第20話 朝チュンコーヒー希望とかいうパワハラ

 リリハ先輩にぎゅっと抱きしめられている時、突然休憩室に大きな声が響いてきた。


「丁嵐くん!!休憩は終わりだ!!すまないがすぐに仕事に戻ってくれ!お願いだ!!頼むぅ!」


 このホテルの従業員のリーダーが休憩室に入って来るなり、俺に向かって土下座してきた。


「なんですか?頭あげてくださいよ。何があったんですか?」


「…実は…うちのホテルに今…痛客四天王が泊ってるって知ってたかい?」


「「…え?いやいやいや!!??」」


 俺とリリハ先輩は思わず顔を真っ青にしてしまった。痛客四天王とは文字通りの意味だ。とにかく厄介。だけどこれは異常事態だ。


「いやちょっと待ってください!あの四人は不足事態を避けるために、基本的には同じ場所に絶対に集まらないはずなんですよ!あり得るとしたらニューヨークの国連本部だけ!なんで東京に全員集合!?自衛官のウチだって聞いてないですよ!そんな話!」


 先輩が珍しく焦りの顔を見せている。彼女たち痛客四天王は基本的には同じ場所で鉢合わせるようなことはしないはずなのだ。なにせ彼女たちはウォーロード。国連軍内で互いに勢力を伸ばすパワーゲームを行う暴君たちなのだ。昨日クラーロヴァー少将とは遭遇したから、彼女がこのホテルに泊っているんだろうとは思ってた。まさか他のウォーロードまで居るなんて…。


「このホテルに泊まるのを先方が望んできてね。国連側からの要請で日本に来ていることは一部のものにしか秘密が開示されていなかったそうだよ。だからホテル側も従業員が下手に緊張しないように、教えなかったんだ。…だけど…やっぱり駄目だったね…すまないけど丁嵐くん。君が彼女たちを接客するしかないんだ…覚悟を決めて欲しい…」


「…マジかよ…ええ…一人でも厄介なのに…?4人同時…?」


「一応クラーロヴァー少将側からは昨日会ったからいいってコメントを貰ってるよ!残りは三人だけだ!大丈夫!丁嵐君なら出来るよ!!」


 リーダーはすごくいい笑顔で親指を立てている。だけどその声は明らかに恐怖で震えていたのだ。俺だって震えたいわ。なにせ彼女たちは世界各地を支配する大軍閥のトップだ。機嫌を損ねたらどんな目に合うか。バイトクビ程度ならばいいけど、それでは済まなさそうな恐怖が消えてくれないんだよね。


「いやーアラタっち大変だねぇ。まじで応援してる。あ!ところでリーダー!さっき23人目の元カレからお互い今はフリーだし友情エッチしようってメッセきたんで早退しますね!!では!ウチはこれで!」


 脳内元カレからのお誘いを盾に逃げ出そうとしているファッションビッチのリリハ先輩の手を俺はがっしりと掴む。


「せんぱーい。元カレより俺の事を選んでよ。あんな奴らの事なんて俺が忘れさせてやるよ…イヒヒ…」


「…普段だったらその台詞は超嬉しいんけど…ほら…はは…」


「せんぱーい…俺…助けて欲しいよぅ…頼むよ…先輩じゃなきゃ…先輩じゃなきゃ…駄目なんだ…」


 俺は出来るだけ駄目な男になったつもりで猫なで声を出して御願いしてみた。


「ぐわ!やめて!そんなウチを都合のいい女扱いするようなバブみ視線でおねだりするのはやめて!ウチの母性本能がうずくぅ!ウォーロードの恐怖さえ超えてうずくぅ!!」


「先輩が言ったんですよ…弱くてもいいって…俺…先輩にだけなんだ…弱みを曝け出せるのは…一緒にいてよぅ…」


「ぐはっ!お股がキュンした!…リーダー。ウチがアラタっちのサポート入ります!」


「志願ありがとう!!鶴来さんにはあとで臨時ボーナスとうちのホテルのエステの最上級コースを受けさせてあげようじゃないか!!」


 リーダーさんは安心しきったような笑顔を浮かべている。リリハ先輩がサポートしてくれるのは心強い。


「アラタっち!勘違いしないでよね!ウチは別に君のことなんか全然好きじゃないんだからね!誰にでもヤラせてあげちゃうくらいお尻が軽いだけの都合のいい女なだけだからね!」


「え?ああ、ありがとうございます…すごく助かります」


 謎のツンデレが炸裂して俺は困惑を隠せなかった。というか碌なもんじゃないよね?何でこの人はこんなにビッチを装うのが好きなんだろう?果てしなく謎である。


「では2人にはまずレナエル・ルロア中将の所へ行ってもらいたい!!時差ボケでまだお部屋で寝ているんだけど、丁嵐君に起こしてもらって朝チュンコーヒーしたいそうだよ!」


「うちって高級ホテルですよね?なんで出張ホストみたいなことサービス受けてるの?」


「指名料はもう貰ってる!頑張ってきてくれ!!」


「「はーい。わかりましたー」」


 こうして俺は地獄の接客ツアーに放り込まれることになったのである。





 オセアニアを支配するウォーロードであるレナエル・ルロア中将は屋上のペナントハウスに泊まっていた。周囲にはオセアニア国連軍の精鋭と思われる兵士たちが見回りを務めていた。お食事を乗せたカートを押す俺と先輩が近づくと何処か憐れむような笑みを浮かべて通してくれた。部下たちの普段の苦労がうかがい知れるというものである。


