第35話 一触即発
試合終了後、レイチェルはテキサスハットを被り、彼女の夫であり、トレーナーでもあるイケメン通訳を通して勝利者インタビューを終えると、闘士の顔から母親の顔に戻り、リングに上げた娘さん二人を両手で抱き上げ、頬に代わる代わるキスをしていた。
「あーあ……優美が負けちまったよ。責任取れや下僕武」
死闘を制した後の心和ませる光景に、女子であれば誰しも共感しそうなものだが、麗衣にそんなしおらしい感情などあるはずも無く、まだ抑えきれぬ殺伐とした理不尽な怒りの矛先を俺に向けてきた。
「分かった。麗衣のハイキックのサンドバッグになれば良いんだろ? お安い御用さ。今度幾らでも打ってくれ」
「分かっているじゃねーか……。って、待てよ! あたしがそんな事するかよ!」
え? してくれないの?
夢か
(『ヤンキー女子高生といじめられっ子の俺が心中。そして生まれ変わる?』第101話参照)
夢だとしても、あの幸福感は本物だと思うので、残念な気持ちで胸が一杯になった。
「最近のお前軽く気持ち悪いぞ? 一体如何したんだ?」
本気で心配された。
どうせならこの場でゴミを見るような目で見て欲しいんだが、顔が見えないスマホ越しでは声攻めしかしてくれないのが残念極まりない。
「まぁ……んな事はとにかく、
麗衣は不敵に笑い始めた。
嫌な予感がする。
「まさか、山元選手の敵討ちのつもりで喧嘩売ったりとかしないよね?」
「まさかな! ちょいとばかりスパーリングを頼みたいと思っているだけだぜ?」
女子アマチュアキックボクシング軽量級最強と言われている麗衣でも流石に無謀じゃないか?
というか、流麗達「NEO麗」との喧嘩の前に怪我でもしたらどうするんだ?
だが、俺如きに麗衣の暴走を止められるはずも無かった。
◇
レイチェル選手の試合から3日後の木曜日。MMA打撃クラスは大盛況だった。
オーストラリア出身の元キックボクサーで、レイチェル・"ブロンディ"・スチュアートの夫であり、トレーナーでもあるブラッド・スチュワートさんもレイチェルの通訳とゲストとして来てくれる事になったからだ。
総合の女王とかつて「キックの魔獣」の異名で名を馳せたブラッドさんの二人が揃っているのだ。
格闘技のジムに通う様な好き者達が2度と無いこんな好機を逃すはずがない。
「ミナサンコンバンハ! キョウハタクサンノヒト、アツマッテクレテ、アリガトゴザイマス!」
クラスが開始する前にレイチェル選手はそう挨拶すると、礼儀正しく頭を下げると、練習生達も一斉に頭を下げた。
レイチェル選手は多少訛りがあるが、細かいニュアンスでなければ日本語として理解できるレベルの会話が出来る様だ。
何でも娘のエイプリルが日本のアニメが好きらしく、それをきっかけにして、一緒に夫のブラッドさんから日本語を習ったとの事。
細かいニュアンスはまだ理解出来ない事があるので、夫のブラッドさんが通訳しているらしいが、日常会話ぐらいであれば殆ど問題が無いらしい。
「あの、質問あります」
恵は手を上げてレイチェル選手に質問をした。
「日本ではトップ選手の一人の山元優美選手に圧勝しましたが、勝因は何でしょうか?」
恵の質問にレイチェル選手のトレーナーでもあるブラッドさんが代わりに答えた。
「それは現在のアメリカのMMAが徹底的に対戦相手のデータ分析する事にあります。そのデータにより、我々はユウミの研究をしました」
ブラッドさんの話はアメリカのMMA界における現状に及んだ。
相手の過去の対戦映像を徹底的に分析し、得意技、癖、弱点を洗い出し、対策をするらしい。
日本ではせいぜい個人レベルで分析を行うのが、アメリカではチームを組んで分析すると言うのだから驚きである。
その為、昨今のMMAのレベル上昇が激しく、選手は以前は見受けられた街のストリートファイト上がりの腕自慢ではなく、本物のアスリートなのだという。
