第14話 聖女様の仮面
僅かに赤く染まっていた空も完全に闇へと染まった夜。
いつも通りの酒屋で、いつも通りの三人+スルで食卓を囲む。
聖水? が入った袋を渡された僕らは、使い方だけ聞いてから小遣い稼ぎ程度のスライム退治をこなして、今へと至る。
聖水が思ったより高くなかったとは言え、それでも二万レル。
日々節約しながら生きている僕にとってはなかなか手痛い出費だ。
だがこれでも他の街に比べると格安だというのだから驚きである。
なんでもほかの街なら同じ量の聖水を購入するためにはその十倍近くは必要だとか。
恐ろしすぎる。
シスターが水魔法を使えると言っていたのが関係しているのだろうか。
まあなんにせよありがたい話だ。
「でもあの婆さんか、懐かしいな」
「懐かしいって……しょっちゅう見るじゃない」
「え? そうなんですか?」
「ま、確かによく風呂にいる気がするね」
「「「……」」」
「え? な、なに? わたしなにかした?」
僕らが黙った途端に慌て出すスル。
だが本当に慌てているのかも、未だに顔を隠しているマントのせいで不明瞭だ。
おかげで同所における僕たちの注目度は、いつもよりも数倍勝る。
普段は聖女様をチラ見する視線が、マントで見えないやたら挙動の激しいやつに釘付けである。
もはや店員すら視線が離せない様子。
おかげでアドットさんがソフィアちゃんの視線が自分に向いていると勘違いしている始末。
上機嫌に手なんか振っているが、それに対する返事はおそらくないだろう。
「スル、わかってて言ってるよね?」
「え、えーっと呪いのこと?」
「そう」
「……ご、ごめん。だけど本当に大丈夫なやつだからね? それで死んだりはしないから」
「どーだか」
「えぇ⁉ いい加減信じてってば! ね、アドットさんは信じてくれるよね⁉」
「まあ確かに嬢ちゃんが兄ちゃんを呪う理由はないのは確かやな。それとも兄ちゃんなんかセクハラでもしたんか?」
「う……」
思い出すのは初めてスルと出会った早朝。
おもっきし裸体を視界に収めてしまったあの時のことである。
一応隠してあげはしたけど見るものはちゃっかり見てしまっていたのも事実。
それを根に持っていると考えると呪われる原因としてはあるのかもしれない。
にしてもそれで呪うってマジか。
そういうのってビンタとかで許してもらえるものなんじゃないの?
裸見ただけで死んじゃうってマジですか。
ふと前方を見るとアドットさんは僕が言葉に詰まったのを見て爆笑。
聖女様は嘲笑。
スルはといえばアドットさんにフォローされたのが嬉しくてアドットさんをキラキラした目で見ている。
カオス空間のいっちょ上がりだ。
「まあ、それはいいにしても……あんた、ちなみに聖水っていくらかかったの?」
「え? 二万レルですけど……っていやいやいやそれはダメですよ!」
途中でお馴染みの黒い服の中に手をつっこんだ聖女様を見て、すぐに支払いを負担しようとしてくれていることを理解する。
だが、これは完全に僕の失敗から始まった出来事なのだ。
僕が勝手にスルを助けたところから始まって、勝手にカバンに入り込んでいたスルに驚かされて、勝手に宿を提供しただけに過ぎないのだ。
そこに聖女様やアドットさんが負担するべきお金は発生していない。
というか僕が負担すべきお金も入っていない気がする。
しかし、そんなことを気にするまでもなく聖女様は小銭が入った財布を僕の顔へと投げつけた。
「っづ! な、何するんですか⁉」
「どうせ面倒くさいこと言い出しそうだから。そういうのはもらっとくものよ」
「え、いやでも……」
「なんやったらわしが貰ったろか?」
「いらんこというな」
「相変わらずアヴァはわしに対して厳しいな! ははははは」
そして豪快にアドットさんは笑う。
これもアドットさんの優しさだ。
おそらくこのままでは僕が受け取りにくいだろうと判断して、受け取りやすい状況を作ってくれたのだろう。
「あ、ありがとうございます……」
「おう! 気にすんなや!」
