第16話 泣けない男の子

 俺と祢々はランチシートに横たわり抱き合っていた。祢々は俺の胸の中で静かに泣き続けていた。頭を撫で続けてようやく落ち着きを取り戻してくれた。


「ありがとうアラタ。傍に居てくれて…」


 ランチシートとお弁当箱を片しながら、祢々は何処か気まずげに頬を少し染めていた。


「気にしなくていいよ。一人で帰るのはちょっときつそうだし、女子寮に送っていくよ。実はこの後用事があるんだ」


「用事?…どこ行くの?お友達と遊びに行くの?…それならあたしも連れてって欲しい。だめかな…?」


「いや。すまないけど祢々を連れて行くには行かない用事なんだよ」


「もしかして彼女とデートとか…?」


 祢々は俺の袖をぎゅっと掴んできた。


「…ねぇ。その…こんなこと言うのは…変だけど…行かないでよ…お願い…置いていかないで…アラタに好きな人がいてもいいの…でも…あたしを置いていかないで…」


 その瞳は悲し気に震えていた。もし俺に彼女がいたとしたら、デートをすっぽかしてこの子といることを思わず選んでしまいたくなるような視線だった。


「いや。彼女じゃなくって…。…うーん…困ったなぁ…」


「…ごめんね。困らせてごめん…でも…いや…一人で帰りたくないよぅ…」


「…ああ…。わかった…いいよ。一緒に行こうか」


「ありがとう!」


 祢々は安心したようで、朗らかな笑みを浮かべている。


「でもお願いがあるんだ」


「わかってる…他の女の子を見ても出しゃばらないようにすればいいんだよね。大丈夫だよ。あたしはキスしてるの見るくらいなら耐えられるから!でも流石にエッチしてるところを見ちゃったり、やってるところに混ざれって言われても無理だよ。いくら女余りの時代でもはじめては二人きりがいいかな…」


 このご時世、兵役による男性の死亡率が半端ないため、兵役対象の10代後半以降の男女比率は女余りだ。一夫一婦制度の建前は何処の国も崩してはいないが、事実上の一夫多妻的な家族制度の擬制を法的には用意されている。そうでもなきゃ人口が維持できない。個々人の恋愛観はまだまだ一対一が支配的な常識なのだが、それでもだんだんとハーレム的な方向を容認するような社会の空気ができ始めているのを多少は感じている。童貞の俺には想像もつかない世界だ。少なくとも俺の義理の父には第二夫人なんてものはいなかった。


「俺がいつ彼女に会いに行くって行ったんだ…?そんなに俺がモテるように見えるかね?まあいいや。じゃあついてきて」


 俺は祢々を連れて電車に乗り神奈川県の湘南に向かった。駅を降りた時に祢々は湘南の海を見て何処かわくわくした様子だった。だけど俺はその反面浮かない顔をしていたと思う。俺たちは海沿いにあるとある施設にやって来た。


「…なにここ?病院?」


 祢々は施設内をキョロキョロと見まわしていた。俺たちは施設の一番奥にある棟に入った。


「そんなところだね。ここはモンスターの出す瘴気で病気になった子供たちが治療を受けている研究センターなんだ」


「瘴気?え?あれって病気になるの?確かに多少はダメージになったり、服が傷んだりするけど…」


「実は人によっては瘴気に対しての抵抗性を持たない場合があるんだ。あるいは過敏に反応してしまったりね」


「そうなんだ。モンスターもダンジョンも本当にこの世界を駄目にしているんだね。みんな…苦しんでる…」


 俺の話を聞いて祢々はやるせなさそうに眉を歪めている。この子は本当に優しい子だ。苦しんでいる人がいることを想像できる素敵な子。


「うん。そうだね。この世界は苦しすぎる…。だからごめんね祢々。本当は君には見せたくなかったんだ…」


 受付を通って建物の奥のとある部屋を目指す。廊下はとても静かだった。声を出せるようなものはこの棟にはいないから…。そして俺たちは目的の部屋にやって来た。


「俺の妹がここに入院している。祢々。お願いがあるんだ」


「…何でも言って」


 俺の出す雰囲気を機敏に察したのだろう。祢々は真剣な眼差しだった。


「優しくしてあげてくれ」


 そして俺たちは部屋に入った。


「やあ、礼无れいな。お兄ちゃんだよ。遊びに来た。今日はどうだい?俺の声は聞こえてる・・・・・かい?」


 俺は海に面した窓の傍のベットに向かってそう言った。ベットには一人の綺麗な顔をした女の子が横たわっていた。俺の義理の妹の丁嵐礼无だ。年は一つ下だ。


『うん。今日は耳は動いてるよお兄ちゃん!あと腕の感覚が少しあるんだ。指もちょっとだけ動くよ。ほら!』


 ベットから機械合成された妹の声が響いてくる。その声の通りベットの上にあった彼女の手の指は少しだけ動いていた。俺はベットの傍にパイプ椅子を置いて、そこに座る。そして礼无の手を優しく握った。


