第101話 美夜受麗衣VS井奈美音夢 ボクシングのスパーリング
ある日の放課後。
一年生の授業が終わるまでボクシング部の本格的な活動は始まらないけれど、音夢さんと俺と勝子、それに麗衣がボクシング部に集まっていた。
基本的に三年生は午前中で授業が終わり、二年生は五時限目で授業が終わるので、六時限目まで授業がある一年生の吾妻君と流麗の授業終了を待っているのだ。
先に練習しようにもサンドバッグやミット打ちは音が響くので授業が終わるまで禁止されており、ペンシルサッカード・トレーニングの様な視覚のトレーニングかジョギング、サーキット・トレーニングなどで時間を潰すのがいつものパターンだが、今日は麗衣を招いて、喧嘩の助っ人に来て貰った約束を果たすべくスパーリングを行う日だったのだ。
軽くアップとシャドーを行った後、麗衣と音夢さんはアブドメンガードとフルフェイスのヘッドギアを装着し、16オンスのグローブを嵌めてリングの上に上がった。
「じゃあ、はじめよっか!」
「おう! 怪我しても文句言うなよ!」
16オンスグローブとフルフェイスのヘッドギアを着けているので、そこまで危険は無いのだが、麗衣は勝気だった。
「よーい……開始!」
勝子がストップウォッチを押して合図をすると同時に、麗衣がガードを固めて突っ込んで行った。
基本的にアウトボクサーの麗衣が、らしくもなく接近して大振りのパンチを振り回すと、音夢さんはひょいひょいとウィービングでパンチを躱し、鋭いジャブで麗衣を突き、距離を取った。
「ちいっ!」
音夢さんは巧みなサークリングで距離を取り、デトロイトスタイルからのフリッカージャブで麗衣を翻弄し、前進を阻んだ。
「麗衣ちゃん落ち着いて! 左に回って足を取って!」
勝子のアドバイスを聞いて、麗衣は左サイドに踏み込み、ヘッドスリップでジャブを躱しながら左ストレートのカウンターを打つと、相打ちのタイミングでパンチがヒットした。
返しの左フックを音夢先輩が放つと、麗衣はノーモーションの早い左ストレートを合わせ、音夢先輩の顔を仰け反らせた。
「オラぁ! 如何した!」
少し腰を落としながらボディへ左ストレートを打ち、ボディを打った左手をすぐにガードの位置に戻すと、すかさず体を上げながらテンプルへ右フックを放った。
麗衣は踏み込む時に前足を音夢先輩の前足よりも外に出した状態で外側に位置する事で、音夢先輩からすると右のパンチが届きにくく、麗衣のパンチが見えにくくなるというサウスポーのボクサーの基本スタイルでスパーリングをしていた。
以前の麗衣であれば、空手時代のオーソドックススタイルで先ずは様子見をするのだが、サウスポースタイルの方が圧倒的に強いので、最近になってようやくサウスポースタイルに専念する事を決意したらしく、その為にもボクシングスキルの向上にも余念がない様だ。
その成果も出てきている様で、音夢先輩を押していた。
「如何した! こんなもんかよ!」
コーナーに追い詰めた麗衣が左ボディを放つと、音夢先輩がエルボーブロックでキャッチしてガードし、ウィービングしながらコーナーから脱出し、高速ジャブを一発二発三発と打ち、麗衣の顔は大きく跳ね上げると、深い追いせずに距離を取ってから言った。
「接待スパーと言う言葉は聞いた事が無いのかね? ここからが本気だよ?」
接待スパーとは格闘家が素人や別競技の選手をもてなす為にワザと手を抜いたスパーリングをする事で、格闘家のスパーリング動画でよく見られるものだ。
音夢先輩が先程までとは比較にならないスピードでステップインすると、麗衣の右足の外を音夢先輩の足が取った。
麗衣が慌ててジャブを放ったが、ヘッドスリップしながら打ち下ろしの右ストレートを放つクロスカウンターで麗衣を打ち抜くと、麗衣の膝がガクンと落ちた。
さっき麗衣が放ったカウンターの左右逆バージョンだが、威力が段違いであった。
「くそっ!」
何とかダウンを免れた麗衣が右ジャブで反撃すると、音夢先輩はヘッドスリップで右の肩越しにするりと躱しながら左斜め前に踏み込み、左ボディを叩くと、レバーを打たれた麗衣は息を詰まらせた。
こんな感じで一方的な展開になりながらも、麗衣はリングに立ち続けた。
◇
「凄く良かったよ! ありがとね!」
タイムウオッチが鳴り響き、第2ラウンド終了を知らせると、音夢先輩はポンポンと麗衣のグローブを叩いて褒め称えた。
一方の麗衣はロープに力なく寄りかかりながら肩で息をしていた。
「ハイ。麗衣ちゃん。コレどうぞ」
スパーリングが終わると、勝子はいち早く駆けつけて自分のタオルを渡した。
「ハアッ……ハアッ……ワリィな勝子」
礼を言い、勝子からタオルを受け取った麗衣は汗を拭いながら音夢先輩に言った。
「ハアッ……ハアッ……赤銅程じゃねーけど、中々ヤルじゃねーか……」
「赤銅亮磨先輩の事かね? 確かにプロボクサーならば私より強いかも知れないけど、私も七割位の力しか出してないからね」
「マジかよ……」
麗衣は手加減されていた事を知り、がっくりと項垂れていた。
そりゃあフライ級とライト級の体格差では、頼んだ音夢先輩の方としても全力ではやりずらいだろう。
「キックの癖だと思うけれど、ボディががら空きでパンチが当てやすかったね。蹴りの距離ならとにかく、せめて接近戦の時ぐらいもっと脇を閉じてガードを固める癖を付けた方が良いよ」
「ああ。そういうの武が得意だよな。参考になるわ……」
「でも、ライト級のボクサーより背が低いのに遠い距離から飛び込んでパンチを打てたり、流石アマチュアキックボクシングの大会で優勝しただけあると思うよ。如何だい? 君もボクシングを始めてみないかい?」
「ワリィけど、放課後はキッズのトレーナーのバイトをしててな。部活する時間がねぇんだよ」
麗衣は体育館に特攻をかけて弁償をさせられた事で金欠になって以来、キッズのキックと空手クラスのトレーナーをしており、部活をする時間が無いのは確かだった。
それに最近は柔術も練習しているので、キッズクラスが無い日はよく自主練時間に柔術を習っているとの事だ。
キック一筋だった麗衣が心変わりした理由は不明だけれど、総合にも興味が向いて来ている様だ。
「そうかい。残念だけれど、そんな事情があるんじゃあ仕方ないね」
「じゃあ、そろそろチビどもの指導があるからジムに行くわ」
「お疲れ様。また頼むね」
「ああ、今度は敗けねーからな!」
タオルを勝子に返し、麗衣がひらひらと手を振り、外に出て行くと、見届けた勝子は渡されたタオルに顔を埋めて匂いを嗅ぎだした。
勝子に何をしているのか聞き出す勇気は俺には無かった。
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