第3話 聖女様(お怒り)
「どうしてこうなった……」
あのあと冷静さを取り戻すために意味もなくアルアーナの街まで走って戻り、勢いのまま外周をぐるりと回った。
おかげで、田舎で農作物の収穫の手伝いをしていた僕の足も悲鳴を上げて、先程からプルプルと震えている。
植え込みのレンガに座っていても、足がずっと痛い。
いや、だがそれでも今の頭を冷やすにはまだ足りないほどだ。
もうあたりはすっかりと日が落ちてアルアーナは夜の顔へと移っている。
冒険者や就労者たちが騒いでいる中、僕はひとり植え込みで空を見上げる。
星が綺麗だな……。
そんなことを一番脳の表層で考えながら、奥では後悔と興奮が渦巻いていた。
僕は聖女様の胸を……。
言葉にすることすら躊躇われてしまうような罪深さ。
もし仮にあれを人目に付くところでしてしまった場合、その場で処刑されたとしても文句はいえない。それほど聖女様とは高貴で尊敬されるお方なのだ。
いや、もしかすると僕はあの時、アドットさんに処刑されるはずだったのかもしれない。
それを僕が保身のために勝手に逃げ出してしまったという可能性がある。
もしそうならば、
「今僕は指名手配されていてもおかしくはない」
口に出しただけで恐ろしい。
指名手配犯ともなると楽には死ねない。
噂だが、前に連続通り魔をやったという男は、まず初めに牢屋に入れられて断食で極限まで弱らされたらしい。
そして、そこから鞭で叩くなどの通常の拷問を一通りやり、褒美と言わんばかりに栄養価の低い少量の食事、そしてまた拷問……という流れを、男が衰弱死するまでやったとか。
……終わった。
僕死んだ。
お父さん、お母さん、親不孝者でごめんね。
だが、ちらりと周りを見渡す限り僕に不審な目を向けるものはいない。
ただ単に疲れ果てた冒険者を見る目だ。
――なら……大丈夫?
いやいやいやいやいや、僕自身が自分の罪を許すことは絶対にできない。
もし仮に聖女様が警備兵に通報していなくても、僕が犯した罪は消えないのだ。
やはり、ここはひと思いに死ぬのが正しいのだろうか……。
そんな風に思い詰めていると、突然上から声が降ってきた。
「お、兄ちゃんやないか」
「はいい! 今死にますすぐ死にますごめんなさい!」
「?」
手に持ったダガーを滑り落としたところで、やっと状況を理解する。
声がした方を見ると、聖女様の仲間のアドットさんの姿がそこにはあった。
なんだか機嫌がよさそうで、狼人族特有の強面を破顔させている。
数時間前に見た機能性を重視した肌着の上から、上着を一枚羽織っている。
下のパンツはそのままだった。
依頼を終えてリラックスモードといった様子。
「アドットさん……驚かさないでください……」
「別におどかすようなことしてへんけどな。わしそんな怖いか?」
「い、いえ……別にそういうわけでは……」
「なんやはっきりせんな。それより兄ちゃん、もう飯は食ったか? もしまだやったら今から一緒にどうや?」
「ぼ、僕とですか?」
「なんや? 嫌か?」
「い、いえ! それは嬉しいですけど……今お金なくって」
僕の任務の薬草採取は規定量の薬草を摘み帰るのが条件だったので、一つたりとも採れなかった時点で依頼は失敗。
僕の冒険者稼業二日目にして任務達成欄に×がついた。
ただ、担当してくれた方が情報提供料という名のなさけで五○○レルだけくれた。よって本日の給与は総額五○○レル。
全財産で一二○○レル。
ご飯を食べるにしても聖女様の仲間が行くような店で食べるのは不可能だろう。
しかし、アドットさんが突然僕の背をバシバシ叩いてきた。
「んなもんわしが奢ったるやんけ! 今日は珍しく面白いもん見れたしな!」
「ブッ!」
何も口に含んでいないはずなのに吹き出してしまう。
「ありゃ芸術的やったな! わっしりやで、わっしり‼ ガハハっ!」
「ぬおおおぉぉ!」
やはりあれは幻などではなかったことに罪悪感とちょっぴりの幸福感を抱く。
