五 船の旅

「澪。大事はないか」

「はい。笙明様の方が心配だわ」

「澪よ。わしの心配もしてくれ」

「龍牙は寝てろよ」


妖隊の一行は、都の目指し、船の旅に出ていた。船酔いの龍牙を他所に笙明と篠はのんびりと鴎を眺めていた。

怪我をしていた澪も治り、機嫌良く波風に当たっていた。

秋の潮風。陸に沿うように船は進んでいた。他の客は都に帰る薬売りだけ。彼は笙明を話で盛り上がっていた。


「ねえ。澪、寒くないかい」

「ええ。篠の方が寒いでしょう」

「うん」


澪は弟のような彼をそっと胸に抱きながら座った。彼は目を瞑っていた。


「気持ちいい」

「そうね。天気が良いし」


朗らかな青空に微笑んだ澪であったが、少年の思いはこの胸にあった。

母が鷺である娘、澪。彼女が慕う笙明は陰陽師。彼は叶うはずのない二人の思いを歯痒く思っていた。あたたかい彼女の膝。これに手を置いた。母を知らぬ篠は彼女に温もりと愛を思っていた。恋なのか、愛なのか。同情か、友情なのか。彼にはまだ線が引けなかったが、澪のことが大好きだった。

彼女の笑顔が見たい篠は、一緒に過ごしていた。

そんな中、船頭が途端に騒ぎ出した。


「何事ぞ」

「旦那さん。海坊主が出たんです」


船乗り達はそう言うと何やら用意を始めた。それは縛った鳥だった。


「何をするの」

「篠。あれは餌ではないか」

「澪は見ないで!」

「平気よ。でも、海坊主って何かしら」


船乗り達の一人が、大声で説明をした。それは海に出る妖怪。狙われた物は海にひきづり込まれると言う恐ろしい魔物ということだった。


「身を低く!決して顔をあげないでくだされ!」


風が出て波が高くなってきた。この中、妖隊と薬売りは身を低くしていた。


「でたぞ!」

「あそこだ」

「鳥を投げろ!」


怒号が飛ぶ中、船乗り達は必死に海と戦っていた。


「誰か落ちたぞ」

「あ、あそこだ」


海に落ちた船乗り。波間に浮かんでは消えていた。その男の向こうには大きな頭が見え隠れしていた。


「海坊主だ」

「食われるぞ」


こんな騒ぎの中。妖隊はじっと海坊主を睨んでいた。


「どうする?俺が行く?」

「仕留めねば。もっと近くないと」

「ううう。わしは酔った」

「笙明様。龍牙はダメだわ」

「わかっておる」


その時、ぎゃあと悲鳴が出た。この時、篠が着物をスッと脱ぎ。ふんどし姿になった。


「行ってくるよ」

「気をつけてね」

「船頭。船をあれに近くに寄せろ!」

「ひい?」


恐る船頭を脅した妖隊は、海坊主がいたあたりに船を進めた。篠は返事を待たずに海に飛び込んだ。

やがて海坊主が頭を出した。その頭には篠が乗っており短剣を刺し、そこを掴んでいた。


「龍牙!とどめを刺すのだ」

「うええ?」

「ダメだわ?」

「……滅・苦・没・死・止・痛」


この言葉に海坊主は苦しみだし、頭にのせた篠と浮いたり沈んでいた。


「龍牙!お願い、早くあれを仕留めて」


澪の必死の声に龍牙が目を凝らしていた。


「……何?ど、どこ」

「もう良い!我が仕留める」


その時、船の薬売りが海坊主に向かって何かを投げつけた。


「何を?」

「毒です。あの子に水を飲まぬように」

「わかった!篠。それは毒だ」


返事が聞こえたのかどうか不明だが、篠は海での戦いを制し、スイスイと船まで泳いできた。


「海坊主は、あそこに浮いている」


船頭達はこれを船につけた。そして岩場にてこれを確認した。


「大男か」

「海の鬼か」


大きな口の顔は男、体がサメ。これが死んでいた。篠が口に手を突っ込み、妖の塊を抜き去った。しかし、船頭達は恐怖で震えていた。


「なんということを」

「不吉じゃ」

「いかがいたした」


海の魔物海坊主。しかしこれを殺めてはならないと古い言い伝えがあったと船頭は頭を抱えた。


「不吉な事が起こりそうじゃ」

「どうします?笙明殿」

「我れらは神に仕えるもの。祈ることしかできぬ。この海原に光明あれ……」


そんな笙明の笛の音は優しい調べを響かせていた。

やがて船は波に揺れ、夜を静かに進んでいた。狭い船内。龍牙と澪と篠は寝入っていたが、月を背に笙明は海を眺めていた。


「あなたさまは高貴な生まれと見ましたが、都には何をしに」

「旅をして、帰るところです」

「左様ですか。私も薬を売って都に帰るところです」


薬屋の男はほっとした顔を見せた。


「国に家族がいるので」

「旅は長かったのですか」

「ええ。長かった……」


男の顔には苦労が見えた。笙明は彼の旅の疲労を思っていた。

やがて朝になった。風が出ており、船乗りは必死に櫂を漕いでいた。


「大きな潮があって。それに飲まれると流されるんだって」

「わし達も手伝うか」

「余計な事をするな。静かに待て」


懐に澪を抱く彼の指示に龍牙と篠は従ったが、薬屋の男は、船頭達に薬を渡した。


「これを飲みなさい。眠らずとも力が出ます」

