ヒロイン追放Ⅲ カベイラ・ボッピ
ブラジル連邦共和国
リオ・デ・ジャネイロ州リオ・デ・ジャネイロ
シダージ・ジ・デウス
ブラジル有数の大都市であり、世界的にも美しい海の景観を持つこのリオにも、大きな闇があった。この街には大小様々なスラムが数多く存在している。それらを現地人達はファベーラと呼んでいる。多くのギャング団や麻薬ディーラーたちはこのファベーラを拠点として、市民たちを脅かしていた。そのファベーラの一つであるシダージ・ジ・デウスにて、リオ・デ・ジャネイロ州軍警察の特殊警察作戦大隊、通称
『東は制圧完了です』『西地区も制圧完了』『幹部の殺害を確認』『在庫の麻薬を確保』『重火器の押収に成功』
作戦指揮車両にて、ボッピの指揮官であるヴィニシウス・フラビオ・カルネイロ・ノゲイラ大尉は、無線越しに入ってくるボッピ隊員たちの報告を聞いて作戦が無事に完了しつつある状況を確信し笑みを零す。
「作戦は無事完了しそうだな。知事や公安局の連中はほくそ笑んむだろうね」
ヴィニシウスは副官にそう言った。副官も笑みを零して。
「ええ、これで我々の予算もさらに増えますね。長年の麻薬問題に一息つけそうですね」
「ああ。だがどうせまた新しい組織が現れるんだろうがな。ファベーラが…いや、この国の貧困層がなくならない限りは、犯罪はなくならない。まっとうな仕事があるんなら麻薬を作ったり売ったりしやしないんだ。それにどうせミリシア共が…」
『報告!エリ、失礼、ルーレイロ一等兵の班との連絡が途絶えました!最後の交信では戦闘中だったようですが…。ノゲイラ大尉、どうしますか?応援に行った方がいいですか?』
現場の隊長から指示を仰ぐ声が届いた。ヴィニシウスは額による皺を揉んでから応える。
「いやいい。彼女ならどうせ無事だよ。ルーレイロ一等兵の所には私が直接行く」
『わかりました。…いつも大変ですね』
「もう慣れたよ」
ヴィニシウスは指揮車両から出てて、ルーレイロ一等兵の無線機のGPS反応を頼りにシダージ・ジ・デウスの街を歩く。道端には殺害されたギャング団たちの死体が、あちらこちらに捨て置かれていた。街の住人たちは窓から外を恐ろし気に伺っていた。ボッピ隊員たちが近くを横切ればすぐに窓から離れていく。
「軍警は相変わらず嫌われ者だな…仕方ないか…」
どこか自嘲気味にヴィニシウスはそう呟く。ファベーラの住民にとって警察は味方ではなく、恐ろしい敵に等しい存在だった。ブラジルの警察は貧困層に対して優しくはない。そして何より腐敗を極めている。みんなそれを知っているのだ。そしてヴィニシウスは広場に辿り着いた。一歩足を踏み入れた瞬間、凄まじい血の匂いを感じた。
「おいおいおい…またかよ…くそ…!ルーレイロ一等兵!またなのか!またやらかしたのかお前は!」
広場には夥しい量の血が流れ、元はギャングのものだっただろう沢山の手足や内臓がしちゃかめっちゃかに飛び散っていた。その肉片を踏みつぶしながらヴィニシウスは広場の中央に向かって歩いていく。
「いつも言っているだろう!スラッグ弾を至近距離からぶち込んでんじゃねぇよ!ギャング共がバラバラじゃねぇか!マスコミ共にこの光景を嗅ぎつけられたどうなるかわかってんのか!?聞いてんのか!ルーレイロ一等兵!!」
広場の中央にギャングたちの死体が積み重ねられていた。その上にボッピの黒い制服を着た一人の金髪の少女が立っていた。日の光を淡く反射し輝くように見える綺麗な長めの金髪を二つ結びのお下げにしており、背中に大きく長めの銃剣がついたショットガンを背負っている。
「おい!ルーレイロ一等兵!聞いてんのか!返事をしろ!エリザンジェラ!!」
金髪の少女エリザンジェラは積み上げた死体の上で両手を広げて目を瞑り、顔を空に向かってあげている。
「うるさいよヴィニシウス。今マリア様にお祈りしてるんだよ。このファベーラが少しでも平和になりますようにって。お願いしてるんだから…」
「本当に頭イカれてんだなお前は?!コルコバードのキリスト像気取りでお祈りか?!そのくせ足元には死体の山?狂ってんだよテメェは!」
ヴィニシウスには少女のポーズはリオの名物である丘の上の巨大なキリスト像のように見えた。それが彼にはひどく薄気味悪く、そして狂気のように感じられた。
「少しでも天国に近い方がきっと祈りは届きやすいの。それにマリア様はイエス様にそっくりな人のお祈りを聞いてくれるはずなんだから」
