第13話 呪い (後編)



 翌朝。

 ギルドに行くと、アドットさんが手を振ってくれた。


「お、兄ちゃんも来たな。んじゃあ今日は軽めにゴブリンくらいにしとくか」

「そうですね」


 アドットさんの表情も幾分か強ばって見える。

 でも今はアドットさんよりも背中の猫のが怖い。

 カバンとか突き破って呪い増やされたりしないだろうか。


 というかそもそもどんな呪いをかけられたのかも不明である。

 ただ、昨日つけられた歯型は、血が乾いた色にしてはおかしい、鮮やかな赤色へと変色していた。

 呪いなんて見たことない僕から見ても異常だった。


 なんかこうしっくりくるのはこの赤色が徐々に体を蝕んでいって最終的に真っ赤になって死ぬ、みたいなやつだ……あかん。

 これ死ぬやつや。


 街を出て、森の方へと進む途中でカバンを広げて猫を取り出す。

 腹立たしいことにカバンから引っ張り出そうとすると、体をよじって抵抗してきた。往生際が悪すぎる。


 しかし、アドットさんが体を掴むと一瞬で大人しくなる。

 コワモテの勝利である。


「ほら、早く人型に戻れよ」


 僕はアドットさんの手の中にいる猫に声をかける。

 するとみゃーみゃー言って反抗してくる。

 