日本では未だに街の不良上り向けのイベントからプロになる選手も見受けられるが、大方得意技の一つや二つしか武器が無いので、研究されてしまえば脆いという。
この様に日本が大きくアメリカよりも遅れている現状を忌憚なく話してくれた。
「でも、逆に言えば対戦相手のデータが分からなきゃ弱っちいって事じゃないですか? データなしで優美ちゃんに勝てたんスカ?」
ブラッドさんの説明が終わると、麗衣は挑発する様な口調で言った。
「コラ! 失礼な事を言うんじゃありません!」
ジムの会長の娘であり、トレーナーの一人でもある
「タシカニ、ユウミノコト。ケンキュウシマシタ。ダカラ、データナシデ、カテルカワカリマセン。カノジョ、トテモツヨカッタデス」
レイチェル選手は麗衣の非礼に対して大人の対応を見せた。
だが、旦那さんの方は想像以上の愛妻家の様だ。
「でも、レイチェルの場合、データ分析は最小限の労力で勝とうとしただけで、彼女ならたとえ俺達が準備したデータ無しでも女子相手ならば誰にも負けないと断言出来る。それどころか、データが無い男子プロ相手にも勝てるかもな」
まさか、麗が相手にしている暴走族なら格闘技経験者でも殆どがアマチュアレベルか、プロでも亮磨先輩のようなグリーンボーイだったので、麗衣達でも勝つ事が出来たが、男子の本物のプロには敵うべくもない。
レイチェル選手は筋力も体格も上回る男子の選手にも勝てるとでも言うのか?
「ハッ! ハッタリだ! データが無いあたしに勝てたら認めてやるよ!」
啖呵を切った麗衣がレイチェル選手ににじり寄ろうとした。
「一寸! 止めろ! 麗衣!」
「駄目よ! 麗衣さん!」
「コラ! また、貴女は問題起こすんじゃないの!」
興奮しだし、今にも飛び掛からんばかりの勢いの麗衣を俺と恵、更に妃美さん迄が取り押さえていた。
「Haltutari? I don't know what that means?」
(ハッタリ? どんな意味かしら?)
レイチェル選手はハッタリの意味が解らなかった様でブラッドさんに訊ねた。
「I'm said to be a liar.」
(俺は噓つきだと言われているよ。)
ブラッドさんに言われ、レイチェル選手は再び肩を竦めた後、麗衣に目を合わせて訊ねた。
「OK. Pretty girl. What your name?」
(オーケー。可愛い子。貴女のお名前は?)
「My name is Reii Miyazu. Do you understand? Pretty blonde woman.」
(あたしの名は美夜受麗衣だ。理解したか? 可愛い金髪女さんよぉ。)
「Reii. Are you a martial arts player?」
(麗衣。貴女は格闘技の選手ですか?)
「Yes. I'm a kickboxer. I have won women's amateur kickboxing tournaments. Moreover, it won in three classes.」
(ああ。キックボクサーだ。あたしは女子アマチュアキックボクシングの大会で優勝した事もある。しかも、3階級で優勝しているぜ)
レイチェル選手の質問に対し、麗衣は思いの外流暢な発音の英語で答えた。
見た目に寄らず、進学校である立国川高校でもベストテンに入る学力を持つ麗衣は英語も得意の様だ。
「It's amazing! OK. Do you agree if you sparring with you?」
(それは凄い! オーケー。貴女とスパーリングをすれば納得してくれますか?)
「Yes that's right. It's fun.」
(ああ、その通りだ。楽しみだぜ)
こうしてアマチュアキックボクサーに過ぎない麗衣と、MMAの女王レイチェル選手のスパーリングが半ば強引に決まってしまった。
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