第2話 冒険者デビュー

本日二話目です。お気をつけください。

**


 翌日。 

 昨晩あれだけ唸って就寝時間が遅れたので、当然起床時間も遅くなる。

 宿屋の一階に降りて若い番頭さん? に寝ぼけたまま挨拶をして時間を確認すると案の定正午を少し回ったくらいだった。


「冒険者さん、えらく遅いですね? 今日は休みですか?」

「い、いえ……すぐに依頼を受けに行ってきますよ……ハハ」


 寝起きにも関わらず、若い番頭さん(美少女)に話しかけられて、一気に思考が晴れた。

 同時にパッシブスキル、人見知り発動。

 硬すぎる笑顔が顔の上に張り付いた。


「あ、じゃあお昼……というか朝? まだですよね? よければこれ、余り物で申し訳ないんですけど……」

 そう言って番頭さんは僕におずおずとパンの中に炒め物を挟み込んだサンドウィッチ? を差し出してくる。

「え、いや僕今お金あんまりないんですけど……」

「ああいえ、本当に余り物なんでお金は大丈夫ですよ? もう私お腹いっぱいなんで」


 番頭さんは苦笑を浮かべる。


「いいんですか……? 僕今本当にお金ないんで後で料金請求されても払えるかわかりませんよ?」

「もう、だからいらないって言ってるじゃないですか! 宿泊客へのサービスとでも思って食べてください!」

「じゃ、じゃあ……」


 おずおずと僕は皿へと手を伸ばしてサンドウィッチを口元へと運ぶ。

 サンドウィッチは鹿? か何かの肉と数種の緑黄色野菜などの栄養満点の具をパンに挟み込んでいて、ボリュームも満点……涙が出そうなほどおいしかった。


 そういえば昨日の朝からほとんど何も食べていなかったな……そんなことを考えていると、一瞬のうちに手の中にあったものは消えていた。


「ふふ、そんなに美味しそうに食べていただけるなら食材たちも本望ですね」

「あ、あの! 美味しかったです! 本当に、……ありがとうございました!」


 言葉が口を出てから気づく。

 何だ、別にお礼くらい言えるじゃないか。

 すると、一瞬キョトンとした顔を浮かべた番頭さんはその金髪をさらりと耳にかけて笑顔を浮かべた。


「ええ、お仕事。頑張ってくださいね」

「はい!」


 微かに口元が緩むのを感じながら、僕は勢いよくギルドへと走り出した。



 昼の冒険者仕事斡旋協会、通称冒険者ギルドはあまり混雑していなかった。当の冒険者たちが朝に仕事を見つけて日が傾き出したら帰ってくるのだから当然といえば当然だ。


 僕はカウンター横の依頼が張り出されている掲示板を物色して、E級冒険者向けの薬草採取の仕事を受けて再び店の外へと出た。


 ギルドから教えてもらった薬草最終の大まかな場所は、アルアーナの街から南側に少し進んだ森の中だった。

 森に入ると魔物と出くわす可能性が上がるかもしれないが、比較的街道にも近い場所でも取れる薬草なので今からでも日が落ちるまでには余裕でここへと戻って来れるだろう……と、思っていたのだが。


「薬草が……ないっ!」


 ギルドに教えてもらったプラナ草という植物は、回復薬の材料として多く出回っているもので、白い花弁の背の低い草花だ。

 これは森に入って十分ほどで群生地にたどり着けるはずだったのだが、教えてもらった少し開けた場所に出ても、そこにあるはずの花は一つとしてなくなっていた。


「ギルドが場所を間違えた……? いや、でも確認はしたし絶対ここであってるはず……」


 だが、目の前に広がるのはプラナ草などというには余りにも大層な雑草類の草原。

 ふと、そこで足元にある不自然に割れたり、小さく盛り上がった土に目がいった。

 誰かがここで根っこごと何かを引っこ抜いたあとだ、ということはプラナ草はやはりここにあったのだろうか?


