第18話 与えられることの卑しさ
クローラヴァー少将は祢々を蔑むのを愉しむような目で見ている。
「ラエーニャの娘よ。どうしてお前の瞳は濡れている?」
「お前がラエーニャのことを馬鹿にしたからでしょう!!」
「いいえ違います。アラタ様に後ろから抱きしめられているから、嬉しくて
「…え…。…ち…ちがう!ちがう!ちがうの!」
暴れるのをやめた祢々は首をまるで子供のようにイヤイヤと振っている。
「違いません。その目は昔のあたくしと同じです。…そう…あの人に触れているだけで幸せだった愚かな少女だった時のあたくしと…。人に喧嘩を吹っ掛けて、男にその愚かさを止めてもらって構ってもらって、それで雌らしく感じてる…ああ、なんて卑しい女なんでしょうね。全部そうなんでしょう?違いますか?あなたは自分が抱えている問題をきっと何一つ解決できずに、男の手に委ねてる。きっと心震えていたんでしょう?アラタ様があなたのために振るう暴力を見て心を高く高く震わせていた…」
「ちがう!そんなことない!ないの!感謝してる!いっぱいしてるの!アラタが助けてくれてとっても嬉しいって!それだけ!それだけだからぁ!!」
祢々は俺の胸に縋りついてきた。顔を真っ青に染めて必死に俺に喚いていた。
「卑しい女。ラエーニャの娘。お前は卑しい。感じていたんでしょう?自分の隣にいる男がその暴威でもって他者を踏みつけ圧倒し君臨する様にお前は興奮していたのでしょう?。ふふふ。ほら?見せてごらんなさい?強い雄の力を前にして発情した雌の証を見せてごらんなさいな!」
クローラヴァー少将は扇子の先で祢々のスカートの裾を少し持ち上げる。
「…あ…やめ…やめて…」
いつもの祢々ならきっと暴れるはずだった。この子はモンスターにもヤクザにもビビらない子のはずなのに、今は微動だに出来なかった。目の前の少将の圧力に完全に飲まれている。俺もとっさのことに体が動かなかった。周りの護衛たちも俺に銃口をきっちりと向けているのが見える。威嚇されてる。
「ラエーニャの娘。お前の事は手に取るようにわかります。お前はきっと自分の美しさを呪っていた。愚かな雄共を沢山引き寄せてしまうその美貌を疎んでいた。…でも今は違います。素晴らしい雄に出会った。何でも与えてくれる雄に出会えた。お前は神に感謝した。雄の欲望を繫ぎ止められる美貌を持っていることを神に感謝してしまった!さあ見せなさい!発情の証を…!さあ!さあ!」
扇子の先は徐々に上に向かっていく。このままだとパンツを衆目に晒されるだろう。流石に悪ふざけが過ぎる。この瞬間は例え威嚇されていても体を動かさなければならない時だ。俺は祢々の前に立ち、少将の扇子を叩いた。
「アラタ…?」
祢々は涙目で体を震わせている。
「クローラヴァー少将!それ以上はやめていただきたい!」
「あら?あらら?あらまあ…。アラタ様。その娘を庇うんですか?」
「当たり前だろう!こんなことされて黙ってられるか!あなたはウォーロードだから多少のことは泣き寝入りすることは覚悟してた。だけどこれは駄目だ!尊厳にかかわることは絶対に許さない!!」
「尊厳?ラエーニャの娘に?尊厳?くくく。アラタ様。その雌にはそんなものはありませんよ。あなたが与えるものだけで生きている雌ごときにそんなものは認めません。認められないですね」
クローラヴァー少将の口元にはひどく冷たい微笑が浮かんでいた。本人の実力も相まって、それはとても恐ろしいものに見える。
「この子は俺に生かされてるわけじゃない。自分の考えでちゃんと生きているんだ」
「そうですかね?ラエーニャの娘よ。一つ聞きます。あなたはアラタ様に何か与えたことはありますか?あなたはアラタ様から貰ってばかりなのではないですか?」
俺は祢々の方に振り向いた。この質問にはちゃんと答えられる。俺はこの子から色々と優しくしてもらった。さっき礼无にお見舞いをしてくれたこと、俺はとても嬉しかった。
「…あれ…え…?あれ?…あたし…アラタになにかをあげたことあったかな…?…貰ってばかりだ…あたし…貰ってばかり…」
「違う!祢々!それは違う!こんな奴の言葉を真に受けるな!!」
俺はクローラヴァー少将を睨みつけて怒鳴る。
「この子は尊敬に値する人だ!あなたが蔑むような人ではない!!この子は周りの人々に優しくしていた!この理不尽な世界で傷ついた人々に寄り添い支えてやれるような素敵な女の子だ!」
同じ施設で育った先輩たちが戦争で心身を傷つけられてまともに生きられなくなっても、この子は優しく寄り添っていた。だから俺はこの子を助けたいと強く願った。俺はこの子から「聖性」とでもいうべき感銘を覚えた。
「アラタ様。他の者への奉仕などは問題ではないのですよ。その雌は自覚がある。隣にいる男に何も与えてはいないということにね。…アラタ様。これは愛の問題ですよ。他者への慈悲や惻隠そういう綺麗な感情ではなく、隣にいる交わりたいと思う男への愛の話。ラエーニャの娘。もう一度聞きますわ。お前はアラタ様に何を与えられましたか?『体』以外の回答でお答えください」
