第17話 母になってくれない女


 見舞いを終えた俺たちは施設の中庭に面したカフェテリアコーナーで休憩を取っていた。窓越しに中庭で遊ぶ子供たちの姿が見えた。ああやって遊べる子供たちは症状が軽い子だ。


「礼无は残念だけど長くない。俺が学校を卒業する前に多分死ぬ」


「…そうなんだ…それは…ああ…そんな…」


「ごめんね。だから連れてきたくなかったんだ。知り合ってもすぐに葬式になってしまうような顔見知りができるのは辛いよね」


「そんなことないよ。出会ったことに辛さはないよ。それは違うよアラタ。それは違う。違うよ。あたしはレイナちゃんに出会えてよかったって思うよ」


 祢々は悲し気に眉を歪めて首を横に振った。


「そっか…ありがとう祢々…はは…こういう時は泣けばいいのかな?…どうすればいいのかわかんないや…あはは…」


「あたしが代わりに泣いてあげようか?アラタは水臭いけど、人を慰めることをめんどくさがらないもんね」


 祢々は俺の頬を優し気に撫でた。俺は泣いてもいないのに、彼女の指は俺の目尻を撫でていたのだ。


「そうだね。そうかも…ん?あれ…?兵隊?」


 いつの間にか窓の外の中庭に迷彩服を着て剣やライフルで武装した兵士たちがいることに気がついた。胸やヘルメットにUNのマークがついている。


「え?あっ。ほんとだ。確かに国連軍だけど、外国人だけだね。日本にいる国連軍って大抵は日本人だけなんじゃなかったっけ?」


 日本に駐留している国連軍は、自衛隊からの出向かもしくは徴兵されてきた日本人でほぼ構成されている。外国籍の兵士はあまりいない。日本はダンジョン対策がうまくいっているので、他国の人員で自国の防衛を埋める必要がないのだ。むしろ日本人の兵役は国連軍として外地、すわなち海外にて戦闘行動に従事するのが一般的であり、外へ応援に出す側なのだ。


「確かにそのはずだけど…。…あの部隊のマーク…ヨーロッパの国連軍だ…」


 中庭の子供たちに目を向ける。子供たちが一人の女に群がっているのが見えた。国連軍のタイトスカートの詰襟制服を纏っている。明るい茶色の髪に同じく茶色の瞳のとても美しい女。長い髪を編み込みのハーフアップにしていていた。


「すごい美人だね。…え?うそ!?階級章が少将?!ラエーニャより偉い?!」


 茶色の髪の美人の制服についている階級章は少将に地位に女がいることを指し示していた。国連軍の将官は安保理の承認がないとなれないので、あの女はとてもつもなく偉い存在のひとりなのだ。国連軍において少将以上の階級とはいわゆる各地域を経済的軍事的に支配している軍閥の長ウォーロードに与える地位となっている。


「あの人はシャールカ・クローラヴァー少将。北欧からジブラルタルまでを事実上支配する大軍閥のトップだ」


「嘘ぉ…なんでウォーロードがここにいるの?…ええ…」


 クローラヴァー少将は屈託のない笑顔で子供たちと戯れていた。優し気に子供たちと触れ合う姿にはどこかほっこりするものも感じた。だがそれでもあの女はウォーロードの一人だ。だけどここにいること自体は不思議ではない。


「あの人はここに多額の寄付を出していて、名誉理事なんていう名誉職もやっているんだよね。いやぁでもまさかバッティングするとは…」


「ちょっとおっかないね。まああたしたちは日本国連軍の所属だし…関係ないか」


 士官候補生は一応現地の国連軍の所属となる。そして俺たちは卒業するとまず自衛隊の幹部に任官する。そこから国連軍に正式に出向という形になる。外国から来た留学生の場合は所属国の士官に任官してから国連軍に出向ということになる。国連軍は管区ごとに人事が独立しているので、敬意は払う必要はあるが、他所の管区の国連軍のお偉いさん相手に過度に恐れを抱く必要はない。


「ねぇねぇアラタ…。あの人こっちのこと見てない?」


 そう、クローラヴァー少将が俺たちの方へ視線を向けていた。周りの子供たちの頭を撫でた後、カフェテリアの方へと優雅な足取りで向かってきたのだ。


「…目を逸らせ…あの手の手合いはクマと一緒だ。目を逸らしてやり過ごすんだ…!」

 

 俺と祢々はこちらへと向かってくるクローラヴァー少将から目を逸らした。だけど彼女の迫ってくる気配は消えなかった。そして彼女は護衛を引き連れて中庭からカフェテリアに入ってきた。


「あらあら!これは奇遇ですわね!アラタ様!ご機嫌麗しゅう!あなた様の顔が見れてあたくしとても嬉しいですわ!ええ!とてもね!」


 クローラヴァー少将はとうとう俺と祢々の席の前までやって来た。せっかく無視してたのに、向こうからやってきやがった。こうなると流石に相手しないとまずい。俺たちは所詮は軍隊という体育会系も真っ青な上下関係の中で生きているのだから。俺と祢々は席から立ち上がり敬礼を行う。