「依頼が被ったのかな……それとも魔獣が勝手に食べたとか?」


 加工しないでもプラナ草には軽度の擦り傷程度なら癒せる効果はある。

 勝手に魔獣が大量に摂取した可能性は十分にあるのだ。

 僕は気落ちしたまま、適当にスライムを狩りに行こうかな……と、今日の収入のことを考えていたその時、


 ガサッ、ガサゴソッ


 音が聞こえたと同時に背後を振り返る。

 しかし、そこには先ほど通った人一人通れるほどの道しか広がっておらず、人やまして魔獣などの姿はない。

 だが、


 ――ゴソゴソッ


 再びの音に今度は腰からダガーを抜いて構える。

 格好つけてみたはいいものの、内心では姿のない音に尋常でないほど怯えていた。

 しかし、そんな気持ちを奮い立たせてじっくりと草むらを観察する。


 今まで戦った相手はスライムしかいない。

 それに、昨日ははぐれゴブリン一匹に追い回されて逃げ帰る始末。

 戦闘力なんてゼロに近い。


 野生のうさぎや鹿くらいなら流石に勝てるが……そんなことを考えながら周囲を警戒していると、再び何かが動く音がして、その奥から一匹の子うさぎが飛び出してきた。


「……何だ、うさぎか」


 そう思って、ホッと息を吐いた次の瞬間。


『グルルルル、ヴルルルルル』


 低く喉を鳴らしながら、うさぎの後を追うようにゆっくりと黒星狼が姿を現した。

 僕と同じかそれ以上の身長を持ち、引き締まった体躯に鋭い牙や爪をギラギラと光らせながら、一歩一歩こちらを探るように植え込みから現れる。


 その姿を完全に捉えたか捉えていないか、定かではないようなそんな瞬間、僕は街道とは逆方向へと逃げ出した。

 後ろを振り返る余裕なんてない。

 背後にいるかもと思って全力疾走、それが今僕に出来ることだ。


 考えがまとまった瞬間、僕は勢いよく地面を蹴っていた。

 最早道などなく、ただ草をかき分けて木を掻い潜って走る、走る、走る。


 どう頑張ってもD級モンスターの黒星狼は今の僕には勝てない。

 というか勝てるだけの力があったとしても怖くて対峙した瞬間に腰がすくむ――そうなったら一貫の終わりだ。


「ッツアァァァァァ!」


 背後からまだなにかの息遣いは聞こえてくる。

 おそらく、やつはまだ追ってきているのだろう。


 怖い……怖い怖い怖い怖い怖い、死ぬのが怖い。


 必死に足を動かす、一歩、一歩今までに感じたことのない速度で走る、だがぴたりと背後から追ってくる息遣いは全く負い剥がせる気はしない。


 ――瞬間、足元に衝撃が走った。


 一瞬の浮遊感、天地がひっくり返った時に、自分が足を木の根に引っ掛けたのだとわかった。

 そして一秒も待たずに背中から落下、勢いそのまま前転を繰り返す。


「あああああああああああああああああ!」 


 舗装などされていない地面で、石や木の枝に顔中を引っかかれながら、転がり続けること十秒ほど――再び、体が浮き上がる。

 瞬時に自分が空中に投げ出されたのだと理解した。それと同時に死を悟る。


「アドット。周りの警戒をしといてって――――ぬぇ!?」


 ついで訪れるのは体中が打ち付けられるかのような痛み。直後に全身を液体が包み込むような感覚。


「どうしたアヴァ!?」


 何かが遠くに聞こえる――人? 