「ありがたい。どれ」


しばらくすると船頭達は力を取り戻し、危うい海域を脱することができた。


「助かった」

「その薬、すごいね。それ。何なの?」


「これは……『力のもと』じゃ。子供は無理だ」

「なーんだ」


篠の言葉に口が重い薬屋を笙明はじっと見ていた。

これ以降も難所を力の素で乗り越えたこの船は、とうとう京の港に着いた。


「ああ?揺れていない?」

「早く飛びたいわ」

「待て。船賃を払わねば」


篠と船頭達に向かった笙明は、待てと篠を止めた。


「なんだよ」

「あれをみろ」


穏やかだった船頭達は、薬屋を取り囲んでいた。


「船賃は要らない。力の素をくれ」

「俺もだ。あれが欲しい」

「すまぬ。もう無いのだ」


船頭達は彼の荷を奪い、中を荒らしたが同じものはなかった。


「どこなら手に入るのだ?」

「お主達の故郷じゃ。戻れば良い」

「そうか」


目が血走り興奮している船乗りに篠はさっと銀を払った。そして彼らは休みも取らずに北へと船を漕いで行ったのだった。



「一体どうしたんだろう」

「薬屋。あの薬は魔の薬か」

「……されど。使わねば我らは沈んでおりました」


飲めば快楽。飲まねば地獄。そんな薬を求めて北に帰る船乗りの身を薬屋が大事は無いと話した。


「ややすれば薬が抜けます。故郷に着く頃には正気になっておるでしょう」

「そうだと良いが、あ、これは」


港に行く交う人々。その中に笙明は知っている顔を見つけた。向こうも顔を明るくした。


「笙明。待っておったぞ」

「弦兄。なぜにここに?」

「なぜって、兄者が迎えに行けと。して。これは」


笙明の背後に隠れていた澪に天満宮、陰陽師、八田弦翠は驚きの顔を見せた。


「その娘は」

「笙明様。澪はこの方が怖い……」


背後で震える澪を見て、篠はすすと弦翠を引っ張った。


「ちょっと待ってください。笙明様はすぐ来ますので」



◇◇◇


「お前は、天狗の篠だな?そしてあなたが龍牙殿」

「左様です。天満宮の方ですか」


挨拶の中、背中に澪をくっつけて笙明がやってきた。


「兄者。この娘は旅で見つけた娘。妖を視ることができます」

「……澪と申します。あ、こっちを見ないで」


大柄で見下ろす弦翠から必死に隠れる澪に、彼は悲しくため息をついた。


「私は笙明の二番目の兄。弦翠と申す」

「兄?笙明様。本当なの?」

「先ほどからそう申しておるだろう」

「……ずいぶんな嫌われようじゃ」


一同に笑いが出たところで、弦翠は場所を変えようと移動させた。



港にある宿。船で疲れた彼らは寛いでいた。


「娘は?」

「外ですが、篠がついているので問題ござりませぬ」

「それにしても。何かあったのですかな」


龍牙の問いに弦翠はああと肩を回した。それはこの近辺にて怪異が出るとの話。調査に来たと兄は語った。



「とにかく兄者がお前も来るので行けと煩くての」

「優しくて何よりです」

「……わしは宿屋に話聞いてきますな」


やがて兄弟だけになった時、弦翠は帝の様子を話した。多少改善はしたものの、以前、苦しまれている状況だった。

帝を呪った魔物達。これを退治し呪詛を解きたいが、魔物はまだいる様子だった。


「西国に不信がある。何やら目論見があるやもしれぬ」

「父上は何と」

「ただ目の前の魔物を少しでも退治せよと仰せじゃ」


こんな弦翠は一緒に都まで同行すると言った。


「え」

「何じゃ。私が邪魔か」

「そうは申しておりませぬ」

「妖娘の事だろう。まあ、気にせずとも良い」


ある程度お見通しの兄に彼はすっと目を閉じた。


そもそも。弦翠は晴臣から薄々話を聞いていた。しかし本人を前にすると兄が夢中になるのが納得できた。


……都にも。あのような可憐な娘はおるまい。さて。これは大儀だぞ。


あの晴臣が気にする娘にただ興味があっただけであるが、笙明にすがる澪を彼も気になった。


この夜。夕餉を食べた彼らは同じ部屋で休んだ。しかし笙明は弦翠と月を魚に酒を飲んでいた。


「して。あの娘だが」

「弦兄には隠せませぬな」


笙明は陰陽師の兄に澪の正体。そしてこれからの話をした。


「都に連れて参り、私のそばにおくつもりです」

「あれほどの美女。気持ちはわかるが父上が何と申すか」

「……妻でなくとも良いのです。そばに居れば」


そう言って月を見上げた弟は旅の前と比べ精悍な顔になっていた。

妖の旅を危惧していた弦翠は、成長した弟の横顔を見ていた。


……兄者と同じ顔で。よりによって同じ娘を。


「弦兄?」

「なんでもない。それにしても。虫の音がうるさいことよ」


港町。秋の気配の宿はこれから起こる出来事を知らせるかのように、枯葉を静かに落としていたのだった。




続く




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