 ただ、アドットさんが顔を覗き込むと途端に静かになった。

 一々そのステップを踏まないといけないのだろうか、流石に面倒くさいぞ。


「はぁ、じゃあこれでいいでしょ?」

「だから人面猫スタイルは気持ちわるいのでやめてくださいって」

「気持ち悪いとか言わないでよ! わたし結構お気に入りなのに!」

「いやそうは言われても……」


 完全に猫の体に人の頭が乗っているだけの姿を気持ち悪がるなという方が難しい。

 いくら猫耳が生えているとはいえその顔は人間の少女。

 猫の体とは一体感などまるでない。

 キメラの類にしかみえないのだ。


 ふと、先程から会話に全く参加していない聖女様を見る。

 すると何やら呆れた様子でこちらを見ていた。


「もうそんなのどうでもいいから早く本題に入りましょうよ」

「本題?」

「とぼけないで。あなた、呪いをかけたわね?」

「何のことかなーなんてとぼけちゃったりしたら……ダメ、だよねごめんなさい」

「わかってるなら早くして」

「……か、かけました――けど違うの! 別に害とかないの! 絶対大丈夫なやつだから!」

「え? そうなんですか?」

「なんでそんなにあっさりと騙されるのよ。ほら、これ見なさいよ。もう明らかにまずいでしょ」


 言いながら僕に近づいてきた聖女様がズボンの裾をたくし上げる。

 そこには相変わらず真っ赤になった歯型がついている。

 血はもう止まったのにその充血は一向に引く気配がない。

 確かにおかしい。


「ち、違うの! それはまあ一種のマーキング的なあれで……だから大丈夫なの!」

「そんなの誰が信じられるのよ」

「信じてよ! 私別にレイバーを助けこそすれど呪うようなことされてないよね?」

「え? あ、あー……確かにそう、なのかな?」


 言われてみれば僕は壁に挟まった彼女を助けた経歴こそ持ち合わせてはいるが、彼女に恨まれるようなことはした覚えがない。

 裸を見てしまったということはあるが……昨日の態度を見る限りそんなことを気にするタイプでもなさそうだったし。

 というか僕はなるべく人の恨みを買わないように顔色伺って生きているので、恨みを買うようなことをできないのだ。

 なんという小心者魂。

 復讐とかされるの怖いもんね。


「じゃあなんでこいつを呪う必要があったのよ」

「だ、だから別に悪い呪いじゃないんだって……」

「……どうだか」


 聖女様はスルの発言を信じる気が一切ないようで、疑り深い眼差しを送っている。

 一方でスルは聖女様に怯えて視線が常に泳いでいる。

 額に浮かぶ汗なんかを見ると嘘を見破られて焦っている人のよう。

 先ほどの話の信憑性がぐっと下がる。

 是非ともやめてほしい。


 すると、たまらずといった様子でアドットさんが会話へと入ってきた。


「ま、とりあえずはこの猫又族の話も嘘やないみたいやけどな」


 思わぬ援護射撃にバッとスルはアドットさんを仰ぎ見る。

 人面猫の上目遣いとか勘弁して欲しいところだが、アドットさんはまるで気にする様子もなく話を続ける。


「わしが聞く限り特に怪しいこともなかったし、異様に心拍数が高いのはおかしいけど、それはアヴァが怖いってだけで説明付きそうやしな!」


 そう言って決めてやったぜと言いたげな表情でこちらを見てくるが、乾いた笑いしか生まれない。

 聖女様も完全スルーだ。


「心拍数って……アドットさんそんなこともわかるんですか?」

「おう。まあ獣人あるあるみたいなもんや。殆どの種族は人間よりは耳と鼻はええやろうからな」

「へ、へー……」

 

