第85話 吾妻香月の過去⑤ 本音
「ねぇ……カズ君。あたし、男の人を好きになってみようと思うんだ」
あの事件から半年後のある日。
僕は唐突に香織ちゃんからそんな事を言われた。
香織ちゃんの心の傷も大分癒えてきたのか、最近は笑顔も多くなってきたし、少しは男子とも喋れるようになってきたけれど、僕は相変わらず女装をしていた。
女装をしているからこそ、香織ちゃんと一番仲が良い友達でいられると信じていたからだ。
でも、香織ちゃんが男子を好きになりたいと望んでいる。
「え? 如何してなの?」
如何いう心境の変化なのか、確認せずにはいられなかった。
「その……あたし、澪ちゃんや静江、それにカズ君に依存していたままじゃダメかなって思って。生きていく限り、男子と関わらない訳には行かないしね」
「女子高に行くとかすれば大丈夫じゃないの?」
高校も出来れば香織ちゃんと同じ学校に行きたい僕にとって首を絞める様な提案だけれど、僕以外の他の男子と付き合う位ならこのままで居て欲しいと言うエゴが僕の中で芽生えていた。
「そうしても良いけど、学力とか行きたい学校ならとにかく、男子が苦手だから女子高に行くって、あたしからすると逃げだと思うんだよね……だから、あたし、彼氏を作ろうと思う」
香織ちゃんなりに前向きに生きていく方法を見出そうとしているという事か。
考えてみれば、レイプ事件さえなければ普通に恋をしていてもおかしくないし、派手で強気な性格の為にアンチが多かったとはいえ、可愛くて元々は快活な性格をしていた香織ちゃんは結構モテる方だったので、とっくに彼氏が出来ていたとしても不思議ではない。
「そうなんだぁ~応援するよ」
僕は自分の気持ちを押し殺して香織ちゃんを応援しようと思った。
香織ちゃんは僕の事を恋愛対象とみなしていないのは確かだった。
そりゃそうだよな……。僕は女の子なりたかった何て嘘を吐いているんだから、僕の言葉を信じている香織ちゃんからしたら僕は女の子と変わらないという事だろう。
おかげで香織ちゃんとも男子では一番最初に話せるようになったし、一番仲の良い友達にもなれたけれど、恋仲にまで発展するとはとても考えられなかった。
「でさぁ……誰か気になる人でも居るの?」
本音とは別に女の子の様に振舞う事に慣れきってしまった自分に嫌気がさしながら、あたかも女友達同士のノリで香織ちゃんに訊ねた。
「うん。澪ちゃんに動画紹介してもらったんだけど、そこに映っている人が結構可愛くて凄く強い人なんだ」
僕は香織ちゃんのスマホでその人の動画を観させて貰った。
第一印象は強いの一言だった。
その人が戦っている相手は天網というグループの如何やらボクサーっぽいが、香織ちゃんが目を付けているという人はぎこちない構えながらも大体有利に戦いを進めており、当て勘やディフェンス力の高さに驚かされたけれど、特にKOシーンのやたらと距離が伸びるワンツーから左アッパーのコンビネーションは速すぎて動画をスロー再生しないと何をしているのか分からなかった。
しかも身長はかなり低いけれど、顔も悪くない。香織ちゃんはこういう人がタイプなのだろうか?
「本当だ。可愛いし強い人だね」
「うん。この人に今度アタックしてみようって思っているんだ」
成程。強い人なら香織ちゃんを守ってくれるかもしれないし、復讐に手を貸してくれるかもしれない。
でも、そんな事を考えているとしたら、それは本当の意味で恋とは言えないだろうな。
僕は一計を案じる事にした。
「そうなんだ。でも僕もこの人のこと気に入っちゃった♪」
「え?」
「香織ちゃんと同じで、僕も可愛くて強い男の人好きだから、競争だね」
「ううっ……カズ君相手じゃ勝てる気がしないなぁ……でも負けないよ」
こんな嘘も信じてしまう香織ちゃんに対して罪悪感も覚えたけれど、どうしても他の男の人に香織ちゃんを奪われるのは嫌だった。
「うん。僕達はライバルだね」
嘘の上に嘘を塗り固めて僕は宣言した。
とにかく香織ちゃんが気になっているこの人の事を知る必要があると思った。
後日、澪ちゃんの紹介で麗の「女子会」と呼ばれるスパーリング会に呼んでもらい、香織ちゃんが目を着けていた小碓武先輩と手合わせし、強さを確認した。
この時は油断をついて何とか勝てたけれど、次やったらとても勝てる気がしない。
性格は少しスケベそうだけど、同じ男として気持ちは分からなくもない。
一寸頼りない感じだけどやる時はやるタイプっぽくて、基本的には謙虚過ぎるぐらい謙虚で良い人だった。
人となりは問題ない。
自分以外で香織ちゃんが誰かと付き合うなら、澪ちゃんかこの人が良い位の気持ちになった。
女子会と呼ばれるスパーリングが終了後、改めて香織ちゃんが武先輩と交際したい旨を宣言した時、僕も表面上は香織ちゃんに賛成してみせた。
でも、本音では香織ちゃんを取られたくない。
僕は偽りの好意を武先輩に向けてでも香織ちゃんへの気を逸らそうと決意した。
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