第36話 レイチェル・"ブロンディ"・スチュアートVS美夜受麗衣 MMAの女王対ヤンキー女子

「レイイ。本当にキックボクシングルールじゃなくていいのかい?」


 ブラッドさんはスパーに向けてアップしている麗衣の事を心配そうな目をして訊ねた。


 先程レイチェル選手は麗衣に合わせ、キックボクシングかムエタイのルールで良いと提案したのだが、麗衣はMMAのルールで良いと拒否した。


 しかも、ヘッドギアやレガースと言った防具は一切無しで、マウスピースとアブスメントガードのみ。グローブもオープンフィンガーグローブと来た。


 相手の土俵に上がった上で勝たなければ意味がないと麗衣は漢みたいな事を考えている様だが、流石に今回の相手は分が悪すぎるだろ。


 だが、麗衣はこちらの心配など何処吹く風だ。


「大丈夫スヨ。それよりか奥さんが怪我しない様に心配した方が良いんじゃないスカ?」


 麗衣はまるで元キックボクサーであるブラッドさんすら挑発するかの様に言った。


「ハハハっ! 日本人は謙虚で大人しい民族だとばかり思っていたけれど、最近はそうでもない様だね。まぁ、アメリカと母国オーストラリアの同盟国なのだからこのぐらい強気でなければ困るってものさ」


 そして、ブラッドさんは腹を立てるどころか、寧ろ麗衣を応援する様に言った。


「頑張ってくれよ。レイチェルと良い勝負が出来れば君は間違いなく格闘技界に名を残す選手になるだろうね」


「そりゃどうも! じゃあ、御託は良いんでさっさと始めようぜ!」


 麗衣は練習用のリングに先に昇ると、レイチェル選手を手招きした。


「Rachel. Be careful not to hurt her.」

(レイチェル。くれぐれも彼女を怪我させない様にするんだ。)


「Of course. I'll finish it before she gets hurt.」

(勿論よ。彼女が怪我する前に終わらせるから。)


 そう言うと二人は軽くキスをした。


 アングロサクソンってこんなにも人前で堂々とキス出来るものなのか?


 文化の違いとは言え、見てるこちらのが恥ずかしくなりそうだった。


 いや、日本人でも吾妻君が所かまわず俺にキスしたがるんだよな……。


「ルールはGFCに合わせて、MMAのルールでやります。4点ポジション(両手両足がマットに接着している状態)での膝蹴りは禁止。そして、レイチェル選手の希望で顔面への肘打ちは無し、サッカーボールキックは無しとします。時間とラウンド数は5分1ラウンドとします」


 レフェリーを勤める妃美さんはルールを説明してくれた。


 レイチェル選手としては自分の安全を守る為と言うよりは、麗衣が極力怪我をしない為の申し出だろう。



「ハッ! こちとら別に肘打ちありでも良いんだぜ?」


「コノルールジャナイト、スパーリングキョヒシマスヨ?」


「チッ! 仕方ねーな……。妃美さん。分かったからゴング鳴らしてくれ」


「今時練習でゴングなんか使わないわよ……じゃあ、トレーニングタイマー起動するからね」


 わざわざ説明的な返事を妃美さんがすると、時間が大きく表示されるトレーニングタイマーを起動し、ゴング代わりに開始の短いブザー音が鳴った。


 麗衣がアップライトのサウスポースタイルで構えると、レイチェル選手は何時もよりやや構えが高い、アップライトスタイル気味に構えた。


 この構えの意図を麗衣は即座に見抜いた。


「あたし相手ならキックボクシングだけで充分てか? OK! 後悔させてやるよ!」


 フラグが立った咬ませ犬の様な台詞を言うと、麗衣は右足を捻った状態で踏み込み、斜めから踏み込むようにして左ローキックを放つと、レイチェルさんの太腿に命中し、バチン! と皮を引っぱたく高い音が鳴り響いた。


 ローキック一発で戦闘不能になる暴走族の姿を何人も見てきたが、流石にレイチェル選手はケロッとしている。


 まぁ、MMAの女王ならば階級が下のアマチュアキックボクサーのローキックなど躱すまでも無いと言いたいのだろうか?