 アドットさんどこまで高性能なのだろうか。

 というか心音が分かるってそれこそ今アドットさんがやったみたいに嘘か本当か見分けられるってことになるのでは? なにそれ怖い。

 ということは、スルも実は僕の心音を読んでいたりするのだろうか。


 ちらりと視線を下にやるもキョトンとしている。

 わからないけどなんか腹立つ顔だ。


「ま、そういうこと。ほら、これで三対一ってことよね?」

「勝負してないけどね。というかいつから僕あなたの仲間になったんですかね。というよりもとりあえず早くこれ解呪してくれませんかね⁉」


 まくし立てるように叫ぶが、スルは素知らぬ顔でそっぽ向いた。

 流石にイラッときて頭にチョップ。猫が間抜けな声を漏らす。


「何するの! こんな愛らしい動物にする態度⁉」

「早く解けよ! 僕いつ死ぬかヒヤヒヤしながら生きるのなんて絶対嫌なんですけど⁉」

「だから死ぬなんてそんなもんじゃないってば!」

「なら解呪しても問題ないよね⁉」

「……解けない」

「……は?」

「解けない。呪いを刻むことはできても解くことはできないの! でも大丈夫だって!」

「だから何が⁉」

「呪いといっても大丈夫なやつだから!」

「大丈夫な呪いってなんだよ!」

「……」

「なぜそこで黙る……」


 もはや狂気。会話が全く進まないことがここまで怖いことだとは思わなかった。

 シンプルにスルという存在が理解できない。


「と、とりあえず全員落ち着こうや。な? 流石にヒートアップしすぎやて。うん、ゴブリン狩りにいこ、な?」


 珍しくアドットさんが狼狽している。

 普段の僕のポジションに強面がいることが妙におかしくて若干の落ち着きを取り戻した。


 そうだ、確かにこれは僕とスルの問題だ。

 聖女様やアドットさんを巻き込んでやるものではない。

 とりあえず今日の依頼を達成するのが先決だろう。


「そうね」

「そうですね。じゃあそれで」

「まあそれが無難かな」

「……」

「な、なに? わたし何かした?」

「まさかついてくるつもりなの?」

「え? ダメ? 私別に戦えるよ?」

「武器は?」

「ない、けど」

「魔法は?」

「さ、さあ? どうだろう……」

「「「……」」」

「べ、別に大丈夫だって!」

「……行きましょうか」

「ちょ、おいてかないでえええええええええ!」


 ポツリと呟いて僕たち三人は足をすすめた。

 後ろからついてくる泣き声はもう知らない。

 呪いは帰ってから教会に行こうと決意した。



 予定通りあっさりと依頼を完了した僕たちは、夕方になる前に街へと戻ってきた。

 ここで驚いたことは僕もゴブリンくらいなら一対一でも戦えるように変わってきていたことだ。

 いくら大半が見ていただけとは言え、二人にひと月以上もついてまわっていたら戦い方というものを目が勝手に盗んでいたということだろうか。


 魔法の用途も思ったよりも幅を利かせられるようになってきた。

 具体的には今まで一メートルしか出せなかった土壁を一・五メートルまで伸ばせるようになった。

 驚異の伸び方である。


 そして街に帰ってきたら解散という流れになった。

 僕よりも特に何をしたわけでもないスルも、なぜだか報酬を受け取った後、各々街へと散っていったわけだ。

 正直今日の依頼達成料は雀の涙というのも贅沢なほどの額だが、なけなしの金を叩いて大衆浴場へと赴いた後、今へと至る。


「なっがいモノローグだね」

「まあいろいろと言いたいことはあるけどとりあえず何言われても腹立つからちょっと黙っててくれる?」

「ニャハハ……ひどい言われよう」


 ここは教会。

 アルアーナの中でも一番と言われる司祭様がいると言われるサンクリッド教の教会だ。

 ちなみにサンクリッド教というのは世界でも二番目に教徒が多いらしい。

 僕は無宗派だから関係ないが。


 ただ、白く塗られた壁面といい、シンプルな作りといい、教会の作り自体はとても僕好みだ。


「君が僕の呪いを解いてくれたらわざわざここに来るまでもなかったんだけどね」

「解けないんだもん。しょうがないでしょ?」

「はぁ……もういいよ。とりあえずここで出た出費は払ってもらうから」

「えー……」


 まあスルの過失かと言われると、どうなのかという部分はある。

 それに、スルが再三にわたって主張し続けている『大丈夫な呪い』という部分も全く信用していないわけではない。

 なので、別に教会で支払う料金くらいは自分で払おうかと思っているのだが、ここで一応脅しておかないと調子に乗りそうなので口では言っておくことにする。

 そんな僕の考えを読んでいるのかいないのか、スルはわざとらしく残念ぶってみせた。


「で、そもそもなんだけどなんでスルがここにいるの?」

「へ?」

「や、別に呼んでないよね? それにそんな変装までしてさ」

「えーいいじゃん。ダメ?」

「シンプルに怪しすぎる」


 スルの今の格好はアドットさんから借りたであろうスーパーオーバーサイズのマントにすっぽりとくるまって、体格すら不明瞭。

 顔も鼻から下しか見えない。

 いかにもな暗殺者の装いだ。

 とても教会を訪れるような服装ではない。


「だって、猫又族だってバレたら捕まって処刑されちゃうかもだし」

「なら来なきゃいいんじゃ?」

「や、それは罪悪感的な部分があるし……」

「そこは律儀なのか。……でも別にいいよ。正直そんな怪しい格好したやつを連れてたら僕の話聞いてもらえなさそうだし」

「正直か。美少女を侍らせといてなんて言い草だ!」

「あー、うん。そうだね」

「軽く傷ついた! 軽く傷つきましたー、ってなわけでわたしもついていくね」

「ごめん。ってなわけでの要素がどこにあったのか教えてくれる?」

「ってなわけではってなわけででしょ!」

「ってなわけでってなんだよ。その言葉の間にどんな考えがあったんだよ!」

「ってなわけではってなわけででしょ! その前に出てきた話題から後ろへ繋げるための接続詞だよ!」

「じゃなくて! ってなわけでとして成り立ってないって話!」

「じゃなくてでもなくて! ってなわけではってなわけで!」


 そのままヒートアップしていく会話。

 もはや僕らも止めるところを見失ったまま進んでいった。

 ねえ、こういう時って教会の人が「うるさい!」って怒鳴りながら扉を開けるものじゃないの? 知らないけど。


「し、失礼しまーす」


 もう二人とも流石に疲れてきたというところで、どちらともなくドアに手をかけて扉を開く。

 ギィと、重たい音がしながらゆっくりと開いた扉の向こうには、これまたシンプルな作りの教会。


 真ん中の通路を挟んで多人数用の椅子が並んでおり、そのさきに祭壇のような一段高い作りになっている場所がある。

 ちなみに人は誰もいないようだった。


「あ、あの。少し相談したいことがあるんですけど……神父様っていらっしゃいますか?」


 恐る恐る尋ねてみるも無反応。

 やたらと僕の声が反響してとても怖い。


「留守じゃない? 出直したら?」

「それじゃあ呪いを解けないでしょ」

「だから別に解かなくてもいいんだって……」


 またしても口論に発展しそうな予感を感じたので、僕はそこで会話を早々に打ち切って教会の中へと足を踏み出す。

 人一人いない割には、すみずみまで掃除が行き届いているのが分かる。

 おそらく今もただ留守にしているだけなのだろう。


「まあ、ちょっと待ってたらくるだろうし」

「えー。わたしにいつまでこの格好でいさせる気?」

「別に強要した覚えはこれっぽっちもないんだけどね」

「ニャハハ……」


 苦笑を浮かべているのだろうが、口元しか僕の方からは判断できない。

 うん、やっぱり教会に教えを請いに来る人の格好ではない。

 叩き出されそうな予感。

 と、そんな時。

 再び重たい音とともに教会の入口の扉が開いた。


「おや、客人かぃ?」

「そのようですねシスター、マーダック」

「マリダだよ」

「失礼しましたマリドンナ」

「もういいさね。それで? あんたたちは?」


 入ってきたのは、いかにもな修道着を着こなし両手いっぱいの荷物をかかえるウェーブがかった金髪金眼の二十歳ほどの女性と、五十を超えたラフなパンツを履いた白髪のおばあさん。

