02▼王宮魔術師


「キトは早くから森に行った様だよ」


 そう言って書類仕事に戻るセシルを見送った後、アクロンは一瞬だけ迷ってから先に“そっち”へ行く事にした。

 城の正面から外に出て、美しい庭園を左手に臨みながら少し離れた場所に見える大温室の方へと向かう。温室の手前にある大理石のガゼボを過ぎた所で、視界の端に石造りの小屋が現れた。アクロンは迷うこと無く真っ直ぐにその小屋へと歩を進め、無遠慮に扉を開ける。

 室内は薄暗く、しんと静まり返っていた。壁一面に置かれた棚にはぎっしりと本や紙類が詰まり、簡素な机や椅子の上にもそれらが積み重なっている。乾燥させている途中なのであろう薬草類が天井からいくつも吊るされ、色とりどりの何かが入った小瓶やら大瓶やらも其処彼処に目に付く。それらの物量の割に見る者に乱雑なイメージを抱かせないのは、きっちりと整理整頓されているからだろう。

 そんなモノ達の歓迎はあったが、此処に来た目的の人物の姿は見当たらない。

 やはり地下か、とアクロンは部屋の奥にある本棚と本棚の間の空間を目指した。其処には等間隔に並んだ二つの白い光に照らされる十段程の短い階段があり、彼はそれを下っていく。石造りの空間を一歩進む毎に薬草を調合している時独特の匂いが強まり、何となく鼻がむずむずする様だ。


「入るぞ」


 やがて現れた地下室――正確には半地下室の、入口に備え付けられたノッカーで扉を強めに叩いて、相手の微かな返事と共に暗い色をした木製のそれを押し開ける。同時に、鼻を衝く香りが一層濃さを増した。


「お前が此処に来るなんて珍しいな」


 部屋の中央で火に掛けられた大鍋の傍ら、木製のハイスツールに腰掛けた人影が振り返る。腹部や背中を大きく露出させた、一般的には……というより、少なくともこの国では他に着る者がほぼいないであろう特徴的な衣服を纏ったその人は、背中まである黒髪を火に反射させながら鍋をかき混ぜていた手を止めた。


「どうした?」


 彼は額にうっすら浮かんだ汗を指先で拭いつつ、何処か悪戯な笑みを見せて首を傾げる。その顔立ちは男とも女とも取れ、顔だけ見たならば女性と間違える者の方が多いだろう。


「父上から結界の強化の言付けを頼まれた」

「結界の強化を? ……確かに、最近油断出来ない状態だもんな」


 アクロンの言葉に僅かに考える素振りを見せると、彼は善は急げだと軽やかな動作で椅子から降りる。


「オーガスタ、魔法薬は良いのか?」


 火に掛けられたまま相変わらずキツい匂いを漂わせる鍋と、大きく伸びをする目の前の人物を交互に見つめてアクロンが不安げに問い掛ける。それに対して彼――オーガスタは「キリが良いから大丈夫」と軽い調子で答え、いつの間にか手にしていた蓋を鍋に乗せると指先を鳴らして燃え盛っていた炎を消した。


 ――王宮魔術師。

 それがオーガスタの職業だ。

 しかしそうは言ってもあまり堅苦しいものではない。彼の家系はずっとソルレイルの王宮魔術師として仕えているが、王室とプライベートな交友もあった。現王妃であるアクロンの母親と、先代の王宮魔術師だったオーガスタの母親は特に仲が良く、私的に会う事も頻繁にあった。

 その内にオーガスタが産まれ、後にアクロンが産まれ、二人がお互い遊び相手になるのは必然的だった。一緒に叱られた事だって何度もある。そんな経緯もあり、現在でもアクロンとオーガスタの関係は王子と王宮魔術師の枠には収まらない。


「……便利だな、魔法は」

「勉強する気になったか?」

「遠慮しておくって言ってるだろ」


 期待の込められた、左右色違いの紅と翠の瞳で見つめられアクロンは眉根を寄せる。オーガスタは少しだけ不服そうな顔をすると、地下室の出入口に突っ立ったままだったアクロンの隣をすり抜けざまに「残念」と呟いていった。



 城の裏手はひっそりとして、すぐ迫る森の木々が落とす影でほんのりと薄暗い。

 そんな中でも一番人目に付かない場所にある目立たない扉の奥、長い通路の先――限られた者しか知らず、限られた者しか立ち入れない部屋の、不思議な色を放つ丸い結晶が置かれた祭壇の前に二人は立っていた。その足元では、結晶体と同じ輝きの魔法円が己の存在を厳かに主張している。

 異常無し、とオーガスタは誰に言うでもなく零し、この空間に来るのは初めてではないのにきょろきょろと辺りを見回すアクロンに対して少し下がるよう指示すると、両手でそっと結晶に触れた。そして一呼吸置いてから、聞こえるか聞こえないかの声量で言葉を紡ぎ始めた。

 結晶が光を増す。それに同調する様に魔法円も光量を上げ、アクロンは思わず瑠璃色の目を細めた。

 オーガスタは詠唱を速めていき、今ではその内容を聞き取る事は出来ない。

 輝きは留まる事を知らず目を覆わずにはいられない程になり、やがて最高潮に達するとまるで弾けたかの様にその光は部屋の壁を迸った。


「……ん」


 あれ程までに眩しかった石造りの室内は、今や二人が入ってきた当初と変わらぬ明るさまで落ち着いている。オーガスタは満足そうに頷くと、魔法円の外側で眩しさの余韻に目元を押さえているアクロンに向き直った。


「……今日は一段と長かったな。目がチカチカする……」

「物騒だから一応、な。これで並大抵の奴なら弾ける筈だ」


 俺も眩しかったと悪戯に笑うオーガスタは、最後にもう一度部屋の中を見渡す。入って来た時と同じ様に異常が無い事を確認すると、この部屋を施錠する為の鍵を指先でくるくる回しながら外へ通じる薄暗い道を戻り始める。アクロンは未だちらつく視界を誤魔化す様に瞬きを繰り返しながらその背中を追った。



「――じゃあ俺は仕上げに戻るから、また後でな」


 長い通路を抜け、扉を鍵と魔法とで施錠した後、オーガスタは再び鍵をくるくると回しながら自らの仕事場へと歩いて行く。その内何処かに飛んでいくぞ、と思いながら、アクロンも簡単に「ああ」とだけ返すと、当初の目的だった森へ入るべくゆっくりとその足を進めた。



「……」


 ――二人が去ったとほぼ同時に、木々の間から人影が滑り出す。

 フードを深く被ったその人物はアクロンとオーガスタが去って行った方向をそれぞれ一瞥し、口を閉ざした扉の前へ静かに移動する。そして頑丈に錠を掛けられた扉を舐める様に見つめると、フードから僅かに覗く色素の薄い唇をにいと歪めた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る