第15話 夢



 その日、古い夢を見た。


 五年以上前の冬、僕にとって大きな転機となった日のことだ。

 当時僕たちの村の近くの山では、マッドボアの亜種が確認されていた。

 マッドボア単体の強さでもB級の魔獣なのに、さらにその亜種だ。

 A級に匹敵しうるのではという噂さえあがっていた。

 幾度も冒険者が依頼の紙を手にやってきて、山の中で消えていった。


 マッドボアは、肉食の魔獣だ。

 好物というものはこれといって存在しないが、五メートル近い巨体で相手を押しつぶし、捕食。最後には骨さえ残らないという。

 最初はすぐに討伐されるだろうとたかをくくっていた村民たちも、響く足音へと次第に恐怖を感じ出していた。


 そんな折に、ひとつある噂が入った。

 それは近日中に大規模な討伐部隊がやってくるというもの。

 目的地は村を超えた先にあるらしいが、ついでに討伐してくれるという話だ。

 正直、村の人たちは半信半疑といった様子だったが、それでも希望にすがっていたのは言うまでもない。


 だが、結局討伐部隊は来なかった。


 理由は最後までわからなかったが、おそらく何かしらのアクシデントに見舞われて行軍ルートをかえたらしいとのこと。

 実際にマッドボアが討伐目的じゃなかったということはわかっていたので、村民は全員表面上は納得していた。


 しかし、その実内心では絶望していた。

 最後の望みが完全に潰えてしまったのだ。

 山の動物たちは次々と狩られていってどんどん数を減らしていく中で、いつ自分たちが襲われるかもわからない恐怖が、僕たちの村の空気を日に日に暗くしていった。


 そして、その頃になって、ようやく僕はひとつ決意を固めた。

 僕が近くの大きな街の冒険者ギルドに行って、直談判の上、依頼を出すというものだ。

 今考えると、依頼はとっくに出していたはずだし、村長あたりは何度となく街の冒険者ギルドへと掛け合っていたに違いない。

 それでも、幼かった僕はそんなことなんて考えもせずに家族や村の人たちの事を思い、いてもたってもいられなかったのだ。


 翌日には家の財布から幾ばくかのお金を握って近くの町への乗合馬車へと乗り込んでいた。

 

 そうは言っても子供一人。

 それもろくに社会勉強なんてしてこなかった田舎坊主だ。


 当然、依頼料なるシステムも理解しておらず、お願いすればいいだけと勘違いしていた僕は到着したはいいもののどうすることもできず途方にくれていた。

 悲しいかな乗合馬車の料金見積もりも間違えており帰れない始末。

 完全に一人知らない土地へと投げ出されてしまった。


 聞き込みをしようにも、もとの臆病な性格がゆえにろくに声をかけることすらできず、やがて空腹と孤独と不安に耐え兼ねて泣き出してしまったのを覚えている。


 だが、そんな時に運命と出会った。


 腰にかかるほどの長い白髪と、それに同化するかのような真っ白な修道着のような衣装に身を包んだ女性が、僕のもとへと歩み寄って声をかけてくれたのだ。


「坊や、大丈夫?」

「え、いや、あ……」


 不思議と涙は止まっていた。

 ただ、持ち前の人見知りが発動して完全に尻込みしてしまう。

 しかし、女性はそんな僕の言葉をいつまでも待ってくれた。


「あ、あなたは聖女様なんですか?」


 出てきた言葉はそんな意味不明なものだった。

 当時の僕でも存在を知っていた聖女様という存在。

 それと目の前の女性を重ね合わせてしまったのだろう。

 

 もしも今の僕がその場にいたのなら、思わずひっぱたいてしまいそうなものだ。

 そんなわけがない。

 もしも聖女様だというのなら、護衛もつけずにいるわけがないし、仮にそうだとしても名前も名乗らずにいきなりそんな事を聞くなんて失礼すぎる。


 だが、返ってきた言葉は今でも胸に残っている。


 それからしばらくして、マッドボアは討伐された。



「へー。その聖女様ってそんなに強かったんだね」

「当然だよ。全属性の魔法使いなんてこの世界中を探しても十人といないだろうし」

「なるほどねー」


 スルが窓から覗く月明かりに照らされて鈍く輝く。

 相変わらず気に入っているらしい人面猫モードでの登場だった。


「っていうか、スル。どうしてここに?」

「え? いや、わたしを引き取ってくれるんじゃないの?」

「……あー、うん。そんなことも言った気がするね。確かに」

「そういうこと。というよりレイバーってばお酒弱いね。ちょっと飲んだだけでもうベロンベロンになってたもん」


 ああ、思い出した。

 そういえば僕はあのあと確かアドットさんに強引に付き合わされて飲み続けていたんだ。

 おそらくそのまま酔っ払って帰ってきたっていうのが正しいんだろう。

 今でも酒が抜けきっていないのか意識が少し曖昧だ。強烈に眠い。


「なぁ、スル」

「ん? なに? あ、ベッドなら別になくても大丈夫だよ? そこらで丸くなって寝るし」

「そんなの別に一緒に寝ればいいでしょ」

「――ぬぇ⁉」

「でもそんなことよりさ」

「いや、それは結構乙女的には見逃せない話なんだけど⁉」


 人面猫が近距離で吠えるも、今ひとつ迫力に欠ける。

 アドットさんで感覚が麻痺してしまったらしい。


「スルはさ、僕のことどう思う?」

「どうって言われても……困るかな。どうしたの? いきなり」

「いいから。好き? 嫌い?」

「な、何か酔っ払い方がおっさんみたいだよ? 大丈夫?」

「じゃあ、別の質問。スルは今僕といてつらい?」


 僕がそう言うと、スルは僅かに目を向いて、一瞬考えるような姿勢を作った。

 そして、ひと呼吸間を置いてから、答えた。


「つらくはないよ」


 断言はしないような曖昧模糊な答え方だが、僕の色々と混ざって澱んでいた心を洗う分には十分な回答だった。

 それを聞いた途端、急激に強い睡魔に襲われて、僕は意識を手放した。



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