第9話
「んっ〜ふわぁ、気持ち良かった〜」
風呂上がりに、清々しい気持ちで居間へ行くと、英歌が手を組み、肘を伸ばし軽く上半身ストレッチしていた。
俺もドライヤーをかけていたので、少し時間をかけてしまった。
椅子に腰掛けリラックスしていた英歌は立ち上がりカーテンを開けた。
今日は雲の少ない晴れ空だったので星もよく見える。
部屋の電気もあったが、見渡す事の出来る街中の光が下からの星空のようで、外からの明るさも十分に感じられた。
周りにもマンションは少なくないし、今日行ったショッピングモールもあったが随分高いな。
高所恐怖症だったなら耐えられないだろう。52階建てだったのだが、ここは38階の位置にある部屋だったのでこんなに高いとは相対的に思わなかった。
英歌は机をこんこんっと叩き、そこにはプリンとスプーンが用意されていた。
「ほらほらぁ~、プリンだよっ!」
「プリン好きなのか?」
俺は促された通りに椅子へ座った。風呂上がりの座り心地凄いな、動けなくなりそう。
「うん。定番のカスタードが好きだからいっぱい買ってきちゃって〜」
「俺冷蔵庫の中身見てないがまだあるのか……」
冷蔵庫も大きかったが、料理途中の食材出しは全部英歌がしていたし、どれほどあるのだろうか。禁止されている訳でも無いし、食べ終えたら見てみよう。
「あれ? 丁度出会った記念の2つだと思っちゃったかな? そういうケーキとか買ってくるべきだったかなあ。私にしては不覚だった!」
「いいよ。この景色が見られただけで」
俺は顔の向きを窓へ向けて、また夜空を見上げる。
「星、好きなの?」
「ああ、本番は冬だけど、色々思い出がある」
俺の大好きな恋愛小説作家、霧谷昼悟先生の処女作『夜空の探し物』で最も重要なシーンが冬の夜空を見上げた時の会話だ。
俺自身の経験でないのは悪いが、俺の大事な思い出であった事を否定はできない。
それが俺の——初恋のきっかけになったのだから。
「なら今年の冬は、これまで以上の思い出になるといいね」
「そうだな」
俺はきっと新しい思い出で上塗りしてくれるなら拒否する理由にはならない。許嫁という関係にはなったものの、心の距離はある。もし、何処までも距離を埋めてくれたなら、本当に恋人ならずとも、かけがえのない友達にはなれそうだと思った。
「今日、初めましてだけど激動の1日だったよ。こんなのが毎日続いたら、俺はどうなっちゃうのかな」
「私ってもしかして迷惑だったかな。初日は賑やかな方が良いからテンション上げているけど明日からは落ち着くよ?」
「ああ違うよ。えーっほら、俺迷子になっちゃったから、その疲れがあったみたい。英歌のことが嫌だった訳じゃないよ」
ショッピングモールでの出来事も含めて色々あった事を思い出して言ったんだが、知らないのだから自分のことだと思ってしまったのなら申し訳ない。
でも、俺も勘違いはあったか。そりゃ毎日わんぱくに元気なのは疲れるだろうけど、全然顔色に疲れを出してこなかったから、猛烈にハイな性格だと思ってしまったようだ。
夏美と砂那に愚痴っぽく話しをしていたことを恥じた。
そんな事を考えていると、英歌がジト目で俺の顔をまじまじと見てきた。
「なんか、私じゃない女の子の事考えてそう……」
「友達との会話の記憶が蘇ってきただけだよ」
嘘は言ってない。英歌は何か疑う様子だったが、友達の性別までは聞いてこなかった。
「もうっ! 今は私のこと見ていてよね。瞬き一つも許さないよ!」
「幾ら外が明るくても、夜は瞳孔が開きやすいらしい。だから瞬きは許してほしい」
それもまた『星空の探し物』の知識、事実かどうかは知らない。
実際には、無意識での心の高まりが瞳孔を開いてしまっており、本でも暗にそう示されていたのだが、朝倉空は気付かなかった。
ついぞ読み込んで者として反射でそう言ってしまったが、英歌の表情は一瞬クスッと笑ったもののすぐに仏頂面になった。
「何それ雑学?」と言いたかったのかだろうか。でも、それ以上に憤りを感じさせる想いが強かったらしい。
「気持ち的な問題なの。女心がわからないなら、私が教えてあげるから、よく学ぶように!」
「わかったよ。明後日には入学式で、新たなクラスメイトと仲良くするには必要だよな」
「早速女心の生かじり!? 私以外の女の子と仲良くする術なんて教えません! 私が教えるのは私専用にしか通じないことを肝に銘じて!」
「反骨心溢れる女心ってなんだよ! 仲良くするのが女子とは言ってないだろ?」
思っていたよりも女友達は問題だったか。既にいるが念の為クラスメイトと言ったのは正解だった。結局脈絡から対象が女子という解釈をされてしまったな。
さて、これからどうやって説得しようか。
「最初から女子に色目をつかうような台詞聞いて、黙って見ていられませんよ!」
意外にも頑固なところもあるようだ。その点に限っては英歌の新たな一面を知れたのかもな。
「英歌が認める女子となら仲良くしていいだろ? その女子が俺の事嫌がったら仕方ないけど」
考え方は逆だ。クラスが違ったらそもそもそうなる確率は低くなるが、夏美と砂那は英歌に興味持っていたし、どっちかが仲良くなってくれれば英歌の目の前でも自然と話せるようになる。
「うん。それはいいよ。私は空くんの良いところしか口に出せないから少し心配」
「人は他人からの話を聞いただけで好きになる程単純じゃないよ」
「わかんないよー。空くん見た目だけでもうイケメンだし更に好感度上がっちゃうかも!」
そこまで容姿が良いとは思わないが、ある程度整っていて清潔感を保っているのは否定しない。顔は両親から受け継いだ大切なものだし、大切にしないといけないからな。
「俺よりも容姿が良い奴なんて幾らでもいるから大丈夫だ」
「そういう見え透いた卑下はいいですー。私はそう思うんだもん」
「そっか。でも心配はいらないよ。俺もすぐに誰かを好きになるほどちょろくない。暫くは英歌に手綱を引かれておるよ」
「ずっと引いているもん」
拗ねたようにそう言うが、少し口端が緩んでいるのが見てとれた。
それがなんだかおかしくて、俺は笑ってしまった。
英歌とは、こんな距離感でいいだろう。
許嫁の話を一々言ってくる訳でもないし、話し相手として申し分ない。
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