三 洞中、悪を流す
東山道の進路を変え、北陸を目指す八田笙明達は夏の終わりの田を横目に旅を続けていた。
鷺娘の澪の感知能力と笙明の霊能力。篠の探索と龍牙の力技で四人は悪鬼ら妖を退治し、進んでいた。そんな彼らは同じ目的を持つ天領隊に出会うことがあった。
彼ら一年は早く都を出た腕利き隊。各宗派から期待された彼らであったが、この責務は難を窮めていた。それゆえに長い旅を続けていた。
反して期待なしの寄せ集め八田達は、妖魔退治の数もさながらその手際の良さで妖隊の中で有名になっていた。こんな彼らはこの夜、詰所である寺社にて休んでいた。
「おお?八田殿、龍牙殿」
「これは道元殿」
同じ宿。笙明達の成果を横取りしようと大怪我をした天代宗の道元は、何もなかったようにそばに座した。
「奇遇ですな。北陸道とは」
「そうですが、道元殿は都にお戻りではなかったのですか」
彼の友である紫藤は右腕、長海は足を負傷していた。そんな彼らをみかねた笙明は密かに指導に妖の塊を渡し、都に帰るように話しておいたはずだった。
「ええ。あの後。養生し、今こうして船で帰ろうとしておったところです」
「……左様でございますか」
話の最中。奥から紫藤と長海が龍牙と話をしながら入って来た。これをみた笙明は篠を呼び、扇子の隙間から澪へ身を隠すように言付けを頼んだ。
やがて他の妖隊も集まった大所帯。賑やかな席を嫌う笙明は龍牙に任せ、少年篠と離れのお堂で休んでいた。
屋根しかない古いお堂。彼は庭に向かい香を炊き愛ていた。
「笙明様いいの?こんな所にいて」
「人の顔をした悪鬼共と酒など飲みたくはない。ここの方がずっと心地よい」
「ふーん……煙がゆらゆらしているね」
不思議な感覚に篠はうっとりしていた。
「おや?香りに酔ったか?やはりお主はまだ子供のよのう」
そう言って篠を寝床に行かせた笙明は、月をお供に水鏡で占っていた。
水を貼った盆。彼は先の道を読んでいたが、思わぬ顔が映った。
「……兄者。晴臣兄者でありますか?」
白い涼しい面。声は聞こえぬようであるが、繋がった兄は何かを訴えていた。
「何を?何かがあるのですか」
兄の口は黙って彼を見つめていた。真剣な目に、悪しき事の暗示にとれた。
「父上に何かがあったのですか?帝でございますか」
兄は首を横にふり、お前だ、と言わんばかりに指差した。
「私?私でございますか」
しかし兄は首を横に振った。返事をもらえないまま、鏡は消えた。
「一体どういう事だ」
気がつくと全身汗でびっしょりであった。兄と繋がったのは初めてだった。霊能力を消費したのかと彼は水を飲みにお堂を出た。庭先の夜の井戸に彼は歩み寄った。
「笙明様」
「澪か」
「顔色が悪いわ。大丈夫ですか」
庭先に隠れていた澪は、彼が心配で現れた。月夜の静な庭。澪は白く美しく、彼に寄り添った。
「案ずるな。それよりも姿を消せ」
「笙明様が心配です」
するとここに足音がした。彼は澪を背に隠した。
「これは?笙明殿も水を所望ですか」
「そなたは紫藤か……腕の傷は何とされた」
魔物に腕をかじられた彼。その右腕は布で吊ったままで、使えぬ様子であった。しかし彼は笙明に歩み寄って来た。
「どうにか生きております。それよりも謝らせて下さい」
妖を退治できず京都に帰ることができなかった彼らは、笙明達の妖の塊を奪おうと画策していた。それを失敗し深傷を負った紫藤に、彼は京都に帰れ、と妖の塊を渡したのだった。
そんな紫藤はこれから本当に都に帰るのだと説明した。
「私は腕を。長海は足が不自由です。そこで船で帰ろうとこの道に」
「左様であったか」
「はい。ご心配をかけ申した」
「では、水を」
腕が不自由な彼のため、笙明は井戸の水を汲もうとした。暗闇の中、そっと澪を草影に隠した彼は改めて紫藤に水の柄杓を渡した。