 だが、なんていってるのか聞き取れない。


 ……最早痛みもあまり感じない――……僕は死ぬのだろうか。

 ――わからない。


 ただ、薄れていく視界の中、栗色の髪がなびいた気がした。


「……ぃ、兄ちゃん」


 遠くから声がする、ぺちぺちと頬にリズミカルな感触。

 温かくて、やけに力強い。


「兄ちゃん、そろそろ起きろって」


 どこからか聞こえてくる声は少しずつクリアになっていき、一音一音が意味を持った言葉だと理解し始めた頃、僅かに目が開いた。

 ぼやけ切った視界では、色すら不明瞭で何かがあるとしかわからない。


「……聖女、さま?」


 そう言ってやけに重たい体を起き上がらせようとして――仰向けに倒れこむ。

 力が入らない。

 すると僕の視界に先程から映る何かが優しく顔を覗き込む。


「無理するなって兄ちゃん、まだ寝とかな」

「ああ、ありがとうございます……聖女様」


 徐々にぼやけた視界で全体像がわかるその体、黒い衣服に包まれたのがわかる。

 なぜだかわからないが昨日助けてもらった聖女様だとわずかに機能する脳が判断したその人物は、僕の頬をパチンと挟み込んだ。

 痛みで一瞬くっきりと映る視界。

 ──そこに映っていたのは、


「残念、わしや」

「ほぶっ! ど、あっ……」

「ちょ、兄ちゃん! また気絶すんなて!」


 聖女様とは似ても似つかぬ黒い毛皮に覆われた大男だった。

 突き出た口元が裂け、凶悪な牙がにゅっと顔を出すのをみて、僕は再び気を失った。

 が、すぐに顔に叩かれた衝撃を感じて目を覚ます。


「へっ、あn、あなたは……!?」

「わしか? わしはアドット・グラディル。ほれ、昨日の酒場で会うたやろ?」

「へ、昨日……?」


 昨日の酒場で出会った狼人族の男は一人しかいない、そういえば昨日聖女様も狼人族の男のことをアドットって呼んでいた気がする……あれ?

 ならこの人は……


「も、もしかして、聖女様のお仲間の……?」

「ま、まあおかしいとこもあるけど一応そんなとこ……なんかな?」


 それを聞いて脳のパニックはより悪化。


 聖女様のお仲間の人がどうしてここに? 

 いやそもそも今僕はどこにいるんだ? 

 というかもしかして仲間の人が近くにいるなら聖女様もこのあたりにいるのでは?   

 何一つ処理しきれていないのに疑問ばかりが脳へと降り積もる。


 ふと、妙に肌寒く感じてブルリと体が震えた。

 違和感を感じながらゆっくりと体を起こして自分が下着しか穿いていないことに気づく――下着しかはいていない⁉


「はっ! えっ!?」

「ああ、兄ちゃんの服ならほれ、そこ干してあるわ。もーちょい乾くまで時間かかるかもな」

「え、あ、ありがとうございます……じゃなくって!」


 アドットさんが「律儀か」と言って笑うのを見て、脳が完全に覚醒した。 

 僕の記憶が戻り、現状をなんとなく理解する。


「そうだ、僕黒星狼に追いかけられて……」

「ああ、一緒に降ってきたやつならうちの姫さんが倒しとったで?」

「え? あ、はい……どうも……ん?」


 うちの姫さんが倒した? 姫さんって誰?

 ──なんて無粋な疑問は脳に浮かばない。

 アドットさんと一緒にいた姫と呼ばれそうな人物など一人しかいないからだ。


 なら、聖女様が黒星狼を倒してくれたということか……?


 その思考に至った瞬間、脳裏をよぎったのは感謝よりも情けなさだった。

 聖女様の手を煩わせてしまったことに対する純粋な申し訳なさがこみ上げてくる。

 というかそれよりも、


「やっぱり、あれは聖女様だったんだ……」


 気を失う直前、おそらく川に投げ出された僕の視界に映ったのは昨夜見た天使だったのだ。

 僕のひとりごとを聞いてアドットさんは苦笑しながら肯定する。


「にしても、兄ちゃんこんなとこまで突っ走ってきたんか? 街道から結構離れとんのに」

「え、ええ。黒星狼に見つかってからは本当に無我夢中に走ってきただけで……それで、あの、ちなみにここって……?」

「ここ? ここ……の名前はわからんけど、わしらは角熊討伐に滝まで行った帰りの……街まで半分進んだとこぐらいちゃうかな?」


 滝から街までは相当な距離がある。

 街道を通ったとして森に入るまで一時間もないことを考えると、僕はかなり森の奥まで入っていたようだ。


 ひゅっと水気を含んだ風が体を通過し、再び身震いする。

 忘れていたが僕は今下着一枚はいただけの状態だった。


「あ、あの……濡れててもいいんで服下ろしてもいいですか?」

「? 別にわしの服ちゃうから好きにすりゃええやろ?」 


 そういえばそうだった。

 アドットさんはいい人だと昨日のことからも想像はついているのだが、見慣れぬ狼人族ということもあってか緊張が抜けきらない。


 僕は、「じゃあ……」と、返事をすると恐る恐る干してあった服を下ろす。

 手に持っただけでも、まだ湿り気を帯びていることが分かる。

 ただ、いつまでもパンツだけでは流石にまずい。

 元々は僕のドジのせいなのだから贅沢は言えなかった。


「僕って、どれくらい気を失っていたんですか?」

「一時間も経ってないと思いますよ?」

「あ、意外と……とぉ⁉」


 一瞬流しそうになったが、間違いなく昨日も聞いた聖女様の声が聞こえた。

 鈴の音のような美しい声に続いて、森の奥から聖女様が現れる。

 昨日とは違い黒いパンツと動きやすそうなシャツ、胸あてをし、錫杖を片手にしていた。ただ、その完成された美しさは、全く昨日と変わっていなかった。


 固まる思考。

 紅潮する顔。

 震えだす足。 スリーアウトだ。

 

