第107話 草薙神子VS柏次郎 サバットの恐怖

 柏と言う男は狭めに足を開き、ややアップライトに構えると、ボクシングの様に両顎を両拳で挟む様にして構え、若干左手を前に出した。対する神子は後ろ足と頭が真っすぐの軸になる様な姿勢を取り、目の前に拳をやり、肘が胸に来るように構えたシュートボクシングの基本的な構えでサウスポースタイルをとった。


「ハハッ! 随分綺麗な構えだけど、それだけなのか試させて貰うよ!」


 そう言うと柏が距離を詰めジャブの連打を放つ。


 神子は左の奥手でジャブをストッピングで止め、二発目をサイドに踏み込みながら前手の右手のパリングで強く払うと、柏は横を向くような姿勢になり、すかさず右ジャブで柏を打ち、意識を上体に逸らしたところ左ミドルキックで腹の正面を蹴った。


「よしっ!」


 格闘技未経験者相手であれば、それだけでKOになったであろうクリーンヒットに私は声を上げてしまったが、柏と言う男はニヤニヤとした薄気味悪い笑みを浮かべた表情を崩そうとしない。


 試合などでは笑みを浮かべたり挑発している時ほど効いているものだが、そもそもこの男は喧嘩前からずっと薄気味悪い笑顔を浮かべ続けているので、効いているのか効いていないのか察する事が出来ない。


「舐めるな!」


 柏の表情を挑発と受け止めたのか? 今度は神子から仕掛けた。


 右フックを打つようにし右手を伸ばしつつ、右脚を右斜め前にステップしながら、柏の肩口に引っかけて支点とし、左足を大きく右斜め前方へ運び、左サイドを取ると左ローキックを放ち。太腿にヒットさせた。


 この位置は相手の正面に立たず、相手の右の攻撃が届きにくい位置に居るので反撃を貰う可能性が低いのだ。


 テクニックだけであれば麗衣先輩に匹敵する神子の実力は本物だ。


 並みの相手であれば安心して見ていられるが、この優勢な状況にも胸騒ぎが収まらない。


「ヤルねぇ~試合なんかだとさぞかし強いんだろうねぇ」


 ミドルと言いローと言い、結構いい攻撃が入ったにも関わらず、相変わらず薄気味悪い笑みを絶やそうとしない。


 神子の強さに驚くよりも、寧ろ楽しんでいる様に見える。


 神子の方もこの男の底知れぬ気味の悪さに不安を感じているのだろうか?


 優位に戦いを進めているのにも関わらず、一切の余裕を感じさせない。


「キモイんだよ! テメーは!」


 神子は右ストレート、いや空手の中段突きを柏の胸元に突くと、左腕を顔面の前に置きながら左ローキックを柏の太腿に打ち込んだ。


 ローキックに繋げるリードパンチを打つ場合、顎を狙うよりも相手の胸元を狙った方が攻める方は体のバランスを崩しにくい、空手と総合の使い手でもある神子らしいコンビネーションだった。


 更に追撃を止めず、右のインローキックを叩き込むと、素早く蹴り足を引いて膝のスナップを弾くような右のハイキックを放った。


 ローキックを引き戻す反動を利用したパワフルな蹴りで、当たればKO必死だが、柏はスッとスウェーバックして攻撃を躱した。


「ふうっ♪ 危ない危ない♪ 幾ら蹴りが軽いからって、ハイキックだけは危ないもんね♪」


 柏の感想を聞いて、神子はイラついた様子で訊ねた。


「今、私の蹴りが軽いって言ったか?」


「うん。確かに当てるのは上手いけど全然痛くないし、威力も感じない。これじゃあ、試合には勝てても実戦では通用しないよ♪」


 まだ1分も経っていないであろう。


 これだけの戦いで柏は神子の弱点を見抜いていた。


 美夜受麗衣先輩のスタイルを完璧にコピーしながらも、彼女に敵わなかったのは単純に一発一発の攻撃の威力が彼女に劣っていたからに他ならない。


 それでも女子としてはかなり身体能力も技術も高いので、素人や格闘技経験が浅い相手には通用していたけれど、真の格闘技の使い手には通用しないのは明白であった。


「舐めやがって!」


 頭に血を昇らせた神子が前蹴りのモーションを取ると、今まで攻撃を喰らいっぱなしだった柏は神子の脛を蹴る様にして素早くストッピングを行うと、「つうっ!」と神子が悲鳴を上げた。


