第146話 秘密の誓い
「また来たの? 何か用かしら?」
勝子は病室に入って来た俺の顔を見るや否や、口では嫌そうに言ったが、目は笑っており、多分喜んでいるみたいだ。
「ああ、ご主人様に報告だけど、昨日伊吹を倒した」
「うん。知ってるよ。昨日、入院した麗衣ちゃんが私の病室に来て直接教えてくれたから」
「ちょっ……麗衣入院してたの!」
今朝麗衣は学校に来ていたので、驚いて勝子に聞き返した。
「そうよ。麗衣ちゃんから聞いていないの?」
「いや、アイツ、今朝登校してたんだよ」
「え? じゃあ黙って病院抜け出していたって事かしら?」
考えてみたら口唇裂創と鼻の骨折、顎と肋骨までヒビが入っている麗衣が入院する様に診断されるのは当然の事だった。
「バカだな俺は……そんな事も気付いてやれなかったなんて」
「……話は麗衣ちゃんから聞いたよ……麗、解散するってね。きっと大事な事だからすぐに皆に伝えたかったんじゃないのかな?」
勝子は少し寂しそうにトーンを落とした。
「ああ。勝子は……やっぱり麗の解散は反対なのか?」
「いいえ。麗衣ちゃんの命令は絶対服従だから反対なんかする訳無いでしょ? それに、この体じゃあどの道麗衣ちゃんを助ける事も出来ないから……ただね、結局タケル君を引いた奴は見つからなかった訳だし、今までの努力が無駄になっちゃったのかな? と思うと、少し虚しい気もしてね」
以前の勝子なら絶対に言わないような台詞だ。
やはり、この先歩けるようになるかも分からないという今の状態では、幾ら勝気な勝子でも弱気にならざるを得ないのだろう。
「無駄なんかじゃない。お前が創った麗があったからこそ、俺は救われたからな。タケル君を助けると言う本来の目的とは関係ない事だけれど、俺だけじゃなくて香織も澪も恵も救われた。皆救われたのは麗の中心に勝子が居て、姫野先輩が居て、そして麗衣が引っ張ってくれたからなんだ」
香織が凄惨な過去を経験し、澪が仲間の為に裏で工作しながら、誰にも相談できず一人で苦悩していた事を知っている。恵だってあのまま天網の活動を続けていたらヤバイ大人に目を付けられて殺されていた可能性だってある。
俺は勝子の手を取り、勝子の目を真っすぐ見つめると、勝子の顔を赤面させた。
「なっ……急に何するのよ!」
「ありがとう勝子。お前のお陰で俺は伊吹を倒す事が出来た。この恩は必ず返す」
「恩を返すって……どういう風に?」
「今は言えない」
「勿体つけないで教えてよ」
「今の時点で言うのはその……恥ずかしいし口先だけの奴かと思われそうだしな」
「ふーん……まぁ、別に良いんだけど。寧ろお礼を言わなきゃならないのは私の方だし」
勝子は俺に向かって初めて頭を下げた。
「私の無念を晴らしてくれて、ありがとう武。あと、麗衣ちゃんの事を宜しくお願いします」
麗を解散すると言っても、過去に麗と敵対した連中が麗衣を狙わないとは限らない。
だから、麗衣の事を俺に託すと言う意味だろうか?
