第55話 地下練習場

「スゲー……」


 麗とNEO麗の戦いの翌日。


 約束通りNEO麗に所属する事になった俺は流麗の家の地下に案内され、感嘆の声を上げた。


 地下室は20畳程の広さがあり、地面にはマットレスが敷かれて、サンドバッグや巻き藁、ボクシング用のグローブやヘッドギア、拳サポーター、レガースと言った格闘技の用具やダンベルや鉄アレイなどが隅の棚に整然と並べられていた。


「ふっふっふー……驚いたっしょ?」


 流麗はドヤ顔を浮かべながら大きな胸を張った。


「ああ。地下室がこんなになっているなんて思いもしなかったよ。でも、どうしてジムみたいになっているの?」


「うん。あーしのパパが格闘技の選手だったからね。MMA時代はアメリカを主戦場にしていたから日本じゃあまり知られていないけれど、火明幸二ほあかりこうじって選手聞いた事無いかな?」


「ああ……確かMMAで活躍してた選手で、ボクサーに転向した人だっけ?」


「流石! 良く知ってるじゃん!」


 火明幸二。


 あるMMAの団体でウェルター級の世界ランク2位まで登り詰め、ボクシング転向後、東洋太平洋OPBFスーパーミドル級1位になったが、階級的に試合を組むのが難しく、引退したと言われている。


「凄い人がお父さん何だね」


「如何だろうね……MMAの選手としてはとにかく、ボクシングのOPBFスーパーミドル級辺りだと選手層が薄い階級だったからMMA上がりのパパでも上位にランキング出来たんだろうね。アマチュアボクシングのミドル級全日本3位ぐらいの選手にボコボコにされて『俺なんかじゃ世界は無理だ』って引退した位だからね」


「いやいや、アマチュアボクシング全日本3位って、下手したらOPBF王者とかより強いんじゃ?」


 2012年ロンドンオリンピックのボクシングバンタム級で銅メダルを獲得した清水聡選手は全日本選手権では3位に過ぎなかった。

 オリンピック銅メダリストならば下手なプロの世界王者以上の価値があると考えて良い。

 清水選手は例外中の例外かも知れないが、全日本選手権3位と言うと短いラウンドならば恐らくプロの日本ランカー以上に強いし、表面上の格付け的にはとにかく、実際は日本王者以下の実力しか持たない事も多いOPBF王者よりも強い可能性がある。


「確か重量級だから対戦相手が居なくて、試合枯れが引退の原因とか聞いた事があるけど」


「それ表向きの理由ね。勿論試合が1年に1度ぐらいしか組めなくなっていたのは事実だけど、パパにとっちゃアマチュアボクサーに全然敵わなかった方がショックだったらしいね」


 日本のプロボクシングのランキングはミドル級までだし、それ以上の階級となると、OPBFのランカーは殆どフィジーやサモア、ニュージーランド、オーストラリア等の選手しか居なかったはずだ。これでは試合を組むのが困難であるのは事実だろうが、それ以上にアマチュアボクサーに負けて自分の限界が見えたのが理由という事か。


「まぁ、そんなこんなで選手時代の遺産がこの地下室って訳。今、パパは事業で忙しいから使ってなくてさ。あーしが自由に使って良いんだ」


「羨ましいな……で、今日はここで練習して良いって事?」


「うん。で、今日は『サブティー』を呼んでいるんだ」


「サブティー?」


 妙な単語が出てきたので聞き返すと、誰かが階段から降りて来る音が聞こえた。


「サブティー! うーっす!」


「その呼び方止めてって言っているでしょ! 私には朝生孝子あそうたかこって名前があるんだからね!」


 身長は勝子位だろうか?

 短髪の髪にパーマのかかった強面の少女が肩を怒らせながら降りてきた。


「紹介するよ。この一寸顔が怖い子が、サブミッション・ティチャー。略してサブティーこと朝生孝子だよ」


 つまり関節技の先生って意味のあだ名か?


「えと、どーも小碓武です」


 俺は孝子と言う子に軽く会釈しながら挨拶した。


「え? この子が最近ルレが仲間にしたいって言っていたなの?」


 孝子は俺をチラリと一瞥すると、会釈すら返さず、流麗の事をルレと呼びながら訊ねた。


「そーよん♪今話題の武っチだよ♪」


「フーン……聞いた話の通り可愛いけど、こんなの本当に強いの?」


「マジヤバで強いよ! 昨日手合わせしたんだけど、武っチがグーパンチで殴ってたら秒殺されてたってカンジだったよ! あと、この前プロキックボクサーボコってた話したじゃん?」


「ああ。暴走のナルビッショとか呼ばれてる相田真だっけ? そういえばあの人、練習中に肋骨折れてデビュー戦予定の試合に出場出来なくなったとかスポーツ新聞に載ってたけど?」