「…っあ…あああ…っ。あたしは…そんなぁ…」
祢々は顔を両手で覆って俯いてしまった。
「あらあら。やっと恥を覚えましたか。そうでしょう?あなたには体以外にアラタ様に与えられるものが何一つもない。それは男の隣に立つ女には相応しくない資質です。そんな女は男の陰に隠れていればいいのです。夜だけ共にいればいい。それ以外は役には立たないのだからそれが妥当な扱いというものでしょう」
「この!いい加減にしてください!俺はこの子から様々なものを受け取っている!普段の演習でも!ダンジョンの戦闘でもこの子の実力を俺は高く評価して頼りにしている!何が体以外に価値がないなどと!ふざけたことを言いやがって!」
「そうですか?…ラエーニャの娘よ。…アラタ様はお前の戦闘力を高く評価しているぞ。…残念ですわね。可愛いと言ってもらえなくて」
その時祢々は一瞬体を震わせたのだ。そして彼女は自分自身の体を抱きしめる。まるで何かを堪える様に。
「そうですか。やはりそうですか。その資質や才能や実力を褒められるよりも、もはやお前にとっては男に『かわいい』と言ってもらえるほうがよほど価値があるのですね。それは人間ではなく、雌の価値観ですよ。あはは!おーほほほほほ!!」
クローラヴァー少将の笑い声が響き渡る。祢々はただただ俯いて体の震えに耐えている。
「さて…ラエーニャの娘への、姉としての教育はここまでとしましょう。アラタ様。ラエーニャへ一つ伝言を頼みたいのです。よろしいですわよね?」
少将は俺の目の前に立ち、両手を俺の肩に乗せて後ろに回して組んだ。今にも顔と顔が触れ合いそうなほどに2人の距離は近い。少将の瞳が目の前にある。そしてさっきまでは明るい茶色だったその瞳は突然淡く光る紫色に変化したのだ。
「『ラエーニャ。あたくしは彼の隣に立つと決めました。邪魔はやめて祝福なさい。でなければ大恩あるあなたでも滅ぼす』そうお伝えくださいな」
「彼…?あんたたちはいったいどういう関係なんだ?」
俺が問いかけた時、クローラヴァー少将の瞳は悲し気に揺れたように見えた。少将の瞳は俺をただただ静かに見詰めていた。
「…。…そしてあなたにも一つ警告を。ラエーニャに身を委ねてはいけません。アラタ様はご自分の意志できちんと道を選んでください。ですが絶対にラエーニャだけは選んでは駄目ですよ。いいですね」
そう言って少将は俺の左頬にキスをした。触れていたのはほんの一瞬だったけど、その感触は酷く重く、何よりも甘く感じられてしまったのだ。
「ではごきげんようアラタ様!またお会いしましょう!」
少将は俺から体を離して、部下と護衛を連れて俺たちの前から姿を消してしまった。俺と祢々だけがその場に残された。
「祢々。大丈夫かい?…さっきのあれは気にしちゃだめだよ。あんなの意味がない空疎な言葉だ。君の事を何もわかってない人の言葉だ」
俺は祢々の肩を撫でる。体を縮こませて微かに震える祢々をどうしても労りたかった。だから撫でた時に祢々の体の震えが止まったことが嬉しかった。
「…アラタぁ…あたし…あたし…駄目だよ…触らないで…あたしに触らないでよ…」
祢々の涙混じりの声に俺はさっと手を放す。いけない。最近は気軽にボディタッチをお互いにしていたから忘れていたけど、この子は女の子だった。本当ならば男の俺が気軽に触っていいわけないんだ。
「…あっ…寂しい…アラタが触れてないから寂しいの…アラタが触れてたところが温かいの。…そこだけが気持ちいいのに…寂しいよう…!もっともっと欲しいのに…触れて欲しいのに…あいつ通りだ…あたしは…あたしは…!!ああああああ!!」
そしてとうとう祢々は泣き出してしまった。そしてカフェテリアから飛び出してしまった。
「待ってくれ!待ってくれ祢々!!」
「ごめん!ごめん!ごめんなさい!ごめんね!アラタごめんねぇ!!」
祢々は施設の中庭を走っていく。俺はそれを追いかけた。そして施設の周囲に設けられた壁の所までいき、そこで桜色のオーラを展開してジャンプした。壁の上まで跳んでその上に立った。
「ごめんアラタぁ…あたし…顔が見れないよ…見せられないよ…あいつの言った通りだった。…さっきだってそう。出会った日からずっとそう。何もあげられなくて、貰ってばっかりで、そのくせ楽しくて…気持ちよくて…ははは…アラタに触れてもらえる理由を作ることばかり考えてたよ…。ごめんね…。あたしは与えることが何もできない卑しい子だった」
「落ち着け祢々!あいつの言葉に囚われるな!そればかりじゃないよ!祢々!おりてこい!祢々!」
「ごめんね。今日は楽しかったよ。…さよなら…!」
そして祢々は壁の向こう側に飛び降りてしまった。彼女は一人で帰ってしまった。
「祢々…。俺は今日、君にとても感謝してたのに…。なんでこんなことに…くそ!」
頭を掻きむしっても答えはちっとも出てくれなかった。
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