「ああ、麗衣は必ず俺が守ってやるさ」
「バカ! それもあるけど、それだけじゃないよ」
勝子はむくれっ面で手を振りほどくと、俺からそっぽを向いた。
「如何いう事だよ?」
「私はとっくに恋を諦めているけれど、今の武なら麗衣ちゃんも付き合ってくれるんじゃないの?」
「え? 俺が?」
勝子からそんな事を言われるとは思わなかったので、俺は思わず勝子の額に手を当てると「熱は無いわよ」の一言で手を払われてしまった。
「その……今のアンタは正直言って格好良いよ。伊吹を倒すなんて私を含めて、多分誰も出来なかったと思う」
「いや、俺が勝てたぐらいだから、勝子だって撃たれさえしなければ伊吹に勝てただろ?」
「慰めは良いわ。私と何回もスパーしているから私の実力も分るでしょ? アンタはとっくに私を超えていたの」
「いやいや、スパーじゃ勝子手加減していたんだろ?」
ボクシング部では勝子と幾度となくスパーリングを繰り返し、拳を交えていた。
マススパーリングが殆どであり、最初は全然敵わなかったが、最近は俺が勝子を上回る内容と思える時も増えていたのは事実だが、所詮はマススパーリングだったし、勝子が俺に合わせている物だと思っていたのだが。
「勿論全力スパーなんか滅多にやらなかったけれど、マスでも実力がどんなものかぐらい分かるでしょ? そもそも、たかがアンダージュニア優勝程度の私が、世界暫定王者を倒した伊吹より強い訳ないじゃない……はぁっ、それにしても」
勝子は溜息を吐くと、話を続けた。
「格闘技経験一ケ月でボクシングの県王者を倒して、半年でアマチュアキック女子軽量級最強の麗衣ちゃんと互角に渡り合ったばかりかと思えば、その二ヶ月後には私を超えて、ボクシングの世界暫定王者を倒した伊吹を倒しちゃうんだもんね……この先一体どれだけ強くなっていくのかしら? 私も昔は天才と言われたけれど、それは違うわ。本当の天才はアンタみたいな奴の事を言うんだろうね」
「そんな事は無い。きっと勝子に教わって、勝子と練習したから回り道が他の人より少なかったんだろ……痛っ!」
俺がそう言うと何故か頭を殴られた。
「無自覚が過ぎると却って嫌味っぽくて腹が立つよ。まぁ、でもそんな武だから強くなれたのかも知れないけれどね、ところで時間は大丈夫なの?」
俺が病室に置かれた時計に目をやると、そろそろ学校に戻らないと部活に間に合わない時間になっていた。
「ああ、時間忘れてた。明日また来るよ」
「結構よ。それよりか空いた時間は自主トレにでも当てていなさい」
「いや、ここまでランニングで来てるから、それだけでもトレーニングになるだろ?」
「やめてよね。汗臭い臭いを病室に残して欲しくないよ」
「うっ……ソイツは悪かったな」
「冗談よ。アンタと散々一緒に練習したんだから、そんな事気になる訳ないじゃない」
気にならないと言うだけで汗臭く無い訳ではないのか?
「……練習もこれからは一緒に出来ないけどね。だから、私なんかのお見舞いに来るより練習をして私を安心させて」
「俺が来ないと寂しいんじゃないのか?」
「へーきよ。暫くの間は麗衣ちゃんが入院しているし、寧ろ麗衣ちゃんとの逢瀬の
ふざけた事を言っているのは勝子なりの気遣いだろう。
あまり食い下がると本当に心配を掛けそうだから、俺は学校に帰る事にした。
「ヘイヘイ。分かりやしたよ。休日に流麗でも連れて見舞いに来るから」
「流麗ちゃんだけ来てくれれば充分だけど、私が居ないとアンタが寂しいんならアンタも来ても良いんだからね」
ツンデレを拗らせた様な台詞に苦笑せざるを得なかった。
「ところで、恩を返すって何をしてくれるの?」
「何年かかるか分からないし、軽々しく言えないな。でも、恩を返すのに勝子の協力が必要になるかもね」
「何ソレ? 何か重そうなんだけど……」
重いと言えば重いことかもしれない。
昨日、勝子が撃たれて彼女の選手生命が終わった事を知り、俺が誓った事は二つあった。
一つは
『伊吹への制裁を下す』
これは昨夜叶えた。
もう一つの誓いは
『勝子に代わり、オリンピックに出場する』
事だった。
アマチュアボクシングは他競技のアマチュアとは意味合いが全く異なる。
実力的に決してプロ以下などでは無く、短いラウンドであればプロの日本・東洋太平洋王者や中には世界王者すら圧倒するような選手も存在する。それらの選手ですらオリンピックのアジア予選で苦戦するレベルなのがアマチュアボクシングなのだ。
旧ソ連圏の国々であり世界のトップレベルであるウズベキスタンやカザフスタンを始め、スポーツ大国である中国、東京五輪では三つのメダルを取得した台頭著しいフィリピン、ムエタイの選手からボクシング向けの選手を引き抜いて国で選手を育成するタイ、潜在能力が高いインドと言った強豪が出場するアジア予選のレベルが異常に高く、過去に内山高志、井上尚弥と言った後のプロの世界王者達ですらもアジア予選の高い壁に跳ね返されていた。
しかも、四年に一度しか行われないオリンピックに出場する事は、ある意味プロの世界王者になるよりも遥かに難しく、険しい道のりだ。
しかも、ある考えがあって例え麗が解散したとしてもキックボクシングを辞めるつもりは無く、少なくても高校生の間は二足の草鞋を履くつもりなので、何年先にこの夢が叶うのか分からない。
だから、今は言えない。
だが、たとえ何年かかろうとも俺は勝子に代わってアイツの夢を叶えてやろう。
それが俺がアイツに出来る精一杯の恩返しなのだから。
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