第9話 猫
今日だけ特別という条件ので聖女様の許しを経てから本日も結局僕たちは一緒に依頼をこなしていた。
このなんだかんだ言って優しいところが聖女様の聖女様たる所以でもある。
さて、そういう経緯で受けた依頼だが、今回は巨耳兎の討伐である。
今まで僕に気を使って、いざとなっても一人で対応できる程度のモンスターを狩る依頼ばかり続いていたのだが、ここに来てC級魔獣の討伐である。
アドットさん曰く少し出遅れていい依頼が残っていなかったそうだが、おそらく今回は昨日も言っていた僕の戦闘経験を積ませるというのが真意なのだろう。
僕の手にも力がこもる。
ただまあ、普通にやっても僕は活躍できないだろうから、援護兼隙を見て攻撃を狙っている。
『ガアアア!』
巨耳兎のシンボルマークとも言える胴体の三倍ほどにまで膨張した耳を辺りに振り回しながら威嚇してくる。
鳴き声はとても兎とは思えない。完全に肉食獣のそれだ。
体長は3メートルほど。
耳だけでなく牙にも要注意だし、高い跳躍力を生かした数トンにも及ぶ体重での踏みつけも即死である。非常に危険な魔獣だ。
「じゃあ兄ちゃん、取り敢えず足元頼むわ」
「はい!」
僕は言われた通りに巨耳兎の足元付近の地面を数メートルほど下げる。
すぐに違和感に気づいた巨耳兎は頭に疑問符を浮かべながらも跳躍でその穴から脱出を図る。
だが、続けざまに土壁を作成。
突然せり上がってきた壁に巨耳兎の足元が掬われる。
バランスを崩した巨耳兎は勢いそのまま豪快に地面へと落下。
「今!」「よしゃ!」
すかさず槍を持つ聖女様と大剣を備えたアドットさんが追撃をしかける。
だがそこは流石にC級魔獣。
すぐに体勢を立て直すと、奇声を発しながら耳を振るって二人を強引に引き剥がす。
巨耳兎の顔からはまだまだ余裕が伺えた。
「んやうっとうしいな! 兄ちゃんもう一回行けるか?」
「行けます!」
アドットさんに返事をするといざゆかん二度目の挑戦。
だがやること自体は一緒なので今回もまた非常に長い戦いになりそうだ。
「だああああ! きっつ!」
「久しぶりに相手したけどこんなに俊敏だったっけ?」
「知らん!」
巨耳兎がぐったりと力なく倒れる横で、同じように倒れこむ僕たち三人。
結局夕方近くまで三時間近く戦闘しっぱなしであったので疲労は限界をとうに超えていた。
偶々草原だから良かったもののこれがまた森とかの地形が複雑なところだったらどうなっていたか考えもつかない。
「いやーでも今回は兄ちゃんにおんぶに抱っこやったな!」
「そんなことないですよ。お二人がいなかったら絶対勝てなかったですし」
巨耳兎には殆どパターンを変えずに攻撃し続けていたら、先に巨耳兎の体力の限界が訪れたらしく、周囲の魔素が枯渇する前に決着は付いた。
なので今回は僕は結局魔法のみでの参加で、ダガーを使った戦闘経験には全くならなかったわけだ。
「まあまあそう言うなて! 巨耳兎は食用やしギルドが丸々買い取ってくれるから今夜はちょっとだけ部位切ってパーティーせなあかんな! ガハハ」
「大声頭に響くからやめて……」
「アヴァもまだまだやな!ハッハッハ!」
「死ね」
僕は聖女様の本気の暴言に軽く震えつつ、軽く疑問に思っていたことを口にする。