「なんであんたが偉そうなのよ……」
「そりゃわしも金だしとるからやな!」
「ぐ……」
珍しく聖女様がアドットさんに対して言葉を詰まらせる。
そしてそれを見てアドットさんは再び気もち良さそうに笑ってみせた。
もうひと月以上も一緒にいるからこそ、この楽しい時間にもなれつつある。
だからだろうか。
そこにある異物には違和感しか感じない。
「ま、これにて一件落着ってやつだね」
「お前が偉そうにするな」
「えぇー……レイバーってばわたしにだけきつくない?」
「え? そう?」
完全に素である。
おかげで素で驚いた声を出してしまった。
だが、スルはそれが気に食わないのか、面倒くさそうに机に突っ伏してこちらを見る。
「そうだよ。わたしだって一生懸命生きてるんだからもうちょっと優しくしてくれたっていいじゃん」
瞬間、僕はひとつのことを思い出した。
そうだ、スルは猫又族なのだ。
猫又族は国単位で嫌われているということを知って、どうしてここまですぐに考えが至らなかったのだろう。
きっと彼女は僕なんかよりもずっとずっと生きるのに苦労してきたのだろう。
人を信じるのなんてとっくに諦めていたのかもしれない。
なら、彼女は僕に助けを求めたあの時、どれほどの決意を持っていたのだろうか。
きっと見つかる人に見つかっていれば殺される可能性だってあったし、そうでなくとも厄介事に首を突っ込まないと考える人はいっぱいいる。
何ならあのまま強姦される可能性だってあった。
そこまでの覚悟を持って、それでも僕に助けを求めたのだ。
だが、僕は何も要求しなかった。
見返りも何も要求しないで人に助けられるのが彼女にとってはどれほどの救いだったのだろうか。想像することすらできない。
ならば、彼女は僕に対してどう接しようとしているのか。
考えなくともわかる。
きっと少なからず恩義を感じて、恩返しをしようとしているのだろう。
でも、人の世と自分を切って離していた彼女にとって、人間にどう恩を返せばいいのかわからないのだ。
だから、結果的に空回ってばかりいるのだろう。
そう考えると、すっと胸に落ちるものを感じた。
「? どうしたの?」
「……いえ、大丈夫です」
ならば、彼女がああもしつこく主張していた呪いは、やはり彼女の言う通り無害なのかもしれない。
「少し、確認したいことができただけですから」
店を出て道を一本入ったところは明かりなんて殆どない、薄暗いものだった。
民家から漏れ出る微かな明かりが、僕たちふたりの顔をほのかに照らす。
なんというか、懐かしい光景だった。
以前と違い、壁に叩きつけられていないだけなのに、妙に僕が成長した気分になる。
「で? 急に私なんか呼び出してどういうつもり?」
「いえ、ちょっとお聞きしたいことがあって……」
「なに? どうしても今じゃないとダメなの?」
「いえ、必ずしもそういうわけじゃないんですけど……」
「なら、後にしましょ。二人してずっと抜けてるとアドットに変な勘違いされそうだし」
「え? ああ、なるほど。確かにそうですね」
僕がそう答えると、なぜだか聖女様が足を止めて、こちらを覗き込むように振り返った。
「はぁ……もういいわ。なに?」
「え?」
「私に聞いて欲しいことでもあるんじゃないの? 言ってみなさいよ」
「え? や、でもそれは後って」
「でも今聞いて欲しいんでしょ?」
「……はい」
不思議だ。どうして聖女様は僕の考えていることがわかるんだろう。
すると、聖女様は再び大きく息を吐き、僕と人ふたり分ほどのスペースをあけて、酒屋の壁へともたれかかった。
「お悩み相談ったって、別に大したこと答えられないわよ?」
「いえ、ちょっと聞きたいことがあるだけですから」
「ふーん……そ」
何かつまらなそうな声音で聖女様が言った。
「あの、もしあれだったら全然答えてくれなくても大丈夫なんですけど……」
「面倒くさそうな前置きね」
「え? あ、はい。ごめんなさい」
「ああ、もういいわよ。それで?」
