四 心、水を走る

……龍牙。起きろ、この!


「痛い?何をするのだ」

「やっと起きたし?」


寝入っていた龍牙は、自分を蹴った篠に向いた。しかし腕から血を流す篠を見てびっくりした。


「お前、それは」

「いいから!笙明様を起こせ!早く」


しかし。頭を打たれた彼は気を失っていた。これを龍牙は、念じて起こした。


「……ここは」

「俺達は道元に騙されたの!澪はさらわれたの!」

「何と」

「して……何処に行ったのだ」


頭を切った笙明は痛む頭を抑えていた。

この大雨。遠くには逃げられないと三人は思っていたが、澪をさらう意味を分からずにいた。


「好きなんじゃないの。そんなこと紫藤さんが言ってたよ」

「やはり澪を覚えておったのか」

「以前手当てをさせたのが間違いだった。しかし仏の道に仕えるものがこんな事を」


せめて命を取らなかったのは救いと話す龍牙に、篠も笙明は許さんとばかりに出かける支度をした。しかし大雨だった。


これに気を取り直した笙明は懐の水鏡で占った。そこには怖い顔の兄が映っていた。


「そうか。兄者はこのことを申していたのか」


すると鏡には文字が浮かんできた。


「『水』……澪は川か」


しかし兄の顔も文字も消えてしまった。

三人はこの夜はここで待機し、雨がやんだ夜明けに澪を探しに向かった。



「これは。道がないではないか」

「雨で増水したんだね」

「空に飛んでおらぬか。どこだ……どこだ」


流されていると仮定した彼らは流れに沿って探した。

しかし流木と泥水。恐ろしい自然災害に呆然としていた。


「あ。馬だ。道元さんのだ」

「ということは。澪も流されたのかもな。わしは向こうを見る」

「待て!適当に探しても見つからぬ!」


笙明は叫ぶと手を合わせ目を瞑った。

必死で祈ると、微かに妖の気配がした。彼らはそれを辿った。


「こちらの方のはず」

「ねえ。笙明様。笛を吹いて」

「わかった」


彼は思いを込めて吹いた。その切ない音色に、天狗の篠と修験者の龍牙も己の力で必死に彼女を探した。やがて篠に一瞬風が吹いた。その風の中に、澪の香りを感じた。

流木の中、必死に走る篠は、白い誰かに支えられた彼女を発見した。



「澪!ねえ、しっかりして」


血だらけの彼女は篠を見て微笑んだ。こうして彼女を発見したのだった。



しかし彼女の怪我は酷かった。全身打撲で胸を骨折していた。

床に伏せる彼女に三人は胸を痛めていた。


そんな中、彼女は明るかった。



「ところでさ。澪って誰といたの」

「知らないわ。白い男の人で。どこか笙明様に似ていたの」

「……左様か」


出来の良い晴臣の助けに彼は胸が痛んだ。


「だから。安心できたの。ほっとしたのよ」

「そうか……まあ、良いか」


彼の手を握る澪。しかし守れなかったことを笙明は悔いていた。

澪を休ませた間。三人に不穏な空気が流れていた。



「わしが悪かったのだ。道元殿を信じたからじゃ」

「違うよ。強く言わなかった俺のせいだ」

「そうではない。すべて私だ」


この責任合戦。どんどん加熱していった。


「そもそも!澪を人に見せるべきじゃなかったんだよ」

「では澪が悪いと申すのか。澪は優しい女だ。悪いのは道元殿だ」

「そうではない。すべて私だ」

「そうやっていつもいつも……。傷つくのはいつも澪じゃないか」


篠は怒って飛び出してしまった。

これには大人二人は黙ってしまった。



この日。笙明は澪のそばにいた。彼女はずっと眠っていた。母親が鷺である澪。人よりも回復が早そうだった。そしてこの場に篠がやって来た。


「さっきはごめんなさい。言い過ぎた」

「良いのだ。お前はいつも正しい」


こんな力のない笙明は篠に呟いた。


「なあ。澪の幸せは何であろうな」

「え」

「私が都に連れて行っても。澪は苦しいだけなのかもな」

「……」


深く悩んでいる笙明に篠は息が止まりそうになった。


「私と旅をすればこれからもこうなる。いっそここにいた方が澪は幸せなのか」

「そんなことないよ」


力なく澪を見つめる笙明。篠は自分に言い聞かせるように言った。


「澪があの家に一人で住んでいたって。同じ危険があるよ」

「……」

「それに。澪が俺達と行きたいって言ってたんだ。一人じゃ寂しかったんだよ」

「しかし」


「笙明様が幸せにしないなら。俺が幸せにするよ」

「お前が?それは困るな」


やっと息を吐いた笙明は少し微笑んだ。



「そうだな。そうしないとな」

「そうだよ!元気出してよ」

「ああ」


彼は立ち上がった。


「どこかいくの」

「ああ。急に用事を思い出した」


済まないが、澪を看ていてくれ、と言い残し、彼は龍牙の元に行った。そして二人はどこかに出かけて行った。

二人が戻って来たのは翌日の昼だった。




「どこに行っていたの」

「ちょっと気晴らしに修行じゃ」

「ふーん」


そういう龍牙の着物の袖は血がついていた。袴の裾の黒いものも、血の匂いがした。


龍牙は川に水浴びに行くといい、行ってしまったが、その体からはまだ殺気が残っていた。ここに彼も顔を出した。


「澪はどうだ」

「一度起きて食べたよ。今はまた寝てる」


「そうか。良かった」


そう微笑む笙明であったが、腕や顔に切り傷があった。

どこで何をして来たのか篠は聞かなかった。


やがて澪は動けるようになった。やはり回復が早い彼女に、うまい物を食べさせたい彼らは、馬に乗せて旅路を進んで行った。


越後の道の途中。

妖隊の詰所にやって来た彼らは、澪を巫女として共に寺社に泊まらせた。この寺社の住職は妖退治腕一番の八田に頬を染めながら、先に起こった事件を話した。



「この一帯にあった天代宗の寺が焼かれましてな」

「怖いですね」

「ええ。天代は仏でありながらさらった娘を妻にしておりまして。我々も困っていたのです」


そんな寺や坊主を何者かが焼き討ちにしたと住職は震えた。


「誰の仕業なんですか」

「わかりませぬ。生き残りの女達もまるで妖にあったように何も覚えておりません」

「……篠。澪の世話を頼む」

「は、はい」


鋭く目が光る龍牙の声。篠は何も考えないように澪の寝床に向かった。

彼女は元気を取り戻し、笙明と微笑んでいた。

笑顔で彼女の手を握る笙明の手。それは血に染まっているのかもしれない。篠は笑顔の二人を見ていた。


「篠。どうしたの」

「腹が減ったのか」


……澪が幸せなら。俺はそれでいい。


「篠?」

「なんでもない。ねえ。今夜の夕餉は粥だってさ」


篠はそう言って部屋を出た。夏の終わりの越後。

トンボが飛ぶ田の稲は頭を垂れていた。






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