「でも聖女様も魔法を使ってたらもっとあっさり勝てたんじゃないんですか? 前から頑なに魔法を使おうとしませんけど何かあるんですか?」
「……こっちもいろいろあるのよ」
「いろいろ?」
だが、それに帰ってくる返事はない。
ああ、そうか。
聖女様も魔法を使ったらこのあたりの魔素がすぐガス欠になってしまうからか。
なるほど、だとしたら合点がいく。
さすがは聖女様、思慮深い。
「それよりも、もうぼちぼち行くわよ?」
「え? あ、はい。わかりました」
聖女様がすっと立ち上がって先を歩き出す。
慌てて僕も続くが、笑いをこらえているアドットさんの姿が妙に気になった。
帰り道は簡単。
北に向かって直進、以上である。
巨耳兎の片耳をアドットさんが肩にかけながら、鼻歌交じりに歩き、それに僕と聖女様が付いていくという形だ。
疲労感こそ否めないが、その分巨耳兎の討伐報酬はなかなか美味しいということもあって、三人ともご機嫌である。
「なーんか、平和やな」
「そうですね」
行きも通ったが、整備された道をひたすら歩いていくだけなので、風景の変化はそれほど大きいものではない。
ただ右手に森を眺めながら左手に草原、これだけ。
たまに行商人たちが馬を引いて歩いていくのみ。
長閑なものだ。
「なんか、魔獣でも出てこんかなー?」
「それはちょっと勘弁して欲しいですね」
「巨耳兎がもう一匹出てきたりして」
「勘弁して欲しいですね」
もう疲労から元気にツッコむこともできない。
おかげで自由なアドットさんがはしゃいでしまい、聖女様の機嫌が若干悪くなる。
そして、そんな怒りの眼差しで聖女様は僕を睨んできた。
え、何? 僕の担当なの?
もっと激しくツッコんだ方がいいの?
一方僕の気持ちを気にしないのがアドットさん。
楽しそうに笑う。
「それやったら兄ちゃんにもう一回頑張ってもらわなあかんわな!」
「いやだからその時は聖女様に……」
「しつこい」
「……えー」
聖女様の風あたりが強い。
どうやらかなり不機嫌な様子。
これからはきちんとツッコミはしようと思います。
許してください。
聖女様の視線のせいで、負傷わけでもないのに背中が痛い。
「っていうかあなたそれなに?」
「それ?」
「カバンの中に何入れてるのよ」
「え? カバンの中?」
「さっきからゴソゴソと気になってたのよ」
「え? いや、そう言われても……」
少し気になって背中からカバンを下ろす。
中には食料類と、回復薬ぐらいしか入っていなかったはずだが――。
口を開いて、隙間から中を覗く。
するとそこには、女性の生首が入っていた。
「――⁉⁉」
驚きのあまりカバンから手を離してしまう。
ドサッと重いものが落ちる音がする。
「ちょ、なによ」
「く、首がっ! 白い女の人が首になっていて、カバンが!」
「なになにわかんないわよ。一回落ち着きなさい」
「? なんやなんやどしたん?」
アドットさんも戻ってきて、楽しそうに話しかけてくる。
だが、今はそんなことは関係ない。
カバンの中に生首。殺人事件である。
それに、ちゃんと確認したわけではないが、首の持ち主は今朝みた猫耳美少女だったのではないだろうか……?
