スマホ婆さん

入川 夏聞

本文

 昔っから、僕はとっても恵まれた子供だった。

 好きなものは何でも買ってもらえたし、ゲームをいくらやっても、ちっとも怒られない。

 朝起きれば、いつもテーブルの上に朝食が用意されている。

 夕方帰ってくれば、いつでも好きな時に温めた夕食を食べられる。

 空いた時間は、宿題を適当にやっておけば他はもう自由時間。

 マンガでも、ゲームでも、動画でも、なんでも、いくらでも。

 で、好きな時間に寝ればいい。


 もうすぐ中学生なので、ついにこの間、僕専用のスマホが届いた。

 ううん、子供用のダサいのじゃないよ。最新型の、全部入り。

 ゲームも好きなだけ入れられるし、マンガも読み放題。

 これだけでも十分だけど、もしも足りないものがあれば、母さんにメッセージを入れれば、すぐに入金完了!

 シャリーンと返事が届いて、何でも手に入っちゃう。

 こんな生活が、朝に一回、夕方に一回、母さんに行ってきます、ただいまのメッセージを入れるだけで手に入っちゃうなんて、最高だよね!


 スマホばんざい!!


 でも、スマホを使い始めて一週間たったある日のこと。

 僕が朝目覚めると、スマホが見たことない婆さんに変わってた。


 マジ、何なんだろ。しわくちゃで小柄な僕よりもっと小さな、ホントのお婆さん。

 スマホを握りしめて寝てたはずなのに、いつのまにか婆さんのカサカサした手を握ってた。

 ううん、ホントなんだ。ウソじゃない。


 僕は部屋中探しもしたけれど、スマホが突然、婆さんになっちゃったのは間違いない。

 だって、聞いてほしい。


 僕がパニクって、「ああッ! 母さんにメッセージ出せないじゃん!」って言ったら、その婆さんはショボショボした目をむにゃむにゃさせながら、「なんて送るんじゃ」って聞いてきた。

 なに、コイツって思ったけど、無視したらめんどくさそうだったから、「学校行ってきます」ってふてくされ気味に伝えたら、なんか婆さんの中? から、ピロんとかいう例の音が聞こえてきて、何だなんだと思ってたら、突然「おはよう、マサひゃん。気おつけて」って入れ歯ふがふがしながら言ってやんの。

 スマホのメッセージアプリを真似してるっぽい。

 声はともかく、内容は母さんのそれっぽかったから、僕はまさか、と思って、「じゃあ、動画見たい」ってリクエストしたの。そしたら婆さんは「どれが見たいんじゃ」なんて言うものだから、「うっせぇわ!」って伝えたんだよね。そしたらなぜか知らないけれど、ホロホロ泣き出しちゃった。で、しょうがないので「えっとね、そういう名前の動画、ないのかな?」って優しく伝えたら、いきなりノリノリになって「うっへえ、うっへぇ、うっへぇわぃッ!(カポッ)」って感じで入れ歯が見えちゃった。


 何言ってんだ、って感じだけど、ホントだからね、しょうがない。

 僕のスマホは、婆さんにアプデされちゃったんだ。ワケわかんない。

 最初はなんだよ、って思ったけど、まあ、すぐに、はい、そうですか、って感じになった。

 別にコレ、僕のせいじゃないし。こういうどうしようもないことって、昔から別にどうでもいいんだよね。


 それで婆さんのことは放って学校に行こうとしたら、ずっとついてこようとするんだ。

 駅の改札も平気でついてきて、電車でもピッタリとなりに座る。

 で、プルプルしだすの。婆さんだから当たり前って?

 とんでもないよ、秒間十六連射くらいでプルプルするんだよ。僕は思わず「うヒャうッ!」って声が出ちゃって、死ぬほど、恥ずかしかった。


「もう、なんだよ」ってイライラしながら伝えたら、ふがふがしながら「ひんちゃくメッへージがありまふ」とか言うの。ため息つきながら、なに?って聞いたら、「ひょうはおはあはん、はへっておゆうはんつふゆひゃらへ」とか、もういい加減にしろって感じで、「使えねえよ、このクソババア!」って言っちゃった。

 そしたらまた、ホロホロ泣き出しちゃったので、あわてて「ごめんね、お婆ちゃん。言い過ぎたよ」って伝えたら、「ええよ、ええんよ」なんて言いながら手を握ってきた。

 しわしわ、カサカサして微妙なひんやり感で、何とも気持ち悪かったけど、にっこりシワが乗ったエビス様みたいな顔でよろこんでいるみたいだったので、つないだ手はそっとしておいた。


 学校のことは、あまり書きたくない。あんな奴ら、死ねばいいのに。

 結局、婆さんは教室までついてきちゃったから、みんなにバカにされると思ったけど、誰も何も言わなかった。婆さんがプルプル床に正座してるのに、みんな無視しているようだった。なぜかは全然、わからない。そういえば、朝の改札や電車でもそうだった気がする。

 ちょっと、この婆さんがうらましいと思った。僕も、無視されてるほうがよっぽどいい。

 掃除の時間、僕はあいつらにむりやり正座させられて、トーテムポールみたいに手を横に伸ばすよう指示された。そして、一人ひとりが「ぞうきんおきば~」と声を立てながら、僕の頭や腕に汚れた雑巾をたくさん乗せていくというワケのわからない幼稚な遊びに付き合わされた。