エリザンジェラは緑色の瞳を開いた。長い前髪は右側に流れ気味で、顔を隠しがちだった。だが前髪から覗かれるその顔立ちは誰が見ても息をのむほどに美しいものだった。ブラジルは世界各地からやって来た移民たちによって成り立っている国である。この地は同じ移民国家のアメリカなどとは違って肌の色が違う人種間の結婚が盛んだった。エリザンジェラの顔の造形は、様々な人種の良い所だけを選び、神が自らの手で並べ直したかのような完璧で神秘的な美しさを宿している。
「死体を積み上げたって天国には近づけやしねぇよ!いいから降りてこいエリザンジェラ!!」
渋々と言った様子で死体の山からエリザンジェラはヴィニシウスの横に飛び降りてきた。
「ヴィニシウスはなんでここにいるの?制圧はちゃんとやってるよ。ギャングはみんなちゃんと殺しておいたよ」
「定時連絡がないからわざわざ来てんだろうが!お前がまた何かやらかしてると思ったけど、やっぱりまたやらかしてやがった!ていうか仕事中はノゲイラ大尉と呼べといつも言ってんだろうが!」
「連絡…あっ。そっか連絡係はあいつらにまかせてたんだ。忘れた…。ふぅ。今度から気をつけなきゃな」
ばつが悪そうにエリザンジェラは首筋に手を当てて唸る。その様子にヴィニシウスはひどく嫌な予感を感じて尋ねた。
「おい。お前の班のメンバーはどこ行った?近くにいるのか?」
「ん?ああ、あいつ等ならそこにいるよ」
エリザンジェラが近くを指さす。ヴィニシウスがそこへ目を向けると、黒い制服を着た三人のボッピ隊員たちが倒れているのが見えた。一人は首から上が吹き飛んでいた。一人は腹から内臓すべてを零していた。一人は両手を足を切り裂かれており、頭に透明なビニール袋を被せられている。明らかに拷問の後だった。
「お前…仲間を殺したのか?!何やってんだ?!本気で狂ってるのか?!」
「あいつらミリシアだよ。ギャングたちと戦ってるときにわたしを後ろから撃ってきた。だから返り討ちにしたの。拷問したらミリシアのメンバーだって自白したよ。まあ下っ端みたいだけどね」
「ミリシアだと?そんなばかな…。ボッピの隊員はちゃんと素行調査してるんだ。ミリシアのメンバーのはずが…」
ミリシアと呼ばれる犯罪組織がブラジルにいる。彼らは非番、あるいは引退した警察官や公務員などで構成されている。ギャング団たちさえミリシアには遠慮する。彼らはファベーラを牛耳り、住民たちから徴税となどと称して金を巻き上げている。現職の警察ともつながる彼らは、ファベーラ住民を暴力で脅迫して、特定の議員への投票さえ呼び掛けて、地方自治や国政にさえも影響を及ぼしている。ブラジル社会の闇そのものである。
「金の臭いを嗅げば、誰だって腐るよ。軍警の安い給料で命を張れる人ばかりじゃないからね。まあそういう人は地獄に落ちる前にわたしが殺すけどね」
「だからって殺すのはやり過ぎだ。ミリシアが相手なら慎重に動かなきゃいけないのに」
「慎重?何言ってんのヴィニシウス。ボッピにまでミリシアが近づいてきたんだよ。むしろ殺しに行かなきゃ駄目でしょ。そろそろ殺しちゃおうよ。下から上に順番に殺していけばいずれはボスに辿り着けるんだからさ!」
エリザンジェラは柔らかに微笑んでいる。年頃の可愛らしさに溢れる笑みに、ヴィニシウスは確かな狂気を感じた。
「はやくこの街をきれいにしよう。ファベーラの皆がミリシアやギャングたちに怯えずに済むようにしてあげよう。丘の上のイエス様にわたしたちが正しいことをするところを見てもらおう。悪人を一人残らず殺し尽くしてみんなで楽しく生きようよ。マリア様。これから悪人共を皆殺しにします!わたしは彼らを許せないけど、マリア様は彼らの罪を許してあげてください!」
エリザンジェラは両手を胸の前で握り、祈りを捧げ始める。
「エリザンジェラ。お前はもう駄目みたいだな。従妹とは言え、お前を庇うことはもう出来ない…例の日本の話に放り込むか…渡りに船とはこのことか…」
ヴィニシウスは憐れむような目でエリザンジェラを見ている。そして首を振って、真顔になって告げた。
「エリザンジェラ・ハファエラ・ノゲイラ・ルーレイロ一等兵。辞令を出す。今日付けでお前をボッピから外す」
「…え?ヴィニシウス?何言ってるの?わたしをボッピから外す?なんで?」
突然の辞令にエリザンジェラは目を丸くして首を傾げる。
