ちっぽけな僕と偽りの聖女様

八塚かずや

第1話 聖女様との出会い


「どうしてこうなった……」


 僕は手元に残ったボロボロの巾着と一本のダガーを見て思わずため息をこぼす。

 片田舎の村から冒険者に憧れて、馬車を乗り継ぐこと七回目でようやく辿り着いた冒険者の街〈アルアーナ〉に、十日以上かけて到着したのが今日の朝。

 宿の確保だけを済ませ、さあ、レッツ冒険者ギルドへー……となったはいいものの、宿からギルドに向かう途中で路銀を奪われ一文無し。


 何とか登録を済ませた僕は、指名手配中の黒狼王やモンスターアントなどの凶悪魔獣を横目に、パーティー募集の張り紙を見つけた。

 しかし、声を掛けようにも、血走った目の冒険者たちしかおらず、恐怖から逃走。

 極めつけは街はずれのスライム狩りの依頼を受け、戦っていると、中型ゴブリンが現れ、逃走。おかげで今日の討伐数は――ゼロである。


「やっぱり、僕には冒険者なんて向いてないのかな……」


 客の埋まった酒場でポツリと呟くも、喧騒に紛れていく。

 目の前に並ぶ香草オンリーの炒め物、三○○レル。非常用のお金一○○○レルの三分の一……そんなことを考えると、再び嘆息が漏れた。


「あのーお客様? 相席って大丈夫ですか?」

「え? あ、はい、大丈夫……です……」


 もはや、景気の良さそうな顔をした店員さんに、返事をすることすら躊躇ってしまう始末だ。我ながら情けなさ過ぎて涙が出てくる。

 だが、店員さんはそんな僕を気にするそぶりも見せずに、「ありがとうございますー♪」と返事をして踵を返していった。


 後に残ったのは僕一人……と、大剣を担いだ大男が一人――ん?


「うわああああああああああああああああああああああ!」


「……よっと。兄ちゃん前失礼するで……って、そんなに驚かれたら流石にわしも対応に困るんやが……」


 目の前の大男はそう言って口元を歪める。

 鋭い牙がむき出しになった口元。体中を覆う灰色の体毛と、そこに刻まれた多くの傷。そして、大きく尖った獣耳──見まごうこともなく狼人だった。


 ここで問題。

 人づての話でしか聞いたことがなかった亜人族の、それも大男が目の前に急に現れた時の僕の反応を答えよ。

 解。

 椅子から転がり落ちて勢いそのまま後ろのテーブルを倒してしまう。


「おおおおおおおぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 衝撃で片足が折れたテーブルから次々と料理が落下して、僕の頭の上へとかかってしまう。本来カラコロと軽い音を立てるべき木皿たちが鈍器と成り代わって僕を攻撃してきた。──鈍痛が走る。


「――――――――っ!」


 涙を流しながら痛みが和らぐのを待つこと二秒。

 気づけば、僕の体は地面から離れていた。


「なぁ? おい、坊主……痛がってるとこ悪いけど喧嘩売ってんの?」


 微かに開いた目に映るのは、いかにも柄の悪そうな赤髪モヒカンの男。

 笑顔を浮かべてはいるものの、その顔には至るところに青筋が立っており――非常にお怒りだとすぐに分かった。


「す、すみません! わ、悪気があったわけでは……な、くてで……す、ね……」

「悪気があったわけでは? おい、なんだ? はっきり喋れや!」

「ご、ごめんなさいっ! 悪気があったわけではないんです! 本当に、わざとじゃなくて偶然の事故というか何という、取り敢えずそんな感じなんです! 本当に!」


 胸ぐらを掴まれた状態なので、息が詰まりそうになるが、それをなんとか押し切って謝罪する。

 その辺りになって、ようやく今の自分の状況が理解できた。

 赤髪の男は僕がさっき突っ込んだテーブルの主だったのだ。よく見れば赤髪の仲間と思われる黒い髪の男も僕の方を睨んでいる……明らかに僕が悪いことをした。

 奥に見える店員さんは驚いていて何事かとこちらへと視線を送っている。


 チラリと先ほどの狼人族の人を見る。

 驚いて目を剥いているが、その実何か面白いものを見ているかのような顔。よくよく見るとそこまで怖い感じの人でもないのかな?