 僕は目の前でやっぱり正座している婆さんに、何とかしてよ、と口パクで合図を送った。

 すると驚いたことに、担任の先生がすぐに飛んできた。

 親御さんから、すごい剣幕で連絡があった、ということだったので、婆さんがメッセージを母さんに送ってくれたのかも知れない。

 自分では絶対にそんな格好悪いことはやらないけど、婆さんが勝手にやったんだったら、僕には関係ない。


 ともかく、結構いいヤツだと思ったし、軽く礼を言ったらすごく嬉しそうな顔をするので、その日の帰りは婆さんと手をつないで帰った。婆さんはやっぱりしわだらけのエビス顔をして、「ええね、ええねえ」と言っていた。


 婆さんと一緒に玄関をくぐると、なぜか母さんが家にいた。とてもめずらしいので何かあったのかと尋ねると、「あら、メッセージ送ったでしょ。ちゃんと見てないの?」って感じで怪訝な顔をされた。

 あ、今朝電車で婆さんがふがふが読んでたメッセージか、と思い至って、もういい加減にしてよ~って言いながら振り向くと、もう婆さんはどこにもいなかった。


 誰もいない空間の床には、僕のスマホが落ちていた。

 あれ、僕のスマホは、婆さんのはずなのに。


 慌ててスマホを拾い上げて、母さんにぜんぶ話してみた。


「そっか。今日、先生のところへ電話する前に、こんなメッセージが来たのよ?」


 そう言って、母さんはメッセージを見せてくれた。


『僕、いじめられてる。助けて』


「それじゃあ、これ、マサちゃんが送ってくれたんじゃないんだね」

「……うん。僕、こんな気持ちの悪いこと、絶対に言わないよ」

「でも、いじめられていたんでしょ? あとで先生から電話があったわよ」

「別に。どうでもいいじゃん、そんなの」


 母さんはなぜか、とてもさみしそうな顔をしていた。


「ねえ、マサちゃん。今日はね、あなたのお婆ちゃんの命日なのよ」

「……それが?」

「あなたが会ったのは、きっとお婆ちゃん。つまり、私のお母さんだったと思うわ」

「……それで?」

「あなたが生まれる直前に亡くなっちゃったし、忙しくて、どういう人だったかもろくにお話してなかったよね……お婆ちゃんはきっと、あなたにどうしても会いたくなって、買ったばかりのスマホになっちゃったんじゃないかな」

「……へんなの」


 そうね、とつぶやいた母さんは、「お婆ちゃん、本当に、すごく会いたがってたから……」と言って、一枚の写真を見せてくれた。


 胸ポケットから出てきたヨレヨレの写真の中のお婆さんは、間違いなく、スマホ婆さんだった。

 僕は今日あった思い出をなぞるように、その写真をじっと眺めていた。


「お婆ちゃん、優しかった?」

「……別に。ポンコツだったけど、いいヤツだったよ」

「もっと、一緒にいたかった?」

「……」答えづらいこと、聞かないでほしいよ、母さん。

「お婆ちゃんはきっと、あなたとずっと一緒にいたかったと思うわ」

「……じゃあ、なんでいきなり、いなくなっちゃうのさ」


 僕は口を尖らせながら、やっぱり写真を見ていた。

 スマホだった婆さんは、例のえびす顔で微笑んでいる。

 そのとき、ああ、しまった、と思った。

 そうだ、お婆ちゃんは、もう死んでいるんだ。

 だから、なんでいなくなっちゃったのか、なんて母さんに聞くのは、しょうがないことだった。

 あーあ、言わなきゃ良かった。しょうがないことなんて。


 僕はうつむきながら写真を見ていて、母さんがそのとき、どんな顔をしていたかは気にしないようにした。だって、だいたい想像がついたから。

 で、母さんはぽつりと言ったんだ。


「マサちゃん。いつも一人で、さみしい思いさせて、ごめんね?」

「……別に。仕事なんだから、しょうがないじゃん」

「いじめられてるの、気づいてあげられなくて、ごめんね……」

「……別に。言ってないから、しょうがないじゃん」

「お婆ちゃんは、そのこと、きっと伝えようと思って……」


 母さんは、ホロホロと涙をこぼし始めた。


「……泣かないでよ、そんなの、何でもないから」

「ダメなお母さんで、本当にごめんね。一人じゃ、やっぱり、上手く出来ない――」


 そう言って、母さんは床にペタンと座って、両手で顔を隠して静かになっちゃった。

 つらそうな母さんの顔なんて、胸がいたくなるから見ていられないよ。

 どうなぐさめたらいいか、僕にはよくわからない。


 だから、僕は自分のスマホのメッセージアプリに未送信で残っていたメッセージを見せた。


『僕、母さんと手をつなぎたい。今すぐ!』


 何なんだよ、これ……って思った。こんなの、僕は絶対に言わないよ。

 ホント、婆さんはポンコツなスマホだった。


 母さんの手はガサガサに荒れていてひんやりと冷たくて、その割に僕は自分の顔が真っ赤になっているのがわかっていて、ホントはすぐにでも離してしまいたかった。

 でも、母さんは嬉しそうなエビス顔を見せてくれたので、つないだ手はそっとしておいた。



(了)

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