意味が分からない。
パニック必至の状況だった。
「は、い、うぇ? ちょ、ちょちょちょちょちょちょ! うぇ?」
おかげで間抜けな声がひたすら漏れ続ける。
叫ぼうとしても、驚きからうまく声が出ない。
得体のしれない恐怖から、僕はその場から離れようとする。
「ちょっと、落ち着きなさいってば!」
「っづあ!」
だが、そんな僕の尻を聖女様が豪快にキック。
またしても情けない声を出す。
しかし、痛みで一瞬、脳がクリアになった。
「なに? なにかあったの?」
「か、カバンの中に首が入ってたんです!」
「首ぃ?」
アドットさんは頭に疑問符を浮かべながら、僕が放り投げたカバンへと近づいて、持ち上げる。
そして何を思ったのかシェイク。
「ちょ! 何やってるんですか!」
「いや、そんな感触ないやろ。中に何かおるけど」
「ぎゃあああああああああああああああああああああ! っづぁ!」
中に何かいるという不気味すぎる言葉でやっと悲鳴が上がる。
もちろん出処は僕。さすが僕、最高に格好悪い。
そして恐れるあまり聖女様へと抱きついて頬をビンタされた。
最高に格好悪い。
「で? 何が入ってたの?」
「ちょいまち」
アドットさんがそう言ってカバンを地面に置いて、口を止める紐をゆっくりと緩め始める。
聖女様もそれを覗き込むような位置へと移動。
僕はといえば二人から視線を外してその場で立ち尽くすまま。
最高に以下略。
「な、何が入ってますか⁉」
「だーら待ちって――っ! アヴァ!」
突然、アドットさんが鋭い声をあげた。
いきなりの大声に僕の体がびくりと一瞬震えて、すぐに何事かと二人へと視線が移る。
するとそこには、聖女様を突き飛ばすアドットさんの姿があった。
そしてさらにその奥、森の中から日光に光る矢のような煌きが二人へと迫っている。
ここに来て状況を理解。
アドットさんは奥から飛んできた矢の存在に気づき、聖女様を庇うべく押したのだ。
「な――」
そして僕の口が何かを言おうとする前に、アドットさんは上半身の胸元へと手をやって、小刀を抜き取る。
そしてそのまま流れるような動作で矢を弾いてみせた。
この間、二秒もない。
直後、聖女様が地面へと倒れる音と、アドットさんの小刀と鏃が触れ合う音が重なって聞こえる。
だがそこで終わらない。
アドットさんは勢いそのまま二刀目の小刀を矢が飛んできた方へとナイフのように投げる。
先ほどの矢とも引けを取らない速度で射出された小刀は、一直線に矢が飛んできた方へと飛んでいき、カッという心地よい音を響かせた。
「外したか……」
アドットさんが最後にポツリと呟く。
そこでやっと僕の口からアドットさんを追いかけるように声が出た。
「だ、大丈夫ですかっ⁉」
すると僕に背中を向けていたアドットさんはくるりと反転して、「大丈夫大丈夫」と軽く言った。
笑顔である。
「私も特に問題ないわ。ありがとアドット」
「おう」
聖女様も、体を起こしながら言う。
だがこちらは笑顔ではなかった。
驚愕が前面に押し出されており、目を大きく見開いている。
「あれは?」
「わからん、たぶんお前を殺そうとしとったな」
「っ……」
聖女様の顔が強張る。
だが、それは僕も同じだった。
聖女様を殺そうとしていたという言葉がやけに刺さる。
確かにアドットさんが聖女様を突き飛ばしていなかったら、矢は聖女様に直撃のコースだった。
おそらく、アドットさんの言っていることは真実なのだろう。
だが、理解できない。
聖女様ほどの優しくて度量が大きくて美しいという、誰もが憧れる存在を殺そうとしてきた奴がいるという事実がひどく胸に突き刺さった。
「ゴブリン?」
「かもな。にしてはちょっと早かったかもやけど」
「――そう」
聖女様が俯く。
その顔は前髪で見えないが、おびえているのだろう。
アドットさんは、森の中に入った自分の小刀を回収に向かいながら、話しを続ける。
「最近襲われたりとかあったんか?」
「――そんなのなかったわよ」
「へえ……」
アドットさんも少し考えるような姿勢をとるが、やがて諦めたかのように首を振った。
「まあ、一応報告だけして続くようやったらまた考えるか。取り敢えず帰るで」
ナイフを抜き、戻ってきたアドットさんは、あえて容器に振舞う。
そして、理解が追い付かずに怯えている僕の前を通り、先ほどの続きとでも言わんばかりに僕のカバンの口を大きく広げ、にやりと微笑んだ。
「なんや、兄ちゃん猫連れてきたんかいな」
そう言って、アドットさんがカバンの口から引っこ抜いた手の中には、首筋を摘まれて、暴れている真っ白な毛並みの猫がいた。
僕の脳はまたしても情報過多でショートした。
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