第8話 出会いは全裸



 朝、いつもよりも早起きした僕は事件に出会った。


 事件というのは往々にしてなんの前触れもなく起こることが多い。

 例えば朝起きて畑を覗くと大胆に食い散らかされた畑に見たこともないほど巨大な猪の糞が落ちていたり、無茶苦茶強いと評判の冒険者がそれを討伐に来たはいいものの全然相手にならずに逃げ帰ってしまったり。

 どれも突発的に起こった予想だにしなかったことを総じて事件と呼ぶのだ。

 だから、これは僕にとって立派な事件と言えた。


「本っ当に申し訳ないけど、助けて欲しいかなーなんて思って、ニャハハ」


 僕の目の前には、どう考えても人が通れないはずの狭すぎる通路から顔をのぞかせる状態で、身動きを取れなくなっている少女がいた。

 いきなり理解不能だ。


 少女は短く揃えた真っ白な髪と、これもまた真っ白な肌をしていた。

 僕を見上げる瞳は吸い込まれるほど綺麗な青色で、猫耳。

 街を歩けば誰もが振り向くほどの美貌を備えていた。

 そして驚くべきは、その少女全裸である。


 ――全裸であった。


「――!?」


 驚きとは裏腹に、何も言葉が出てこなかった。

 聖女様を毎日のように見ている僕は、今では多少の可愛い少女ぐらいなら外見を取り繕って話せるほどには耐性がついた。

 だが、とびきりの美少女。

 それも全裸ともなると一瞬で脳の許容量をオーバー。

 胸元に行きそうな視線を首ごと強引に脇へと逸らすのが精一杯だった。


「いやー挟まっちゃって。わたしもドジだなー」

「え、えーっと……それはどういう状況で?」


 咄嗟に自分が羽織っていた上着を少女の肩にかぶせるようにかける。

 だが、それでも現状の異常性は何一つとして変わっていない。

 どう考えても人が通れない細道から全裸のまま上体だけ大通りへと出す猫耳美少女。

 やはり脳はオーバーヒートした。


「どういう状況なんだろうねー」

「そ、それはこっちが知りたいんだけど……」

「……どうしても言わなくちゃダメ?」

「や、まあどうしてもってほどでもないけど……」

「…………んーっと、隠してもあれだから言うけど。私猫又族なんだよねー……」

「う、うん。それで?」

「? それでも何も……もしかしてしらない?」

「多分知らないですはい」


 必死に顔を背けながら、何とか会話をする。

 ここで少女のことを見ることができないのは、僕が臆病だということとは無関係で、これ以上危険な光景を見ることは、即ち男としてのアレがアレしてしまう可能性が高いからである。