「お前は危険だ。このままだとボッピという組織そのものを危険に晒しかねない。だからお前はボッピから出て行ってもらう。仲間を殺して追放だけで済むんだ。有難いと思え」
「でもミリシアと戦わなきゃ!あいつらは悪党なんだよ!わたしのお父さんだってミリシアに殺された!ヴィニシウスだって…」
「俺の事は黙ってろ!!お前の狂犬のような見境のなさにはうんざりなんだよ!まだボッピにはミリシアと戦うための準備はないんだ!州議会の議員どころか連邦議員だって敵なんだよ!」
「それくらいわかってる!だから早く殺さなきゃ!悪党を一日でも長生きさせちゃダメなのに!!殺したい!ミリシアを!!」
エリザンジェラは髪を振り乱しながら怒鳴り散らす。
「うるさい!ボッピだけじゃなく軍警をクビにしてもいいんだぞ!!俺にはその権限があるんだからな!!いいか!?お前には日本に行ってもらう」
「はぁ?なんで?日本?外国?わたしは警察だよ!なんで外国?!」
「この間Sランクの戦略級異能者が出現した。今ブラジルはラテンアメリカ国連軍のレイエス軍閥とダンジョン権益を巡って揉めてるんだ。だから戦力が欲しいらしい。政府はその異能者をブラジルの味方につけたいそうだ。お前の『眼』なら見つけられるだろう?」
「そんなの知らないよ!わたしはヒウから離れるつもりはないからね!」
(*リオ・デ・ジャネイロはブラジル公用語のポルトガル語ではヒウ・ジ・ジャネイロと発音する)
「うるさい!いいから日本に行ってこい!いいか?よく聞け!もしそいつを見つけられたなら連邦政府からの覚えが良くなる。ボッピの予算だって増えるかも知れない。そうすればミリシアと戦う力もつけられる」
「だったらヴィニシウスが行けばいいじゃん。わたしはいや」
「聞き分けのない奴だな!お前の『眼』が必要だって言ってんだよ!」
「ターゲットはSランクの能力者でしょ?どうせそういう奴は悪党だよ。見つけても味方になるとは思えない」
「そういうのは見つけてから言え!…はぁ…一応ターゲットがブラジルの味方にならない場合は他国の手に渡さないためにありとあらゆる手段を講じてもいいそうだ。意味はわかるな?それで納得しろ」
「…ふーん。そっか…いざとなったらそいつのことを
ヴィニシウスの説得が功を奏したのか、やっとエリザンジェラは任務の受領に納得したのだった。
「お前はいったん陸軍に転籍して、そこから日本国連軍に出向することになる。現地では士官学校に通うことになる。良かったな。学校に通えるぞ」
「学校…わたしが…?」
「そう。行きたかっただろう。任務だがせいぜい楽しんで来い。そこで一度人生を見詰め直してみるのもいいんじゃないか?お前はイカれてるけど、それでも女の子だ。こんな血なまぐさいこと以外に出来ることを探すチャンスは多分あるさ。まあ軍警察にお前を引き込んだのは俺だからこんなことを言う資格はないんだろうけどな」
エリザンジェラは怪訝そうにヴィニシウスを見詰めている。ヴィニシウスはふっと柔らかに笑みを浮かべて言う。
「ルーレイロ一等兵。任務を復唱しろ」
「カベイラ!!エリザンジェラ・ハファエラ・ノゲイラ・ルーレイロ一等兵は、日本に行き学校に通いながら、戦略級異能者を探し出してカベイラにします!カベイラ!!」
「なんか若干わかってない感があるが、まあいいだろう。ではすぐに出発だ」
「ところでヴィニシウス。日本って船で行ける?」
「それじゃ遠すぎる。飛行機だ。それでも24時間かかるけどな」
「…飛行機…?しかも24時間…?!ヴィニシウス!ヤッパリ任務はなしで!」
エリザンジェラは顔を青くしてガタガタを体を震わせ始める。
「キャンセルなんて許すわけねぇだろバカ!」
「でも駄目だよ!コルコバードのイエス様の頭より高い所を人間は飛んじゃ駄目だよ!罰当たりだよ!」
「うるせぇえええええ!イエス像で高所恐怖症を肯定すんじゃねぇよボケが!とっとと行ってこい!このアホが!!」
ヴィニシウスはエリザンジェラの首根っこを掴み引きずる。
「いやだぁ!いやだようぅ!墜落する!絶対落ちる!こわいぃ!飛行機怖いようぅ助けてぇ神様!神様!神様ぁ!!マリア様ぁ!!いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
そして泣きわめいたエリザンジェラは飛行機に放り込まれて日本に旅立ったのだ。
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