「あァ? 余所見かよおい。舐めてんのか?」


 思考を逸らした僕だったが、グイと頭を捻られて、赤髪の男が再び視界に広がる。

 咄嗟にもう一度謝るが、今度は黙っていた黒髪の男が一歩前に踏み出した。


「おい、俺らこう見えてもD級の冒険者なんだけど? それわかってんの?」

「は、はいっ! すいません! 弁償は……今はお金がないんでできないんですけど……いつか……」

「あぁ? いつかだぁ?」

「ほ、本当に今はお金がないんですっ! 信じてください!」


 そう言って体を左右に振る。

 だが悲しいかな一○○○レル硬貨が一枚しかない僕の財布は音が立たない。

 一瞬、男たちの間に動揺が走った。

 が、次の瞬間には僕と男たちの間に大きな背中が割って入ってきた。


「すまんすまん、兄ちゃんら。彼を驚かしたんはわしなんや、飯の弁償はわしがするさかい許したってくれや」


 先ほどの狼人族の大男だった。

 彼が赤髪の男の腕を掴むと、赤髪の男の表情が一瞬苦悶に歪み、拳から力が抜ける。

 一瞬後、ドスンと僕のお尻に刺すような痛みが走って、またも地面に突っ伏す。


 だが、そんな僕の状況はおかまいなし。

 すぐに赤髪の男が僕を指差して吠え始めた。


「許したってくれったって……こいつが俺らのテーブルをぶっ壊したんだぞ? 折角ブラッディバッド討伐祝賀会やってたのに台無しじゃねぇか!」

「せやからわいが弁償するさかい堪忍やて。なんやったら一杯奢るさかい、な?」


 大男がそう言うと、流石に男たちも気が引いてきたのか、勢いを弱めて店員さんを呼ぶ。

 大男は「おおきに」とだけいうと、自分の財布を取り出そうとして――気づく。


「……すまん、わし一銭ももっとらんかったわ」

「「はぁ⁉」」


 これには流石の男たちも憤怒の色を強める。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 絶対持っとるはずやから……持っとるはずやねん!」


 そう言って狼人族の大男は筋肉でパツパツの服の中へと手を入れるも、どこからも財布は出てこない。

 大男は見る見るうちに、焦りの色を濃くし始める。

 もはや先ほどの僕を超えた慌てぶりだった。


 ──って、なんで僕は黙って見てるんだ⁉


 本来は僕が悪いことをしたんだから弁償は僕がしないと……そう思っておずおずとソースまみれの手を挙げる。


「あ、あの……やっぱり僕が……」

「文無しは黙ってろ!」

「ひぇっ!」


 黒髪の男に一喝されて思わず身がすくむ。

 だが、そんなことは男達にとっては関係ない。


 財布が全く見つからない狼人族の男を見て、次第に男たちは顔を赤くしていく。

 呼ばれてやってきた店員さんも、収集がつかなくなってきた現場をどう処理していいのか対応に困った様子。

 女将さんのような人まで厨房から顔を出してきた。


 あたりの冒険者たちの視線も流石にこちらへと集中しており、もう笑えない状況へとシフトしつつあった。

 男たちもそれを分かっているのか、先程よりも勢いづいて話し始める。


「てめぇら……いい加減にしろよ? なんなら今から詰所に――」


 その時だった。


「お待ちなさい!」


 声が聞こえた。

 凛々しくて透き通るような、力強い声だった。

 店の全員が声のした入口を見ると、そこには女神のような女性がいた。


 一見すると喪服のような漆黒の衣服に包まれた細くて美しい肢体。

 長いスカートに包まれていても分かるスラリと伸びた健康的な足。

 手に持つ身の丈程もある錫杖は、彼女の神々しさを高めるかのように調和していた。

 大きく見開かれた栗色の瞳にすっと通った鼻筋、きゅっとしまった口元、その全てが調和なんていう生ぬるい言葉では表せないほどに人間離れしている。

 黒い衣服と対照的な真っ白な肌には傷一つなく、流れる栗色の髪には埃一つ止まっていない――まさに、聖女様だった。


 一瞬、店にどよめきが走る。


「私の前で弱者をいたぶるような真似は許しません」


 弱者――聖女様の言葉が胸に刺さる。

 だが、そんな僕をおきざりに状況は進んでいく。


「い、いや聖女様よ……こいつが俺らのテーブルを……」


 赤髪の男が一歩前に出るが、聖女様が一喝。


「私がお代を払います。……ほら、これで足りるでしょう?」


 そう言って聖女様が一○○○○○レル硬貨を取り出して赤髪の男に渡す。

 男はぎょっと目を剥くが、すぐに隣にいる黒髪の男の脇を肘でつついて店の外へと出て行った。


「あ、ありがとうございます聖女様!」


 数秒を経て、店員さんの言葉を皮切りに、パチパチと拍手がなった。

 拍手は電波していき、すぐに店中を包む歓声へと変わった。


「や、やめてください……私は本当にそんな大したことは……」


 聖女様は頬を染めて僕たちの方へと近づいてくる――近づいてくる⁉

 聖女様は一歩一歩踏みしめるようにこちらへと近づいて来ると、見るも無残な僕たちのテーブルの前で止まった。


「アドット、勝手に行くのはやめてと言ったでしょう?」

「ガハハッ、すまんなアヴァ。腹減ってもうて」


 僕は思わずギョッと目を剥いた。


 狼人族の男の人は聖女様と知り合いだったのか? 