「何ソレ? その新聞フェイクニュースってヤツジャン」


 あっ。アイツ、肋骨折れていたんだ。

 そりゃ少し悪い事したな。

 確かに喧嘩に負けて骨折して試合に出れませんなんて格好着かない真実は明かさないだろうな。


「そもそも、アマで、しかもバンタム級の武っチにボコボコにされてる奴がプロのスーパーライト級の試合に何か出場したらマジで死ぬんジャネ?」


「まぁ、この武っチ君が強すぎるのか、相田とか言うのがしょぼすぎるのか」


「多分どっちもあるとおもーよ。少なくても武っチ、マジハンパねーから」


「フーン……どうも見た感じ小物感が拭えないけど、まぁ、使い物になるか如何か、武っチ君を見て判断するね」


 孝子は俺の事を散々言いながら、ようやく俺と目を合わせた。


「ルレから名前は聞いたわね? 私は八皇子高校1年生の朝生孝子あそうたかこよ。ルレのセンスの無いあだ名で察しが付くと思うけど、特技は関節技サブミッションだから。宜しく」


「はぁ……宜しく……って君も流麗と同じ1年なの?」


「そーよ武っチ君。もしかして、先輩とでも呼んで欲しいとか?」


「まぁ……出来ればね」


 だが、孝子の返事はにべもなく、嫌な事実迄伝えてきた。


「いやよ。ルレに負けてNEO麗に入ったって言うなら、貴方、一番下っ端って事じゃない?」


「如何して?」


「単純よ。チームじゃ一番弱いルレに負けたからよ」


「え? 流麗でも一番弱いの?」


 確かに神子は麗衣に敗れたとはいえ、シュートボクシングやMMAを使うし相手を真似て戦う能力と身体能力が高そうだし、火受美は怪我をしていたらしいが、それでも恵相手に序盤は有利に戦いを進めていた。


 だが、流麗だってこの二人に劣るものでは無いと思うが。


「あまりハッキリ言われちゃうと傷つくなぁ。まぁ、確かにあーしは二人ほど器用じゃないからね。でも、二人とも三回やれば一回は勝てるよ。まぁスパーの話だけどぉ」


 流麗は口先を尖らせて不満げに言った。


「へぇ……で、一番強いのは火受美さんなのか」


「うん。十戸武パイセンとは万全の状態で戦わせてあげたかったんだけどね……タイマン前日に首師高校ひとごのかみこうこうの雑魚が不意打ちかけて来て、神子を庇って火受美が切られたんだよ」


 その時の事を思い出したのか、流麗は唇を嚙み締めていた。


「じゃあ、タイマンさせない方が良かっただろ。何でそんな無茶させたんだ?」


「勿論、あーしも神子も反対したよ? タイマンも麗衣ちゃんに頼んで怪我が治るまで延期してもらうかとも提案したよ? でも火受美はこっちから喧嘩を売っておいてそれはカッコ悪いし、神子とあーしが勝てば自分は戦わなくて済む。あーし達なら絶対勝てるから大丈夫だって……まぁ、麗衣ちゃんの強さが想像以上だったから、神子は責められないけど、結果的にはどの道、火受美もタイマンせざるを得ない状況になったんだよね……まぁ、勝てて良かったけど」


「と言うか、そこまでして如何して勝負に固執したんだ? 事実を話せば麗衣だって水に流してくれた筈だよ?」


「だって、武っチがどーしても欲しかったの! 何か首師高校ひとごのかみこうこうともっと揉めそうになってきたしぃ」


「オイオイ、アイツ等、十人以上シメられたりしているのにまだNEO麗にチョッカイかけてるのか?」


「だから火受美が切られたって言ったジャン。来週決着つけるとかで呼び出し喰らっているんだ」


 成程、麗衣が危惧した理由がこれか。


 麗衣は俺に流麗のボディガードをやらせる為に


 恵が途中でタイマンを放棄したのは、正義感の強い恵が怪我人の火受美と喧嘩したくないと言う事は勿論あっただろうが、麗衣の意思を汲み取った面もあるのだろう。


「私は不良狩り何て反対なんだけどね……だけどルレとは同じ道場に通っている腐れ縁があるし、ルレがやられるのも忍びないから、今回は私も『NEO麗』とやらに加勢してやる事にしたんだ」


 孝子は呆れた様な表情をしていたが、口では悪く言いながらも、こんな危険な事に付き合うのは流麗の事を余程大切に思っているのだろう。


 そして、恐らく腕の方も確かだろうな。


 そんな会話をしていると火受美と神子が階段から降りてきた。


「さて、メンバーが全員揃ったみたいだし、練習を始めよっか」


 流麗は親し気に俺の手を握るとそう促した。



 アジアの地域タイトルとしてWBA傘下のPABAが台頭し始め、OPBFの権威が薄れてきた頃、OPBFは日本人、あるいは日本のジム所属の選手で王者が7,8人締めていて、明らかに日本王者のが強い時代がありました。最近は如何なんでしょうね。

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