「俺が握ってるってわかるかい?」


『うん。暖かいね。とても暖かいよ…レイナはお兄ちゃんの事ちゃんと感じてるよ…』


 祢々はその様子を悲し気な顔で見つめていた。こんなのを見るのはきついだろうね。礼无は体を全くと言っていいほど動かせない。一応最新鋭のマンマシンインターフェイスと繋いでいるため、スピーカーやカメラを操作したり、ドローンやPCの操作なんかは出来る。だから良く寮にいる俺とチャットしたりネットゲームに興じたりはしている。でもそれくらいしかできないのだ。


「礼无。今日は友達を連れてきたよ。斯吹祢々っていうんだ。クラスメイトで同じ小隊を組んでるんだ」


 俺は祢々の事を礼无に紹介した。


「よろしくね。レイナちゃん。あたしのことはネネって呼んで。あなたがアラタの妹なら、あたしの妹みたいなものだもの」


『ネネさんっていうんですね。よろしくお願いします!でもすごい綺麗なひとだね!そっかー!女っ気のないお兄ちゃんにもやっとこんな素敵な女の子が傍にいてくれるようになったんだね!』


 礼无の嬉し気な声がスピーカーから響いてくる。この子は自分がこんなにも理不尽な目に合っているのに、俺の事を心配してくれているのだ。祢々は礼无とすぐに打ち解けてくれた。二人は他愛ないお喋りに興じて行った。


「いつもアラタにはお世話になっているんだよ。素敵なお兄ちゃんだね。レイナちゃん。それでね。この間も悪い人たちからあたしの大切な人を取り戻してくれたんだよ」


『そっかー。うんうん。良かったよ。お兄ちゃんはいつまでもかっこいいお兄ちゃんのままだったんだね!お兄ちゃんって水臭いから、レイナに会いに来ても、自慢話とかちっともしないんだよ!ネットには男の子は自慢話をしたがるって書いてあるのにね!』


「あーわかる!それすごくわかる!水臭いの!逆に強がってる感じ!そう!そういうところは可愛くないの!」


『だよねー!お兄ちゃんはちっともかわいくないの!…うん。…可愛くないよ…泣いたりしたっていいのに…』


 スピーカーの声が少し悲し気な響きになる。


『…泣いてもいいのにね。お兄ちゃんは自分の事で泣いてもいいのに…。こんな妹を抱えてるのに…一度も泣いているところ見たことがないの…ねぇネネさん。ネネさんはお兄ちゃんの泣いてるところ。見たことありますか?』


「そうだね…あたしもないんだ。逆はあるのに…アラタは泣いてるところをあたしには見せてくれないんだ」


 祢々は礼无の手をぎゅっと握っている。


「俺は男だから泣かないだけだよ。男は泣いたらいけないのよ。それに将来は指揮官になる予定だからね。部下の手前で泣いてたら、戦争には勝てないもの」


「水臭いな…。うん。アラタは…水臭いよ…寂しい…」


 隣に座る俺の肩に祢々は頭を乗せてきた。暖かくて柔らかい心地の良い重み。こんなものを感じてしまったら逆に泣けないだろう。女の子の前で泣く男は、結局女の子を守れないもの。それはきっと駄目だと思ったんだ。


『お兄ちゃん…レイナの前では泣かなくてもいいけど…ネネさんの前では泣いてもいいはずだよ』


「いやだよ。幻滅されちゃう。男の涙はダサいから」


『泣けない方がきっとダサいよ。泣けない男の子をよしよししてくれる女の子はきっといないと思うよ』


「よしよしには魅力を感じるけど…それでもやっぱり無理だと思う。俺には無縁の世界だよ」


『…そうかなぁ…レイナは…そうは思えないよ…女の子の前で泣かないってことは、女の子を信じてないってことだよ。多分…そうだよ…』


 その言葉に俺は反論できなかった。多分図星だったのかもしれない。というか俺は女の子だけではなく、誰も信じていないんだと思う。何かこう裏切られることを恐れているところが俺にはある。でも特にすごく嫌な出来事なんかが起きた記憶はない。自分でもこの他人への不信感のようなものは、どうしても拭えないのだ。


『…ふぁああ…ごめん…お兄ちゃん。今日はもう起きてられないみたい…久しぶりにお喋りがいっぱいできてちょっと疲れちゃった』


「そっか…じゃあ今日はこれでお開きにするよ」


『来てくれてありがとうね。ネネさん。また会えたら嬉しいです』


「うん!レイナちゃん。また来るね!」


「またすぐに来るよ礼无。元気でな…」


 俺たちは椅子から立ち上がり部屋を出た。



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