 しかもかなり親しそうに……ひょっとして、僕は大変なことをしてしまったのではないだろうか?


 赤髪の男も言っていたのだから、この人はおそらく本当に聖女様なのだろう。

 聖女様がどれほど高貴な御方なのか、それくらいド田舎生まれの僕にもわかる。

 そんな聖女様と懇意にされている方に僕はなんて失礼なことを……頭が軽くパニックを起こしていた。


「まったく……次からは気をつけなさいよ? はいこれ、あなたの財布」

「おお、すまんな」

「それで……あなたは?」


 聖女様の視線が僕へと流れてくる。

 大きくて切れ長で、今にも吸い込まれそうなほど澄んだ瞳は、聖女様がどれほど純真な存在かを語っていた。


 そして、僕はあることを思いだす。

 今僕は体中ソースまみれの酒まみれでグチャグチャになっているのだ。


「ご、ごめんなさいっ! 聖女様にこんな……」

「ふふっ、大変だったでしょ? ……ほら、立てる?」


 そう言って聖女様が僕へと薄いグローブに包まれた手を差し伸べる――刹那、辺りに動揺が走った。


「あの聖女が……」

「嘘だ……ありえない」

「あいつ、何者だ?」


 優しく微笑みかける聖女様を見て、唐突に自分が聖女様の手を煩わせようとしていることに気づいた。


「い、いえっ! 大丈夫です!」


 焦って立ち上がって、服についた残飯を払う。

 一瞬、聖女様が苦い顔をしたが、すぐにまた優しい笑顔を浮かべ直した。


「怪我とかは……?」

「いえっ! 本当に大丈夫です!」

「そう? 本当に?」


 聖女様がキョトンと首を傾げる。

 そんな何でもない仕草に僕の胸は高鳴り、頬が紅潮する。


「まあ兄ちゃん夜飯に野菜炒めだけで過ごすくらいやから体が丈夫なんやろ!」

「それって丈夫なのかしら……」


 心臓の鼓動は呼吸を通り越して彼方まで飛んでいき、体中が形容しがたいむず痒さに包まれる。

 今すぐにでも走り出したい衝動を抑えながら、ギリギリの理性で今何をしないといけないかを思い出す。


 そうだ、僕は聖女様に助けてもらったんだ……お礼、お礼を言わないと……。

 僕はなんとか喉の奥から緊張で掠れた声を絞り出してお礼を――


「あ、あのっ聖女様! こ、ここ、この度は、助けて、いただ、いたたたただいて……」


 聖女様を見る、美しいお顔だった。

 僕は思わず目をそらす――って、目を見ずにお礼だなんて失礼極まりないじゃないか!


 勇気を振り絞ってもう一度聖女様を見る。


「い、いただいて……」


 やっぱりそらす。

 もう茹でだこの様になっているだろう僕はとても正常な判断を下せなかった。

 そして――


「あ、あり……」

「あ、失礼します掃除させていただきますねー」

「やっぱむりいいいいぃぃぃぃいい!」


 気が付けば、酒屋を飛び出していた。


 やってしまったやってしまったやってしまったやってしまったやってしまった!

 お礼も言わないで飛び出してしまうだなんて恩知らずにも程がある!


 体中の汚れを大衆浴場(の外)で洗い流して、宿に戻るまでは、茫然自失という言葉通りの状態だった。それに、いざ宿について休もうと思い硬いベッドに横になっても、一時間ほど前のことが脳内を駆け巡って悶えるのみ。


 折角聖女様に助けてもらったにも関わらずそれを完全に無視して……ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい!


 枕に顔を突っ込んで、ゴロゴロと転げ回り――ベッドから落下。

 間抜けな声が漏れる。


「どうして僕はこんなに臆病なんだろ……」


 ポツリともらした言葉は闇へと消えていく。


 い、いや! 何を弱気になってるんだ僕は!

 今からでも謝りに――は、流石に遅いから迷惑か……明日謝ってお礼に行こう!

 うん、絶対明日……あ、でも僕そういえば聖女様の泊まってる宿なんて知らないし……。


「はぁ、今日はもう寝よ……」 


 まとまらない思考を強引に切って寝ようとするも、こんな時に限って脳は思考を止めてくれず、なかなか寝付けない。

 姿勢を色々と変えても同じ……思わずため息がこぼれた。

 考えるのをやめようと思うたびに頭に浮かび上がってくる聖女様の優しい笑顔。


「綺麗だったな……」


 何度目かもわからない独り言はやがて虚空へと溶けていった。



**

新連載です。よろしくお願いします。

本日中にもう一話更新します。

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