第22話 重い女たち

 ペントハウスから出て従業員エレベーターに乗って、リリハ先輩がふっと口を開いた。


「アラタくん。わたくしは重いんでしょうか?」


「別にそんな風に思ったことはありません。先輩には沢山お世話になっていてすごく感謝してます」


「恩着せがましいとは思わなかったですか?…自衛隊の特戦群は守秘性が極めて高い部隊です。部外者を本来受け入れたりしないのです。後輩の育成を期待すること以上のことをわたくしはたしかに期待…」


「それ以上は言わなくてもいいですよ。良いんです別に。先輩が何かをくれるなら、それ以上のものを返すことはいいんです。…あなたが思い悩んでしまうことに比べたらずっとましです」


「…ごめんなさい、アラタ君…」


 リリハ先輩は綺麗な顔を苦しそうに歪めて俯かせていた。先輩みたいな美人さんにこんな顔をさせてしまうことが苦しかった。どんな言葉がこんな時に効くのかよくわからない。祢々の時だって結局はどうにもできなかった。自分の不器用さに不満しかない。


「まっ!考えても仕方ないかなぁ。ウチなんて所詮ただのギャルビッチだし☆きゃは!」


 黄色い声音と共に先輩の髪が明るい茶髪に変化し化粧も派手に変わる。ギャルモードに切り替えてきた。


「次のリーフェ・コーニング大将はバーを貸し切ってお偉いさんたちと遊んでるんだって!ウチめっちゃ楽しみぃー!パーティーで今日のワンナイトをキメちゃう素敵な元カレゲットしちゃうんだぞ☆」


「元カレってゲットするものなのかな…?…引き続きサポートよろしくお願いします」


「任されー☆」


 リリハ先輩が可愛らしくウィンクしてくれた。だけどその顔には何処か痛々しい影を俺はおぼえてしまったのだ。




 バーにはアジア国連軍の将校たちや経済人やら政治家さんやらが集まっていてた。それは落ち着いた雰囲気の立食パーティーだった。クラシックの生演奏を背景に人々は歓談を楽しんでいた。俺とリリハ先輩は人々の間を掻き分けて、このパーティーの主催者であるリーフェ・コーニング大将の下へと向かった。


「おや。アラタ君。やっと来てくれたのかい?待ちくたびれたよ」


 東アジアを除くアジア全域を支配する大軍閥のコーニング大将は窓際に面したビリヤード台のところにいた。近くにはドレスを纏った美女たちが群がっている。


「相変わらずおモテになりますね」


「別にそんなことはないさ。それにボクも女だからね。君にそう褒められるのは少し微妙かな。ふふふ」


 微かに笑みを浮かべている。コーニング大将は詰襟の軍服にスラックスを着ている。ポニーテールにまとめた青い髪とクールな印象の切れ長の青い瞳。背も高くスレンダーなので、どことなく男装の麗人のようなカッコいい雰囲気がある。キューで球を突いている様がとても絵になる人だった。その優美さはウォーロードなんて言う野蛮な称号とはどうにも反しているように思えた。


「君もどうかな?」


「下手糞ですよ」


「かまわないよ」


 大将は俺にキューを渡してきた。俺はビリヤードをあまりやったことがない。そういう意味では少し新鮮。そして俺とコーニング大将は他愛無いお喋りをしながらビリヤードに興じる。リリハ先輩は大将の注文を処理したり、近くにいる女性たちのお世話をしたりしてくれていた。


「ところで君の横に侍っているそっちの女の子。派手な見た目の割には随分と喋らないね。結構戦闘力ありそうだし、度胸もありそうに見えるからウォーロード相手にビビるようなたまでもなさそうだよね?どうかしたのかい?」


「…いえ。ウチはあくまでもアラタっちのサポートですから。アラタっちのコーニング大将閣下への接待の邪魔をする気がないだけです」


「接待の邪魔か。ははは!あーわかったわかった。レナエルあたりに詰られたんだね?あの子は子供だからね。あまり気にしなくていいよ。レナエルは難癖をつけるプロだよ。どんな相手でも詰りに行く。あの子の言葉には意味がないからね。聞くだけ無駄さ」


「アハハ…そうしますね」


 コーニング大将はリリハ先輩に優し気にそう言った。だけど大将がリリハ先輩を見る瞳にどこか危うい何かを感じてしまった。先輩もそれを感じたのか少し身を縮こませた。


「リリハ先輩。すまないけど、俺の分のドリンクお願いしてもいいですか?従業員休憩室の奥の奥のにある自販機のスポーツドリンクがいいです。焦んないんでゆっくり買ってきてください」