「クローラヴァー少将閣下。ご壮健で何よりであります。閣下の武運長久をお祈り申し上げます。では自分たちは原隊へと帰還しなければならないので、これにて御免!」


 俺と祢々はクローラヴァー少将から離れようとしたが、すぐに止められてしまった。


「あらあら?そんな他人行儀はおよしくださいな!あたくしとあなた様の仲でしょう?違いますか?」


「…自分はただの士官候補生なので…」


「あたくしもただのウォーロードの一人に過ぎませんわ!所詮衆生の皆々様方はウォーロードのことなど、野蛮人だと蔑むばかりです。あたくしなど立派な存在ではありませんわ!」


 そんな謙遜の仕方をされてもこっちは困るだけだ。この人は億単位の人々の上に立つ独裁者の一人だ。委縮せざるを得ないのだ。


「ねぇねぇ…もしかして知り合い?」


 祢々は燻し気な目で俺に問いかけてくる。


「何度かバイト先で顔を合わせたくらいだよ。ほんとそんだけ」


 俺は祢々に小声で返事をした。この人はバイト先のホテルの痛客の一人だ。過去なんどか接客したのだが、何故か気に入られている。


「あらあら?アラタ様。大変可愛らしいお嬢さんをお連れですわね?このような器量ある女を連れまわせるようになったということに頼もしさを覚えますわよ!ですが同時にやはりよろしくない気もいたしますわね。ままならない。ああ、ままならないですわ!」


 クローラヴァー少将は扇子を取りだして開き口元を隠した。なんというか口調も相まってお嬢様っぽく見えなくもない。


「しかし本当に美しい娘ですわね…ああ、可愛らしいですわね。美しい少女が麗しい少年の隣に寄り添って立っている姿はやはりいい」


 祢々の事を少将は興味深げに見ている。だけど同時に何処かその目には危うい色も見て取れた。クローラヴァー少将は俺の事を見詰めていた。


「ああ…かつてのあたくしもそうだったのでしょうか?あの人と離れ離れになる前の事です、あたくしはいつも彼の腕を抱いて歩いていたのですよ。あたくしは彼の隣にいたのです。…いいや…違う…あたくしなど所詮は…隣ではなく後ろを歩く女に過ぎなかった。だってそうでしょう?腕を抱いていても体重を預けるならばそれは隣に立ったとは言えない。そうでしょう?」


 何処かその声には悲し気な印象が含まれていた。なんとも意味が解らない。


「やはりよくありませんわ。アラタ様。あなたには隣にちゃんと立ってくれる女性がよろしいと存じます。だからそちらの娘はやめておきなさいな。頼ることしか知らない。無能な女の臭いがします」


「なっ!?…ちょっと!なに!なんなの?!なんであたしが馬鹿にされなきゃいけないの!?あたしがいったい…」


 祢々は怒りに眉を歪めて、体の周囲に桜色のオーラを出現させた。


「だめだめだめ!祢々!駄目だ!食って掛かるな!!その人はウォーロードだ!!」


 俺は祢々の手を握って止める。非常にまずい。いくら挑発されてもこっちからは絶対に喧嘩を売ってはいけない相手はいるのだ。


「…くぅ…ごめんアラタ…止めてくれてありがとう…」


「やはり頼ってる…無能女め…所詮はラエーニャの子飼いか…あの女好みの、体にしか価値がない女ということですかねぇ…ふぅ…あの女はいつまでも同じことを繰り返すつもりなんですね。添い臥し役しか選ばない。愚かな…」


 せっかく祢々を止められたはずだったのに、またしても煽られてキレてしまった祢々を俺は後ろから羽交い絞めにした。


「ラエーニャのことまで馬鹿にしたの!?ふざけんな!あの人はあたしのお母さんみたいな人なのよ!この!」


「駄目だって言ってんだろ!!この人は駄目だ!駄目!祢々!後で俺の事を罵ってくれていい!堪えろ!堪えてくれ!!」


「でも!でもぉ!アラタ!こいつ!こいつは!!」


 ジタバタと暴れる祢々を俺はとにかくぎゅっと強く抱きしめる。


「貴方何?!いったい何なのよ!ラエーニャのことをなんで馬鹿にしたの!?ラエーニャは優しい人なのに!!」


「ええ、よく知ってますよ。ラエーニャは優しいところもあります。あたくしがまだ幼かった頃、彼女の長いスカートによく抱き着いていました。顔を見上げてラエーニャの顔を見ると、いつも困ったような顔をしていました。でも…頭を撫でてはくれました。ですが母親にはなってくれなかった…どうせあなたもそうでしょう?違いますか?」


「…それは…そうだけど…」 


 なんだろう?この人の言っていることはおかしい。クローラヴァー少将は20年にもわたってヨーロッパを支配し続けているウォーロードだ。その少将が子供の頃にラエーニャ先生に甘えた?そんな馬鹿な。この人は一体何年前の話をしてるんだ?




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