第51話 小碓武VS火明流麗⑴ 掌底の幻想

 流麗は左足と左腕を前に出し、両腕のガードを顎の位置にまで上げ、やや腰を落とし、ややスタンスを広く構えた。


 ボクシング部でみた流麗の構えがもう少し重心を前にかけたクラウチングスタイルだったのに比べると、若干アップライト気味で前足もボクシングの様に爪先を斜めに向けず、前に向けている。


 ボクシングともキックボクシングとも違う構えの様だが、キックボクサーである俺対策だろうか?


 対する俺はブラッドさんのアドバイス通り、パンチャー向きの前足に体重をかけたクラウチングスタイル気味に構えた。

 一見ボクシングの構えにも似ているが、俺も流麗の様に前足を正面に向けて構えているのがボクシングと決定的に異なるところだ。


「ふふふっ……武っチのこと考えてたらぁ、体が火照って夜も眠れなかったよ♪」


 舌なめずりしながら艶のある声で取りようによっては勘違いしそうな事を言った。


「そんなにタイマンなんか望んでいたのか?」


 俺は出来る限り素っ気なく答えたつもりだが、傍から見ればキョドっている様に見えるのか? 流麗は俺を嘲笑うかの様に艶然と笑みを浮かべた。


「違うよ、武っチがあーし達の仲間になってくれたら毎日楽しいんだろーなって♪」


 リア充の陽キャラっぽい流麗が俺なんか仲間にして楽しいのだろうか?

 戦力として見るだけならまだしも、理解に苦しんだ。


「そりゃ有難いけど、俺も簡単に負ける気は無いから」


「うん。知ってる。そうじゃなきゃ、仲間にする意味もないしね!」


 そう言い放つと、流麗は飛び込むようにステップをしながら素早くジャブを打ってきた。

 俺は左手でコンパクトに叩く様にしてジャブを逸らすが、間髪入れずに放たれたツーの右ストレートが想像以上に伸びてきた。


「なっ!」


 重い右ストレートが俺のこめかみを打ち抜き、あまりもの衝撃で頭にチカチカと星が煌めいた。

 よくゲームやアニメで殴られたときに頭に星が回る演出があるが、アレはある意味正しい表現みたいだ。


 推進力で真っすぐ押されているパンチなので所謂「キレのあるパンチ」のような脳震盪で意識を飛ばされるようなパンチでは無いが、とにかく重く痛いパンチだった。


 俺は右ストレートを打った勢いで懐に飛び込んできた流麗を見下ろし、サウスポーにスイッチしている事が分かった。

 伸びるパンチの原因に気付いた瞬間、俺の両肋骨は折られるんじゃないかと錯覚する程の激痛が走った。


「ぐうっ!」


 ボクシングのボディブローでは無く、俺も得意とする肋骨打ショベルフックち、いや、空手の鈎突きそのものかも知れない。


 このままではやられる!


 俺は軸足に体重を乗せて踏み込み、踏み込んだ足を上に伸ばす力を利用して右の膝蹴テンカオりを流麗の胴に突き刺すと、続け様に同じ右足のミドルキックで流麗を突き放し、距離を取った。


