⁉」

「いいから全部渡しなさいよ。大きい声出さないで。魔獣を刺激するでしょ」

「あ、はい。ごめんなさい……でも」

「でもじゃなくて早く渡しなさいってば」

「はい……」


 いまだに理解はしていないが、とりあえず持っている荷物を一式聖女様に渡す。

 ランタンやダガーすら渡したので、いよいよ僕は手ぶらになってしまった。


「じゃ、先に出ているわね。五分したらよろしく」

「了解や」

「じゃあほらスル。行くわよ」

「え? どこに?」

「外よ。話聞いてなかったの?」

「ニャハハ……」


 スルが聖女様に引っ張られていくのを暫く眺めていると、すぐに辺りは真っ暗に変わった。

 もうそれは見事な真っ暗だ。

 アドットさんの輪郭すらわからないレベルの真っ暗。


「あ、あのアドットさん? そこにいるんですよね?」

「おう、おるで」

「今から本当に何するんですか? というか暗すぎてこれじゃ戦えないと思うんですけど……」

「今からは戦わんで。一回洞窟の外まで出さなあかんからな」

「ああなるほど……ってでもこの暗闇じゃどこが出口か全くわからないんですけど」

「え? あーそうか。ならまあわしが担いだるから兄ちゃんは魔法で壁作っといてくれ」

「りょ、了解ですけど……アドットさんはどうやって外に出るつもりなんですか?」

「まあわしは匂いがありゃ何とでもなるからな」

「な、なるほど……」


 アドットさんの鼻ってホント万能。


「ところで、どうやって剛力百足を外まで連れて行くんですか? 煙で巻くとかそんな感じですか?」

「そうするのが正攻法やろうけど……兄ちゃんとわしやったらもっといい方法があるわ」

「え? そうなんですか?」

「おう。でもそれするには兄ちゃんの魔法が重要やからよろしく頼むで?」

「それはわかりましたけど……何をするんですか? 百足を興奮させたりはしないでくださいよ?」

「そりゃ無理や」

「えぇ⁉」

「まあつべこべ言うててもしゃーないからな。男は覚悟を決めろ!」

「ちょ、アドットさん!?」

「よーし時間や。行くで兄ちゃん、耳塞ぎや?」

「耳? っていうかちょっと待ってくださいよ! まだ心の準備が――」

「そりゃ無理やな」


 そう言うと、アドットさんは強引に僕の耳を塞いで大きく息を吸い込んだ……


 次の瞬間には、僕の体に急激な酩酊間のような振動が訪れた。

 違った。 

 隣で聞こえてくる息遣いで僕は抱えられて走っていることに気づく。

 だが、あいにくと辺りは暗い。本当に真っ暗だ。

 何も見えなかった。剛力百足の討伐はどうなったんだ。


「あれ?」

「おお兄ちゃん! 早よ魔法頼むわ! 追いつかれそうや!」

「え?」


 アドットさんの声に反応して後ろを向くと、超巨大な二つの真っ赤な光が十メートルほど向こうに見えた。

 直感で、魔法を起動させていた。


「うわあああああああああああああああああああああ!」

「ちょ、兄ちゃん暴れるなって!」


 アドットさんの声を耳で聞くことはできても、行動に移すことはできなかった。

 ひたすら手足をバタつかせながら、土魔法で洞窟の壁を変形させて壁を作り続ける。

 だが、残念なことに効果は薄い。

 いくら作ろうともひとつ辺り数秒ほどしか時間稼ぎにはなっておらず、大した差は生まれない。

 いや、なんだったら少しずつでも迫ってきているように感じた。


「アドットさん! もっと早く! 死ぬ、これ絶対死ぬ!」

「だぁら死なんように協力しとんにゃろ! 兄ちゃんの方こそ壁の強度上げれんの⁉」

「ぬおおおおおおおおおおおおお死ぬうううううう!」


 ただひたすら赤い光を阻むように壁を作り続ける。

 が、いずれも数瞬のうちに破壊音が虚しく響いてくるのみ。

 足止めには至っていない。


「おい兄ちゃん!」

「なんですか⁉」

「どないしよ!」

「だから何がですか⁉」

「財布どっかに落としてもうたみたいや!」

「そんなもん知るかああああああああああああああ!」


 思わず敬語も忘れるほどの大絶叫だった。

 だが、アドットさんはどう受け取ったのか爆笑で返す。


「ハハッ! やっぱ兄ちゃん最高やで!」

「だから何がだって言ってるでしょ⁉ ぬおおおおおおお死ぬ! これ絶対死ぬううううう!」

「おい兄ちゃん!」

「わあああああああぁぁぁぁぁぁあ!」


 そして、作った直後の壁が破壊された。

 タイムラグはコンマ何秒かのレベルだ。

 もちろん、それより手前に作っている壁などまだない。

 つまり、魔獣と僕立ちとの距離はほんの数メートルまで迫っていたのだ。

 あれ? そういえばどうして目の前の赤色の光が光じゃなくて魔獣の目だってわかったんだろ。


 僅かな光を浴びて、気持ち悪い顔が露わになった剛力百足。

 思わず気絶してしまいそうになったその瞬間、アドットさんの声が響いた。


「出口や!」

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 間抜けな声を上げながら、僕たちは一時間ぶりの地上へと体を投げ出した。



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