 だが、暴走する体は言うことを聞いてくれず、上ずった声で意味もなく口から言葉が飛び出てくる。


「せ、せ聖女様⁉ あ、あの、えと、あ、う……」

「?」


 キョトンと聖女様が首を傾げる。

 そんな仕草にさえ僕の胸は張り裂けそうなほど高鳴ってしまう。

 だがすぐに聖女様の頬も僅かに染まり、目をそらした。

 一瞬のうちに僕の心は地獄へと落下する。


 ……き、嫌われた?


「あ、あの……服を、服を着てください……!」

「え? あ、うわあ!」


 地面を見て自分が今まだ下着姿のままだったことを思い出す。

 気持ちを何とかリセットするように頭を振って、ズボンを履き、上を着る。

 やはりまだ水気を孕んでおり、気持ちが悪い。


 だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 先ほどのアドットさんの言う通りならば、僕の命の恩人は聖女様ということになる。それに、昨日の一件の無礼もある。


 しっかりとお礼と謝罪を言わねばならないのだ。


「ご、ごめんなさい! あ、あとそれと聖女様!」

「はい?」


 僕が切り出すと、聖女様は恐る恐るといった様子でこちらを振り向く。

 そして一様にホッとした顔を浮かべると、一歩、近づいた。

 ただそれだけのことなのに、心臓が一度跳ねる。


「あのっ! 昨日の酒場での件のお礼も、ま、まだ出来ていないのに今回もまた……」


 聖女様は僕がそう切り出すのを見て何かを察したのか、優しい笑顔を浮かべる。

 そんな笑みにさえ、体が強ばり、目をそらしてしまう。


 だが、それではいけないのだ。

 もう一度聖女様をしっかりと正面に見据えてお礼をいう、簡単だ。

 今朝宿屋の女の子にだって言えたことだ。

 別にお礼を言うくらい誰にだってできる。


「あり、が……」


 自分の中で決意を固めて顔を上げる。

 聖女様の顔がある。

 大きい目と、すっと通った鼻筋。美しく弧を描く口元。

 肩にかかるほどの髪は一本一本が生きているかのように繊細で綺麗、思わず見とれてしまいそうになる。


 顔中が熱い。

 ただお礼を言いたいだけなのにどうしてこうも口は言うことを聞かないんだ?

 分かっているのに、壊れた魔導人形のように「あり……あり……」と同じ言葉を反復してしまう。


 そして、事故は起こった。

 頭の許容量をオーバーしてしまったのか、血液が熱くなりすぎたのか。

 一瞬だけ、足の筋肉が完全に仕事を放棄した。


 それからは一瞬だ。

 膝が折れて前方へと力なく倒れる。

 反射的に手が前に伸びる。

 柔らかい感触が手のひらに伝わる。


「え?」

「ヒュ~」


 僕は一瞬何が起こったのかわからなかった。

 ただ、自分の体は地面にはついていないということを一秒後に理解。

 そして掌に伝わる柔らかい感触を再確認。

 直後支えになっていたものがなくなり体が再び前倒する。


 情けない声を漏らしながら顔を上げる。

 すると、そこには白い頬を赤く染めた聖女様がいた。

 手は、芸術的とまで言えるその胸元を覆い隠すように位置されて……刹那、自分が今どんな大罪を犯してしまったのかを理解する。


「やるなぁ、兄ちゃん」


 どこかで声が聞こえた。

 どこで? わからない。

 ただ、自分が犯した罪の重さを理解した時、さきほど職務放棄をした戦犯は勝手に仕事を再開し、頼んでもいない方向へと動きだした。

 黒星狼に追われている時よりも更に高速に。


 ただ、もう何が何だかわからないこの状況でも謝るべきくらいの脳は僕に残っていて──


「ご、ご、ごめんなさああああああああああああああああああい!」


 半ば狂乱者のように叫びながらただただ逃走してしまった。

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