「シュっ!」


 麗衣は軽く牽制気味に右でジャブを放つと、左ローキックでレイチェル選手の太腿を蹴り、引き戻した足を完全に後ろに戻すのではなく前に着地させ、スイッチして体にタメを作ると、体のタメを解放する様にレイチェル選手の頭部に目掛けて右ハイキックを放った。


 右ジャブで意識を上、左ローキックで意識を下に向けた後、右ハイキックで再度上段を狙う。


 単純だが効果的なコンビネーションである。


 ローキックは防ぐ素振りすら見せないレイチェル選手だが、ハイキックは流石に左腕でブロックした。


「ええっ! 麗衣さんのハイキックを片腕で止めちゃうの?」


 恵は声を上げた。


「右ハイだからね。左ハイなら腕ごと持って行けるんだけどね」


 麗衣はかつてボクサーの亮磨先輩をガードの上から左ハイキックを喰らわせてKOした事がある。


 かつて日本のリングを恐怖に陥れたムエタイ戦士、サムゴー・ギャットモンテープを彷彿とさせる、ガードをしていても関係ない程威力が高い左ハイキックは麗衣最大の武器の一つだ。


 並みの選手が相手ならば、麗衣の攻撃を耐えられない。


 


 で、あればの話だが。


「フッ!」


 レイチェル選手は怯むどころか笑みさえ浮かべながら距離を詰めてきた。


 オールラウンダーのレイチェル選手だが、蹴り中心で間合いが遠く、体重差がある麗衣に対してはインファイトが有効だと判断したのだろう。


 レイチェル選手がステップインしながら左ストレートを放つと、突っ込んできた勢いを麗衣は左足を軸に左半身を捻って闘牛士の様に避け、サイドに移動した状態で左ミドルを右腕に叩き込んだ。


 対インファイターのお手本の様な動きだった。


 ミドルを腕に叩き込む事により、パンチを封じるのが目的だろう。


 特にサウスポー対策のセオリーである右ストレートを封じるのは良い作戦だ。


 麗衣はサイドに踏み込み、アッパースイング気味にミドルを腕に打ち込む事により、カットもキャッチもされづらい蹴りを放っているのだ。


「オドロイタ! レイイツヨイヨ!」


「へっ! 日本語で話す余裕何てあるのかい?」


 麗衣は立て続けに二発、三発とミドルキックを腕に叩き込み、圧力をかけ、更にミドルを打つ体勢を取ると、レイチェル選手はスウェーバックした。


 ところがこれは左ミドルと見せかけたフェイントで、レイチェル選手の残った前足に左ローキックを叩き込む。


「上手い!」


 俺は思わず唸った。


 ブラジリアンキック等使うまでも無く、麗衣のキックは目のフェイントや勢い、身体のフォームなどでローなのかミドルなのかハイなのか分かりづらいのだ。


 しかも、踏み込みとプレッシャーと早さがあるから何処から来るか分からない。


 俺も麗衣とのスパーリングで嫌になるほど経験しているから、どれだけ厄介なのかよく分かる。


「オラオラどうした! こんなもんかよ!」


 調子に乗った麗衣は更に踏み込んで右ローキックを放つ。


 だが、レイチェル選手は却って距離を詰め、インパクトの衝撃を殺すと、麗衣が足を引ききる前に上半身を捻りながらステップインし、回転力を活かし、膝のバネを伸ばしながら放たれた電光石火の左ロングアッパーが麗衣の顎を大きく掬い上げた。


「なっ?」


 先程までは麗衣が押していたはずなのに、一瞬の攻守の交代で勝負はついてしまった。


 リンボーダンスの様に上体を大きく反らした麗衣は完全に脱力した状態で、頭をぶつける様にして仰向けに倒れた。


 タイマンでは男子との喧嘩で何発殴られてもKOされた経験が無い麗衣だが、たったの一撃でマットに沈み、大の字で白目を剥いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る