 一見すると金髪の人がシスターでおばあさんを手伝っているかのようだが、その実会話の流れを考えるにおばあさんがシスターで、金髪の人がそのお付の人といったところだろう。


「……スル」

「あ、僕はレイバーといいます。今日は少しお願いがあるのですが……」


 なるべく怪しまれないようにスルは短く自己紹介をしたようだが、不審者っぽい格好と合わさって余計に怪しい。

 シスターもガン見だぜ。


「ああ、まちな。あんたら、宗派はどこさね?」

「え? いや、僕は田舎の出なんで無宗派ですけど……」

「同じく」


 シスターがそれを聞くとヒクヒクと耳が反応した。


「シスターマルザ、これは信徒ゲットのチャンスでは?」

「こら、そんなこと気にしてる場合じゃないさね。とりあえず要件を聞いてからさね」

「シスターマルゲアブルが水魔法を使えるということを明かしてやりましょう。そうすればきっとあいつらはその力に驚いて信徒ゲットです」

「やめな。こういうのは力で入信させるもんじゃないさね。あくまで自主的に見えるようにさりげなくっていうのが重要さね」

「いや、ここはさきにガツンと言っておいたほうがいいでしょう。――おい、お前たち」

「え?」


 金髪の人がシスターから何を言われるでもなく一歩こちらへと踏み出す。


「何をしに来たのかは知らんがとりあえずサンクリッド教へ入信しろ。全てはそれからだ」

「え、えーっと……」


 この人全く顔の筋肉を動かさずに話すからとてつもない違和感を感じる。

 無表情というより腹話術でしゃべっているかのようだ。

 ただ、それでも金髪の人がしゃべっているというのはわかるから驚き。


「不満か? なら仕方ない、今ならシスターマルボラの水魔法で当面の生活用水を無料にしてやっても構わんぞ?」

「いや構うさね。グラ、あんた何言ってるさね」

「……」


 シスターがグラと呼ばれた金髪の人の肩を掴むと、一瞬黙った後、すぐにシスターの耳元に顔を寄せて何事かを話し合う。

 そしてその数秒後、グラと呼ばれた人の頭には拳骨が降ってきた。痛そうである。


「はあ……失礼したさね。で? わざわざこんな辺鄙な教会に何しに来たか聞いてもいいかい?」 

「え? あ、はい。えと、ちょっと相談したいことがありまして。こっちの彼女はその付き添いなんですけど」


 そう前置きして、スルが猫又族ということを隠した上で猫又族に足を噛まれたということを打ち明けた。

 シスターははじめこそうんうんと頷いてはいたものの、呪いの跡を見せたあたりから顔が強ばって行った。

 ちなみにグラさんは終始無表情を貫いていた。


「とまあ、そういうわけで呪いを解いてほしいんですけど……」

「ふむ、まあ猫又の呪いにかかったと。なるほどね……ちなみにその呪いにはどこでかかったさね?」

「え? いやまあ多分宿だろうとは思うんですけど」

「ふむ……」

「ならこの街に猫又がいる可能性が高いですねシスターマリエンヌ」

「そうさね、坊や。とりあえず今は聖水を作ったげるからそれで様子みな。ただ猫又の話は絶対によそでしちゃいけないさね。したら大変なことになるさね」

「え? あ、はい。わかりました」


 おそらく国単位で猫又を嫌ってるということだから、この街に騎士がたくさん来て徹底的に調べられるとかそういうことだろう。

 お、おう。

 そう考えると猫又族に呪われた僕ってこの国においては相当まずい立ち位置になるんじゃないだろうか。


 安易に教会に行けばなんとかなると思ってたが、意外と早合点だったのかもしれない。

 この人たちは情報を漏らしそうな気配はないけど、今度はそういうことにもっと敏感にならないといけないな……。

 アドットさんたちの言っていたことの重さを理解する。


「んじゃ、またなんかあったらこっちに来な」

「はい。ありがとうございました」


 噛まないように気をつけて、ハキハキとお礼を言った。



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