第39話 ブラッド・ノア・スチュワートVS小碓武 恐怖

 無論妃美さんは大反対していた。


 トレーナーとして、最大限練習生の安全を考慮するのは当然の事だろうが、ブラッドさんが巨体を屈めて何やら妃美さんに耳打ちすると、溜息交じりに「仕方が無いですね」と言い、スパーリングを許可してくれた。


 何はともあれ、スパーリング出来るのは俺からしたらありがたい。


 俺は初めてプロが試合で使うような6オンスのグローブを装着し、握り具合を確かめた。


 成程。確かに練習用の10オンスやスパーリングで使う16オンスのグローブと比べるとかなり薄いし、軽い。


 殴れば拳サポーターやオープンフィンガーグローブ程ではないにしろ、練習用のグローブよりは裸拳に近い威力があるかも知れない。


 俺とブラッドさんがリングに上がると、先程と同じ様に妃美さんがトレーニングタイマーをセットした。


「じゃあ、始めます!」


 妃美さんが合図をすると、ゴング代わりに開始の短いブザー音が鳴った。


 ブラッドさんは通常のキックボクサーよりもやや重心を前にかけた、所謂クラウチングスタイルに構えた。


 ボクシングの構えに似ているが、爪先を横に向けるボクシングの構えと違い、前足を正面に向けており、ローキックを膝でブロック出来る構えだった。


 ブラッドさんの試合を観た事は無いが、構えからして西洋人に多そうなパンチが得意なキックボクサーである事が想像出来る。


 だが、それ以上にブラッドさんと向き合った時のプレッシャーが半端では無かった。


 単純な身長であれば先日俺がぶちのめしたプロキックボクサー・相田真と大差が無いように見える。


 しかも、クラウチングスタイルに構えた分、アップライトスタイルの相田よりも低くなるはずだが、それ以上にサイズがデカく見える。


 精神的な圧迫の影響か?

 俺はやる前から相手に飲まれているのかも知れない。


 手合わせするまでも無い。


 俺はどうやっても目の前の男に勝てない事を本能が訴えていた。


 セオリーどおり、ローで下から切り崩すか?


 それとも思い切って飛び込んでパンチを打つか?


 あるいは相田の時の様に下がりながらインローで削るか?


 他にも幾つかのパターンを頭の中でシミュレートしたが、何れもダメージを与えられるイメージが湧かなかった。


「如何したボーイ? これは君が望んだスパーリングだろ?」


 ブラッドさんからはこちらに仕掛けて来る事も無く、挑発する様に俺に言った。


 彼の言う通りだ。


 何の為に俺はこの男の前に立っているんだ!


 麗衣が負けた仇を討ちたいからだろうが!


 アレは麗衣の言いがかりだし、力の差も考慮しなかった麗衣の自業自得だって?


 俺にとって麗衣が正しいかどうか何て如何でも良いんだ!


「ああ。その通りだぜ!」


 俺はステップインしながら距離を測る様にジャブを放つと、サイドにステップし、素早く足をスイッチすると、左のインローキックをブラッドさんの内股目掛けて力強く蹴ると、足に衝撃が走った。


「なっ!」


 クラウチングスタイルなのにも関わらず、予想以上の速さでローキックがカットされていた。


 まるで鋼の様な艶と光沢を放つ脚は見た目通り鋼の強靭さで、蹴るこちらの方がダメージを負っていた。


 そう言えば、最近UFCの試合でカーフキックを打った選手の足が対戦相手にカットされ骨折したという出来事があったな。


 レガース無しでのスパーリングはこちらが望んだものだが、まさか攻撃をしたこちらの方が痛い目に遭う事など想定外だった。


 これでは迂闊にローキックすら打てない。


 いや……本質的な問題はそんな事じゃない。


 ローキックをカットされただけで俺の全身の細胞が恐怖を訴え、身体が震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る