 助けを求める少女相手にアレをソレしてしまうことは流石に示しが付かない。


 だが、少女にとって何が引っかかったのか、少しの間沈黙が流れる。

 当然少女が今どんな顔をしているのか確認できない僕は会話でしか意思疎通をはかれないわけで、それが途切れたならもう何もできない。

 今はまだ朝早いが、直にギルドへと朝の依頼確認のために冒険者たちがやってくるだろう。

 アレがアレしている冒険者たちへ今の少女を見せるのは流石にためらわれた。


「あ、あのー……」

「君は私を捨てないんだね」

「僕に流石にそれほどの勇気はないですごめんなさい」


 もはや謝罪も口癖だ。


「ニャハハ。そっちから引っ張ってくれないかな?」

「あ、はい。それは了解ですけど……ちなみに下って今何か履いてたりします?」

「今は……履いてないかな」

「ごめんなさいやっぱり無理です」

「ちょ、ちょっと待って! 無理無理無理! 今置いていかれるのはホンっと厳しいって!助けてくれたら後でなんでもしてあげるから!」

「ちょ、なんでもってそんな……」


 今の状況があるだけにその”なんでも”という部分の妄想を膨らませてしまった僕は、もう鼻血が出そうなほど朱に顔が染まっていくのを感じた。


 だが、煩悩のすぐ後に浮かび上がるのは聖女様の姿。

 重なりそうになる二つの思考を分断させて、聖女様へと意識を集中。

 こんな時なら聖女様は……。

 普段は暴走ばかりする僕の足は知らないあいだに止まっていた。


「じゃ、じゃあ手を出してもらえますか?」

「手は通路から出ないなー」

「ぐ……じゃあ、どうやって助けようか」

「脇に手を入れて引き上げる感じでお願いしたいかな」

「やっぱり無理ですごめんなさい」

「まってまってまーって! 無理だって! お願いこんなところで一人にしないで!」

「流石にそれは無理ですって! 色々と限界を迎えますって!」

「じゃあ、顎を持つ感じでどう?」

「ああ、それなら……」


 そう言って手探りで猫耳少女の顔を探して、顎を掴む。

 驚く程小顔だ。


「じゃあ、行きますよ? 痛いからって怒らないでくださいね?」

「大丈夫だって、怒らない怒らない。あ、でも痛すぎるのはちょっとかんべ――」

「せーの!」

「にゃあああああああああああああああああああ! いだああああああああいだいだいだいだいだああああああああああい! ギブギブギブ!」

「え⁉ あ、ごめんなさい!」


 咄嗟に顎から手を離す。

 痛いのは我慢するというので思い切り引っ張ってみたものの力加減がうまくいかなかったらしい。


「げ、限度を考えてよ! あと二秒あの状態が続いたらたぶん頚椎ごと頭蓋骨が引っこ抜かれてたよ!」

「ご、ごめんなさい」

「ったく……案外君力あるねホント」

「ああ、一応冒険者なので」


 動きやすさを重視するために普段はダガーを使ってはいるが、冒険者稼業は肉体労働。

 筋肉は邪魔にならない程度につけていこうと心がけてひと月。

 それなりに筋力はついてきていると自覚していた。

 ちなみにアドットさんと腕相撲をすると一秒で負ける。

 聖女様は頑なに相手をしてくれないがおそらく負ける。


「でもそうなるとどうするのが正解なんでしょう? もう直に人が集まり出してもおかしくないと思うんですけど」


 先ほど猫耳少女があげた悲鳴はここいら一体に響き渡るほどの声量だ。

 あと数分もしないうちに何事かと後期心旺盛な冒険者たちはやってくるだろう。


「後ろから押す――のは無理かな? 無理か。じゃあやっぱり脇を使うしか……」

「それは無理ですごめんなさい」


 おそらくそれ以上の解決策は出てこないだろうが、それはもう本当にやばいことになる。

 絶対に避けたい選択肢だった。


「じゃあ……ダメだね。もう何にも思いつかないや。ごめんね。時間使わせちゃって、ありがと」

「え? いや、それは……」


 見なくても、壁に挟まった猫耳少女が僕を勞ってくれての微笑を浮かべているのがわかった。


 おそらく、これからも少女はこの通りを歩いていく人たちに声をかけ続けるのだろう。

 そこにはきっと下卑た目をしたやつだっているはずだ。


 そうだ、僕だって傍から見たらそんなやつらと外見だけで区別はできないはずなのだ。

 それなのに、少女はリスクを冒してまで僕に声をかけてきた。

 これを蔑ろにするのは、僕の中ではとても容認できることではなかった。

 だが、それでも現状は変わらない。

 家の壁に挟まった少女。

 というかそもそもどうやってそこに入ったんだと声を大にして問いたいが、今はそんな時間すら惜しい。


 遠くに人影がポツポツと見え始めた。

 通りの向こうからは話し声も微かに聞こえる。


 しかしそうは言っても現状は変わらない。

 こうなったらアドットさんが来るまで僕が壁となってやり過ごそうか……そんなことまで頭をちらつき始めた頃。

 ひとつ、頭に神の啓示が舞い降りた。


「ありがとうございます聖女様」

「え? わっ!」


 即座に家の壁へと手を当てて、魔法を使って家の壁の形を一部変化。

 少女が挟まっていた部分に空間を作り出した。

 このあたりの家はレンガが多い。

 だから、土属性の魔法を使える僕なら多少は構造を弄れるのだ。


 外装を丸々変えるなんて高度な技術はついていないにしろ、伊達に一ヶ月地道に聖女様たちとの旅で休憩のたびに椅子を作っていなかった。

 こっそりと聖女様に感謝を告げつつ、数秒の間をおいて再び家の形を元に戻す。


「出られた? 大丈夫?」

「あ、うん。すごいね。魔法でしょ?」

「え? まあ、そうだけど……」


 だが、やってしまってから後悔。

 アドットさんにあまり口外するなと言われていたにも関わらず、魔法を使えることを明かしてしまった。


「お、兄ちゃんやんけ」

「ぬぁい⁉」


 突然降って沸いた声に思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 だが、それも一瞬。

 即座に自分の後ろにいるであろう全裸猫耳少女の姿を隠すべく両手両足をめいっぱいに声がした方へと広げた。

 声をかけてきた人物に気づいたのはそのあとのことである。


「ア、アドットさん? どうしたんですか?」

「お、おう。兄ちゃんこそどうした?」

「僕は思ったより早起きしたので散歩してただけです。それよりアドットさん、早くギルドに行ったらどうですか? 依頼なくなりますよ?」

「や、そりゃまあ行くけど。兄ちゃんはいかんの?」

「すぐ行きます。先に行っててください」


 若干心が痛むのを感じつつ、アドットさんを強引にギルドへと誘導。

 強引極まりないが我ながら手際だけはいい。

 アドットさんは何か釈然としないといった感じだったが、やがて諦めたかの様に腕を頭の後ろに組んで歩き出した。

 それを見送ってホッと一息。

 ──が、


「なーんて、兄ちゃんがわしに隠し事なんか百年早いわ!」

「っっっ⁉」


 踵を返してから一瞬。

 アドットさんは一歩で風を切り裂き、気づけば僕の横へと到着していた。

 その衝撃に、僕は尻から地面へと倒れてしまう。


 地面へ落ちた直後に痛みよりも先に申し訳なさが勝つ。

 アドットさんはいい人だし信頼しているが、女性関係に対しては結構ズボラである。

 ここで裸の美少女なんてものをみようものなら――咄嗟に目をつぶった。


 しかし、暫くして発せられたアドットさんの言葉は、僕の思ったものとは違った。


「なんや、何もないやん」

「……え?」


 僕も先ほど自分が立っていたところを見るも、先程まで羽織っていた上着が一枚地面に落ちていただけだった。


「まあええわ、それより兄ちゃん。まだ相棒見つかってないやろ? 一緒に冒険しよーや!」


 少女はどこへ消えたのか、アドットさんは何を言っているのか。

 またしてもパニックが訪れた脳は、もう限界を超えていた。


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