「聖女様って、聖女様として生きてきた中で大変だったことってありますか?」
「……――そんなの……あるに決まってるじゃない」
聖女様の声が、途端に重みをまして響いてきた。
迫真に迫るというかなんというか、ともかく今までと何か違う声色に、思わず聖女様の方へと首を向ける。
殆ど黒に塗りつぶされていたが、それでも微かに除く肌の色や瞳は、何か重いものを背負っているように見えた。
「え、あ……」
咄嗟に言葉に詰まる。
それはきっと僕の質問に対する答えというよりは、今まで僕が見たことのない聖女様の表情に対して驚いているのだろう。
しかし、聖女様は暫くすると一度大きく息を吐いて、空を見上げた。
いつの間にか雲が切れていたのか、大きい白と小さい赤、二つの月が星たちと共鳴するように明るく光る。
月明かりに照らされて輝く聖女様の瞳は、いっそ幻想的なまでに美しかった。
「それって……あのスルとかいう猫又族の子の話と関係ある?」
「……は、はい」
「そう……」
聖女様が短く吐いた息が、白く輝く。
ただそれだけなのに、彼女の今の姿があまりにも幻想的なせいで、いっそ飲み込まれてしまいそうになる。
完全に、見とれてしまっていた。
聖女様はしばらく黙っていたが、やがてもう一度大きく息を吐くと、こちらへと首を向けた。
「ねえ、知ってる? 私って冒険者になってから自分から聖女って名乗ったことないの」
「え?」
「や、まあわざわざ名乗るのもどうかって思う部分もあるけど。なんというか名乗りたくても名乗れるものじゃないのよ。聖女って肩書きは。そう考えると確かにあの子と一緒かもね」
「……え、えーっと……? 聖女様? 言ってる意味がイマイチ……」
「まあ、でも猫又族と聖女も聖女も簡単に分かる証拠があるからそう簡単には騙れないってのが世間の常識だけどね」
そう言って苦笑する聖女様。
いつもよりも幼く見える純粋そうなその笑顔は、決して今まで僕には向いたことのない顔だ。
それを見たら、やはり僕は言葉を失ってしまう。
「だからあんたも私のところに来たんでしょ? スルは表面上取り繕ってるけど、根っこの部分は私と同じ。アドットというよりも私と同類なのよ」
「え? や、あの……」
「まあ、いつから気づいていたのかは知らないけどなら私からしてやれるアドバイスなんてひとつだけよ。放っておきなさい。変に気遣われたりしたら、余計戸惑いを大きくするばかりよ」
「いや、でも……」
「そう? でも実際にスルは戸惑ってたんじゃない?」
「……」
今度は先ほどとは別の意味で何も言えなくなってしまう。
「ま、つまりはそういうことよ。確かに優しくするのに憧れるのはわかるわ。私もそうだもの。でも、自分が優しくしていると思っているだけで、相手にとっては迷惑なことだってあるってことよ。じゃあほら、帰りましょ」
「え? いやちょっと待ってくださいよ」
「嫌よ」
最後に今までのことをすべて忘れるかのように、いつも通り口調でぴしゃりと言った聖女様は、僕にかまうことなく曲がり角を曲がって店の中へと消えていった。
ただ、取り残された僕には聖女様の言葉が重く刺さっているのを感じた。
善意の押しつけ、確かにそれは言われてみればそうなのかもしれない。
戸惑っているスルに、僕の自己満足のために優しく振舞うのはどうなのだろうか。
そう考えると聖女様の言っていることは正しいのかもしれない。
でも、ならあなた達はどうなんだ。
人より少し特殊なだけで別に誰が頼んだわけでもないのに、聖女なんて世間に祭り上げられて、その後の一生を半強制的に決められる。
にも関わらず、まるで自分の身を切るかのように、誰に対しても優しさを振りまいては感謝される。
それこそ、その善意の対象を選んだことなんてないだろうに。
もしかすると、その優しさの恩恵に授かった人の中でも不幸になった人はいたのだろうか。
浮かんだ疑問は心に大きなよどみを作っていった。
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