いやちょっぴりは言いすぎだ、わっしり。
「せ、聖女様はやっぱり怒ってらっしゃるんですよね……?」
「まあ怒ってはいるな」
「ガーン」
声に出てしまった。
「まあまあええやんけ。役得やろ役得。取り敢えずわし腹減ってんねん。食いながら話そうや」
「ぼ、僕指名手配とかかかってないですよね……」
「さあ? どうやろな」
「大丈夫なんですか⁉」
だが、僕の叫びをアドットさんは笑いながら誤魔化して、グイグイと背中を押してくる。
そしてそのまま十分強。
昨日の事件があった居酒屋へと到着した。
「あ、いらっしゃいませー! 昨日のお客さんたちじゃないですか! あれから大丈夫でした?」
昨日もウェイトレスをやっていた元気のいい女の子が出迎えてくれた。
「おう! まああいつら程度やったら殴りかかってきても返り討ちやけどな!」
「まあ、お強い! じゃ、二名様ですねー空いているカウンターへどうぞー」
店内は今日もそこそこ賑わっていて、女将さん? の機嫌も良さそうだ。
二人並んで指定された入口近くのカウンターへかける。
「彼女、スフィアちゃん言うんや。ブロンドヘアーがキューティーやろ? あ、でもわしが狙ってるさかい盗らんといてや」
「とりませんよ……というか僕本当にお金無いですからね?」
メニューを見ると昨日も食べた香草炒めの次に安い料理のサラダでも七○○レルもする。香草炒めが三〇〇レルなので、四〇〇レルも違うわけだ。
齧った程度の算術で計算して、泣きそうになる。
この値段差……香草炒めの香草って実は怪しいものなんじゃないだろうか。
そんなことが頭によぎるが、アドットさんはかまへんと快活に笑い飛ばした。
「にしても兄ちゃんまだ冒険者なって日浅いやろ? 黒星狼に追い回されるんなんて災難やったな」
「僕はその後の方が印象に残ってますけどね……」
いろいろな意味で。
いろいろな意味で!
だがアドットさんには伝わらなかったのか、キョトンとした顔を浮かべてついで邪悪な笑みを浮かべた。
「うちの姫さんの感触どうやった? わしはもーちょいおっきくてもええ思うけど……あれはあれで中々やったやろ?」
アドットさんが囁いてくると、それに比例して僕の顔が紅潮していく。
「ちょ、だからやめてくださいって! それ言われるのは……本当に」
周りの冒険者に聞かれでもしたらとんでもない事態へと発展しかねない。
だが、アドットさんはまたしても豪快に笑い飛ばした。
そしてそのタイミングで、いつ頼んだのか肉肉しい料理たちが到着する。
「まあまあ取り敢えず食え食え」
アドットさんに促された安心感で、自分が空腹だったことを思いだす。
僕は遠慮気味にいただきますといって料理に口をつけようとする。
そんな時、店の扉が再びベルをならした。
「アドット、あなたまた……財布持って歩けっていってるでしょ?」
心臓が跳ねる。
今日二度目の華麗な、だけど今の僕には重たい声。
フォークを掴んでいた手が固まった。
「おお、アヴァやんけ! すまんすまん……あ、折角やし一緒に飯どや?」
アドットさんが一瞬こちらに視線を向けて、口元を歪めてから聖女様を誘う。
確信犯だ。
「え? まあ別に構わないけれど……」
聖女様の様子から、幸い僕が誰だかには気づいていないだろう。
だが、時間の問題。
このままの流れでは僕の隣の席へと聖女様が誘導されてしまう。
聖女様が一歩店の床を踏む音がした。
なぜだか眉が反応する。
先ほどから心臓がうるさい。
今僕は試されているのだ。
聖女様に謝るのとお礼をいう機会がアドットさんの好意によって与えられたのだ。
おそらくアドットさんはこれで僕の”格”を図ろうということなのだろう……そういうことなのかな? いや、そういうことだ。
なら、僕が今取るべき行動は一つ。
聖女様が僕に気づく前にお礼と謝罪をするんだ。
疲れではなく緊張で震える足を一喝して、勢いよく立ち上がる。