「…アラタっち…うん。わかった。…ごめんね…」


「いいえ。お願いします」


 そしてリリハ先輩は俺たちの傍から離れた。


「随分と気を利かせてしまうんだね。面白くて綺麗な子なのにボクの傍から遠ざけてしまうなんてひどいじゃないか」


「リリハ先輩に暴言を投げることは許さない」


「暴言?まさか!ボクは人生の先輩として多少の助言をしてやるつもりになっただけだよ!暴言だなんて誤解もいいところさ!」


 やっぱり難癖吹っ掛けて責める気だったようだ。リリハ先輩をここから離して正解だった。俺は少しイラつきながら目の前の球を突いた。球は狙った通りに転がらず、そのままポケットに落ちてしまった。


「ふふふ。いやー。アラタ君にも苦手なことがあるんだね。少し安心したよ。ボクが見たところ君には欠点らしい欠点がないからね」


「俺は完璧な人間じゃないです。今だって接待相手にイラついて手元が狂う程度の器しかないんですからね」


「いいね。クールな君がボクに向かって感情を露わにしている感じ。たまらないなぁ。あの人が敵を睨むときはこんな感じだったんだろうか?ふふふ」


 コーニング大将は俺の方に寄って来た。そしてキューを構えていた俺の背中に軽く抱きついてきた。


「何するんですか?」


「ビリヤードのやり方を教えてあげるよ。君の動きは何処か固い。さあボクにまかせて…」


 コーニング大将が俺の両手に背中から手を乗せてくる。そしてキューを持つ構えを後ろから治される。コーニング大将はヒールの分があるので俺より少しばかり背が高い。だから外から見たら案外後ろにくっつかれて教わる姿は様になっていたかもしれない。


「ボクも昔はこうやって後ろから彼に抱かれながらいろいろ教わったんだ。剣や銃の構え方。それだけじゃない他にも色々。ボクは好きだったよ。こうやって抱かれるのが」


「思い出の彼氏さんってやつですか」


「思い出ではないよ。現在進行形さ…そう。まだこの恋は終わらないんだ」


「なら他所の男にこうやって引っ付くのはよした方がいいと思いますよ」


「…ふふふ。そうかそうか。…ククク…あはは…」


 コーニング大将は俺に抱き着きながら笑っていた。可笑しくてたまらないと言った風なのに、どこか悲し気にも聞こえた。


「さて構えも治った。一緒に球を打ってみようじゃないか」


 そして俺はコーニング大将と一緒に目の前の球を突いた。それはまっすぐに進んで近くにある別の球に衝突した。その弾はナインボールに当たり、そのまま二つの球はポケットに落ちた。


「ナイスショット!いいね。ボクには教え導く才能がありそうじゃないか!アハハ!楽しい!」


 コーニング大将は俺にぎゅっと抱きついて楽し気に喜んでいた。ボーイッシュな感じだと思っていたのに、体はしっかりと女の柔らかさだった。世界で一番ヤバい人の一人のはずなのに、ドギマギとしてしまう心を止められなかった。


「昔のボクは教わるばかりだった。足手まといでね。何の役にも立たない女だった」


「ウォーロードにも未熟な時代があったんですね」


「ああ、そうだよ。彼にはいつも迷惑ばかりかけていた。親友にも心配ばかりかけていた。ボクは役立たずだ。それでもいいと思ってたけどね。女の子だったしね」


 その声には寂しさと後悔とが滲んでいるように思えた。


「ねぇアラタ君。ラエーニャって、いい先生やってるかい?」


「…ええ。俺にいつもチャンスをくれます。困っているタイミングで誰かに助け舟をだしてくれるいい先生です。というかあなたもラエーニャ先生の知り合いなのか?」


「…そうだね。ボクは彼女の事を親友だと思ってたよ」


「思ってた?」


「そう。思っていた。でもね。見ちゃったんだ。彼がラエーニャと会ってるところを」


 なんか声が怖いし悲し気に聞こえた。


「そう。見てしまった。彼はすごく困ったような顔をして、ラエーニャに相談していた。だけどラエーニャが二、三の助言をしたらすぐにその顔は和らいだんだ。…彼はボクには困った顔なんて見せない。完璧な彼はボクには絶対に何も相談しなかった。ラエーニャには相談していた。困ったことも悲しいことも辛いことも。何もかもをラエーニャに話していた。おかしいじゃないか。ボクは彼に純潔を捧げて愛を交わし合ったはずなのに…。ラエーニャは抱かれてもいないのに、彼に頼られていたんだ。ねぇアラタ君。おかしいと思わないかな?ボクはおかしいと思うんだ。君もそう思わないか?」


 恋愛についての後悔を聞かされても困る。それに嫉妬する理由がよくわからない。


 

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