「ちょっ……待って! 何かその靴仕込んでない!」


「バカ! 試合じゃないんだよ!」


 喧嘩中であるにも関わらず、神子はそんな事を言い出したので、思わず私は警告を発した。


 喧嘩中に待てと言われて相手が待つ訳が無い。


 当然柏は神子の言う事など聞かずに、後退する神子に対して距離を詰めると、膝を抱え込んでノーモーションの横蹴りを放つと、思った以上に蹴りは伸び神子の脇腹に命中した。


 軽く当てられただけに見えるが、神子は滅多に見せない脅えの表情を浮かべていた。


 だが、柏は情けなどかけず、神子の脛に足払いのような蹴りを入れると、「痛いっ!」と神子が叫んで片足立ちになった。


 普段脛を鍛えている神子があの痛がり方は尋常ではない……まさか!


「お前! 安全靴でも履いているのか!」


 卑怯な手を平気で使うような相手ならば、聞いても仕方が無い事だが、動揺した神子に間を取らせる為に私は敢えて柏に訊ねた。


「いやいや。マンガじゃあるまいし、安全靴何て重そうなものわざわざ喧嘩で履いたら不利になるジャン♪」


 柏は私の問いかけに答え、攻撃を止めた。


 こちらの思惑通りと言えるが、もしかすると神子の技量を見抜いて何時でも倒せると判断したのかも知れない。


 でも、その内誰かが気付くかも知れないし、少しでも時間稼ぎが必要だ。


「最近は安全靴も軽量化しているらしいし、信用できない」


「そんな事は知らないけれどねぇ、これはサバットシューズなんだ」


「サバットシューズだって?」


「そうそう。ボックス・フランセーズの試合で使われる正式なシューズだよ♪」


「硬い靴を使うのは卑怯じゃないか?」


「一応紳士のスポーツって言われているから、卑怯呼ばわりされたくないねぇ~」


「という事は、お前、サバットの使い手か!」


 サバットとは正式名称はフランス式ボクシングで、カポエラ・テコンドーと並び世界三大足技と呼ばれているらしい。


 Savateはフランス語で「靴」の意味であり、蹴りが可能な多くの格闘競技が素足で行われるのに対し、サバットはその名前の通り靴着用で行われる競技で、サバットシューズという専門の靴が使用される。


 サバッドシューズは安全靴の様に硬いので軽く刺すようにして蹴れば効く。


 ピンポイントの場所を狙えば何処に当てても必殺になるのだ。


「そうそう。いわば空手の道着みたいなもので、別に卑怯でも何でもないんだよね。それにこの子だって空手の拳サポ嵌めてるジャン。それと同じ♪」


「拳を守る目的の拳サポーターと相手にダメージを与える為のサバットシューズじゃ全然違うだろ!」


「物は考えようだと思うよー。ぶっちゃけ卑怯と思われようが何だろうが、勝てば良いんだけれどねっ!」


 お喋りはこれまでだと言わんばかりに、柏は戦意を無くしかけている神子の太腿に踵で蹴りつけた。


 フルコンタクト空手で言うヴァレリーキックに近い、サバットの下段蹴シャッセ・バりを喰らい、神子は苦痛の悲鳴を上げた。


「痛い!」


 神子は泣きそうな表情で柏に背を向けたが、なおも追撃を柏は追撃をかけようとする。


「もう止めろ!」


 私が二人の間に割り込もうとすると、阿蘇という男が私の前に立ち塞がった。


「相手を間違えるなよ? テメーの相手は俺だぜ?」

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