一度息を大きくはいて振り返る。
「あなたは……」
聖女様が僕に気づいた。
その表情はどうだ? ──穏やかだ。
優しい聖女様のことだ。
おそらく僕の無礼もいつかのようにきっとなかったことにしてくれるのだろう。
だが、それに甘えてはいけない。
そんなことではいつまでたっても小心者の僕の一番嫌いな自分でしかない。
「せ、聖女様!」
僕が切り出すと、その声の大きさに驚いたのか聖女様が一瞬驚いた表情をする。
そんなところも一々可憐で美しい。
「あ、あの!」
そして再び微笑をたたえてくれる。
聖女様は、本当に優しい。
「さ、さっきは胸を揉んでしまってごめんな――」
言い終わる前に、変化は起きた。
まず、客たちが”聖女様””胸”というワードにひっかかって先程までの喧騒が嘘みたいに静まり返る。
そして聖女様の表情が”さっき”というワードで凍りつく。
そのまま、”胸”に移行する前に僕へと手が伸び、”揉”と言っている時にはもう胸ぐらを掴まれて店の外に連れ出されていた。
言葉が途切れたのは、直後店の壁に激突した痛みのせいだ。
だが、これは言い切らないといけない。
僕はそう心に誓って「ごめんなさい!」と言い切る。
すると、聖女様がぐいと僕へと顔を近づけてきた。
ふわりと香る甘い香りに思わず心臓が高鳴る。
「ねぇ。あんたどういうつもり?」
「れ、レイバーです」
「黙れコラ」
聖女様が下から睨みつけるような視線を送ってくる。
先程までの神々しいものとは違い、攻撃的なオーラを感じる。
というか胸が苦しい。
「ど、どういうつもりとは……?」
「だから、どういうつもりで人が居る前であんな話を持ち出したのかって聞いてるの。わかる?」
「ど、どういうつもりって言われても……やっぱり、聖女様が許してくださっていたとしても謝るのが常識か……と、お、もったわけなんですが……」
僕が言葉を発するたびに聖女様の顔が険しくなっていく。
修羅という言葉よりも無の中の恐怖という言葉が近いような表情に染まっていく。
”圧”がとんでもなかった。
「その結果があそこで私に謝ること?」
「そ、のつもりだったんですけど……まずかったでしょう――まずいんですよね!はい知ってました!」
聖女様が明らかに魔獣を見る目に変わったので、咄嗟にフォローを入れる。
だが、逆にそれが神経を逆撫でしてしまっただろう。
聖女様がいよいよ口の周りをヒクヒクを動かし始めた。
「あな――」
「おお、兄ちゃん! 最高やったで? いま店中大騒ぎや」
だが、割って入ってきたアドットさんの言葉で一旦聖女様が息を吐く。
手の力が抜けて一時的に僕は解放された。
「……アドット、あんたわかっててやったわね?」
「何のことやろなー? ッハッハ!」
アドットさんは涼しげに口笛を吹く。
だが、それが嘘なのはどう見ても明らか。
「ええやんけ別に許したれや。兄ちゃんかてわざとやったんやないさかいな?」
「え⁉ い、いや、それはたしかにそうですけど……でも」
「でも? でも何よ?」
「い、いえ……それをなかったことにするのは違うかなーと……」
「兄ちゃんエラい硬いやっちゃな」
「──うっさいアドット! 今はこいつがなんでさっきのタイミング掘り返したかって話をしてんのよ!」
「えーそらそっちのがオモロなりそうやて兄ちゃんもわかってたんやろ。な? 兄ちゃん……あれ? 兄ちゃんは?」
そんな声が遠巻きに聞こえるのを感じながら、再び僕の足は暴走していた。
ただ夜の街を走り、走り、走った。
疲労困憊だったはずなのに、なぜだか痛みは消えていて、足も動く。
夜の風が肌を切るたびに真っ赤になった顔の熱を覚ましていくようで妙に気持ちが良かった。
ただ、それと同時に愚かしい僕を諌めているようにも感じた。
* *
本日もう一話更新します。
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