「武っチやるじゃん! 練習生レベルだとあれだけでKO出来るんだけどね。流石にそんな簡単に行かない系♪」


 返しの膝蹴テンカオりとミドルキックをまともに喰らいながら、ケロッとした表情で流麗は言った。


「こっちも驚いたよ……まさか俺と似た様な戦い方するなんてね」


 流麗の右ストレートが伸びたのは空手の追い突きに似たパンチを放っていたからだろう。

 追い突きとは後ろ足を前に踏み込みながら同じ方の手で突く突きの事だが、ボクシングの右ストレートの打ち方と違い、逆足を前に踏み出す事でパンチが伸びるのだ。

 打った瞬間は分からなかったが、サウスポースタイルにスイッチしていたのは追い突きを放った為だ。

 奇しくも俺も追い突きと似た原理の伸びるパンチを得意とする。

 そして、鈎突き風の肋骨打ショベルフックちも俺の得意技だ。


「君も神子ともだちみたいにトーレスが得意なのかな?」


「うんにゃ。あーしは神子みたいに相手の研究何かしないし、フィーリングでヤルってカンジぃ? でも、タイプがそっくりって、あーし達、相性最高ってカンジいっ♪」


 偶然似たタイプという事か。

 まぁ、俺も流麗も一般的な男子からすれば小さいから、同じように体格で上回る相手と戦う方法が自然と似てしまったというところだろうか。


「もしかして、あーし達、運命の赤い糸で結ばれてるのかもね♪」


 麗衣と出会っていなかったら嬉しい台詞だったかも知れない。


「悪いな。俺には心に決めた人が居るんでね」


「ふーん……じゃあ、力づくって言うのも悪くないかもねっ!」


 DV男の様な台詞を言いながら、流麗は再び踏み込んで来た。


 俺はヘッドスリップをして流麗の左ジャブを躱しながら掌を開き、所謂掌底で顎に向けて左ストレートを放ち、流麗の顎を跳ね上げると、腰を返しながら小さく右の掌底で流麗の顎を当て、左の掌底アッパーで喉元から顎を突き上げた。


 掌底左ストレート、掌底右フック、掌底左アッパー。


 綺麗に3連打が決まったが、俺はその場に止まらず、ウィービングしながらサイドにステップすると、俺の頭上スレスレに流麗のスウィングフックが掠めた。


 この距離はヤバイと直感し、俺は考えるよりも前にバックステップして距離を取った。


「ねぇ、武っチ、もしかして、あーしの事、舐めてない? 掌底なんか効く訳ないしぃ」


 ケロッとした表情で流麗は俺に訊ねた。


 MMAクラスのトレーナーに付け焼刃的に習った掌底だが、流麗は3連打をまともに喰らいながらも効いちゃいなかった。


 かつてプロレスラーの船木誠勝が得意とした技が掌底で、不良漫画や格闘漫画などのフィクションでは多用されている掌底だが、使ってみると効果が乏しい事に気付く。


 理由を考えてみると先ず掌を広げる事で拳を握るよりも面積が広がり、相手から見やすくなる事。

 掌底の形で掌を広げた場合と、拳を握った場合で見比べれば分かるが、掌底の方が2倍近く広く見える。

 パンチと同じで相手から見える攻撃では倒せないのだ。


 他にもモーションに成り易い事や、拳を握ると言う動作が無いから力を込めづらい事、拳を握った時の様に点の「痛い」攻撃では無く面の攻撃になり加撃力で劣る事。


 あとは一般的に脳を揺らしやすいなどと言われているが、当てた後にパンチを直ぐ引く事により押さえずに脳を揺らす「キレ」のあるパンチと違い、押すように力を加えるので脳が押さえつけられる為、実際は脳が揺れづらいのだ。


 つまり、実戦では掌底など殆ど使い物にならない技なのだ。


 そもそも漫画の様に掌底で相手が失神するなら、相撲で何人も突っ張りで失神しているだろうが、そんな話は聞いた事が無い。


 数少ない利点として考えられるのは、裸拳やオープンフィンガーグローブ等の薄いグローブを使う場合、拳を痛めないという利点があるとよく言われているが、掌底だろうが当たりどころが悪ければ手首が痛くなるのは変わらない。


 まだ格闘プロレスがガチであると言う幻想があった頃の教則本ならとにかく、近年の格闘技の教則本から姿を消した技の一つであり、MMAの試合でも現在殆ど見かける事が無くなった技であるが、廃れたのは当然である。


 まぁ、そんな事は分かっているが、俺は麗衣そっくりで、何処か憎めない流麗の顔面を殴る気には成れず、なるべく怪我をさせない為にも掌底で戦わざるを得なかった。

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