「思い出しますわ。わたくしの8人目の元カレは意識の高いベンチャー系起業家でこういうところに住んでいたんですの。庭から摩天楼を見てヤリまくってましたわ。素敵な思い出です」


 隙あらばふわっとした設定の脳内元カレトークを入れてくるリリハ先輩は、接客の為にさっきのギャルギャルした見た目から正統派の黒髪ロングの清楚系な外見に見た目を変えていた。この人はわりと外見に厳しい自衛隊に籍があるので、普段のギャルな髪型はスキルで一時的に染めているだけなのだ。黒髪の清楚モードだとまじで何処かのお嬢様みたいな上品さを醸し出してるので、ちょっとギャップに酔いそうになる。喋り方もそれっぽい。本当に変な女だと思う。そして俺たちはハウスの中に入る。先輩はキッチンに入って、無駄に高級な豆でコーヒーを入れる。そしてその間に俺はルロア中将の寝室へと入る。


「…すぴぃ…ん…」


 大きなダブルベットの真ん中に一人で眠る女の横顔が見えた。俺はベットに近づいて声をかけた。


「ルロア中将。起きてください。ルロア中将」


「…んん…まだ…ダメ…」


「中将…起きてください…」


「…こっち…きて…」


 俺はベットに身を乗り出して、中将の耳もとまで顔を近づける。


「ルロア中将。起きて…うわっ…」


 突然布団から手が伸びてきて俺の体を掴んで引っ張りこんできた。


「どうしてなれは起きているのでありんす?さあ。汝も一緒に横になるとよい。わっちと共に夢を見ようではないか…」


 俺の体はベットの上に横たわってしまった。そしてルロア中将が俺の腕に絡みついてきたのを感じた。俺の胸に上に顔を乗せてこっちの方を眠たげな眼で見つめていた。


「起してほしいってホテル側に言ってきたのはルロア中将でしょう?」


「女の言葉には裏しかないのでありんす。起してほしいと言えば、それはすわなち一緒に寝て欲しいということ。これはあくせく働くアラタへのわっちなりの配慮であるぞ。寝ているだけで仕事になるのじゃ。ありがたく感謝せよ」


「そういうわけにもいかんのよね。ほら起きろ!」


 俺は布団をバッサリと持ち上げる。


「何をするでありんす!わっちはまだ時差ボケなのじゃ!」


「そんなこと言われても俺には関係ありません!俺の仕事は中将を起こすこととコーヒーをサーブすることです!」


 そして俺はベットから離れてカーテンを開ける。窓の向こう側には東京湾が見えた。本当に雰囲気ある部屋だ。恋人と来れればきっと夜は盛り上がるだろう。そして振り返ると気だるげな様子でベットに横たわり、微かに笑みを浮かべる中将の姿が見えた。本当に美しい女だと思う。緑色の長い髪には温かみのある親しみ感を感じ、なのに金色の瞳には力強いカリスマのようなものを感じるのだ。


「…まったく汝は強引な男じゃな…もう…相変わらずじゃ…。布団がなくなって冷える。こっちへ来るのでありんす」


 ベットに気だるげに横たわるルロア中将は下着姿だった。スレンダーなのに、メリハリの利いたボディラインはどんな男でも唸らせるような色気があった。俺は近くのソファーに掛けてあったバスローブを手に取りベットの上に腰かける。そしてそれを彼女の肩にかけた。


「おや。わっちの肌は見たくないのかえ?」


「見続けると囚われそうです。ここにはコーヒーを淹れに来たんだ。仕事を忘れるわけにはいかない」


「ふふふ。そうかそうか」


 ルロア中将はどこか楽し気な様子を見せた。そして俺は両手を叩いてリリハ先輩を呼ぶ。先輩は寝室に入ってきてコーヒーポットを乗せたカートをベットの近くまで持ってきた。そしてルロア中将に尋ねる。


「ルロア中将閣下。ミルクとお砂糖はどれくらいにいたしましょうか?」


「ありありがいいでありんす」


 すごくふわっとした注文が来た。こういうのがこの人の痛客の所以でもある。


「わかりました。ありありですね」


 リリハ先輩はお盆の上にコーヒーを淹れたカップを置き、その隣にミルクとお砂糖をそれぞれ置いた。そしてそのお盆を俺の膝の上に乗せた。


「ルロア中将。砂糖とミルクはアラタさんに目を見てまぜまぜしていただこうと思います。実にありありだと思いませんか?」


 このくそファッションビッチ、まるでメイド喫茶みたいなこと言いだしやがった。男がそれやってもキモいだけだろうに。だが。


「ほう。それはありありじゃな!すばらしいでありんす!」


 機嫌がすごく良さそうだった。つーかリリハ先輩も俺に注文の処理を投げてるだけだよね?だがやるしかない。俺は適当に砂糖を入れてミルクも適当に注ぐ。そしてルロア中将の目を見ながらかき混ぜる。


「ふむ…これはなかなかいいでありんすなぁ…わっちのこの体がまだ彼の事を知らなかった初心い乙女の時代の気恥ずかしさを思い出してしまう…熱い…そして…何よりも甘い…」


 ルロア中将は頬をまるで乙女の如く微かに赤く染めながら俺の目を見ていた。この人は億単位の人間の上に君臨する独裁者なのに今はまるで少女のように見えたのだ。

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