「かたじけない。おお。旨い水です」
「それは良かった」
彼の目は煌々と光っていた。それがなぜか笙明にはわかっていなかった。
翌朝。笙明達は早めに出立した。負傷している道元達よりも先に進み、澪を隠すのが狙いであった。
稲が光る道を進む彼らであったが、途中で雨となった。これに慌てた一行は雨宿りを探した。
そこは大きな木の下であったが、篠が危険だと言った。
遠くには小屋が見えたので、一行はそこまで走って向かった。
ずぶ濡れの彼らが入った空き家には、なぜか道元達が先にいた。
「なぜここに?」
「それよりも、火に当りなされ」
話の流れで小屋に入った一行だが、澪は入れなかった。彼女は笙明の馬と一緒に裏手に隠れた。ここに篠も付き添い雨宿りとなった。
「篠殿は良いのですか」
「馬と居りますので。それよりも道元殿は足が早い事で」
すると彼らは馬で進んでいたと笑った。なぜか気になる笑であったが、龍牙は顔の知れた仲間を前に、安心して濡れた着物を乾かしていた。
「……道元殿は濡れてないのですか」
「ええ」
「紫藤殿は?どちらに」
馬の様子を見に行ったと長海は答えた。そして笙明に休むように座っていた床を空けた。
「……長海殿は。足は良いのですか」
「ああ?今日は調子が良いのです」
怪我をし、足を引きずっていたはずの彼は、堅い床の上で正座をしていた。これに笙明は目の前が真っ暗になった。
「おい。龍牙、龍牙?」
振り向くと龍牙は眠っていた。
これは騙された、と思った瞬間。笙明は頭を打たれ、気を失った。
その頃。
馬小屋には紫藤が篠に話しかけていた。
「寒いだろう」
「平気だよ。紫藤さんこそ、みんなのところに行きなよ」
「行くさ。君がいなくなったら」
「……さっきから変だと思ったんだよ」
篠は短剣を抜き、怪しい目の彼と対峙した。
「何だよ。妖の塊が欲しいのかよ」
「もっと素晴らしいものだ……我らはそれが欲しいのだ、は!」
片腕が使えぬ紫藤。これに甘んじた篠は、吊った腕から出て来た剣で切られてしまった。
「くそ……その腕は使えたのか」
「きゃあー篠!これは一体」
「とうとう?出て来ましたね。白鷺の姫よ」
血を流す篠を抱きしめた澪を、紫藤は震えながら抱き締めた。
「離しなさい」
「離しはせぬ。ああ、この芳しい香り。ずっとそなたが欲しかった」
こんな紫藤を澪は押し除けた。そして血を流している篠の名を必死に呼んだ。
「篠!しっかりして!笙明様!」
「助けたいか?我らの念力で血を止めてやろうか」
「自分で斬っておいて、そんな事を」
「お主次第だ」
やがてこの場に道元と長海がやって来た。
笑みを讃える男達。これを見た澪は、龍牙と笙明の身を案じた。
「止めろ……澪。逃げるんだ」
「篠。喋ってはだめよ」
「さあ。娘。我と来るのだ」
「篠を助けて。それと龍牙様と笙明様も」
毅然とする澪に、道元は篠の手当てをした。血は止まった。
「澪……行くな」
「篠。龍牙様と笙明様をお願いね」
こうして澪は彼らに連れ攫えてしまった。
雨の中。道元達は澪を長海の馬に乗せて連れ去った。彼らはまだ澪の正体を知らずにいたが、その美しさに狂ったように魅了されていた。
だんだん雷が激しい中。怖がる澪のために、彼らは岩屋で雨宿りをした。
澪は黙ったままだった。
「娘。寒くはないか」
「腹は空いておらぬか」
しかし。彼女は黙って岩屋の奥に膝を抱えて座っていた。これに紫藤が謝った。
「娘よ。美しい姫。我らは笙明殿よりももっとそなたに優しく致す。だから、どうか。心を開いておくれ」
必死の紫藤に澪を目は冷たかった。妖退治の好成績はこの美女の存在と勘ぐっていた道元達は、奪う事だけを考え、機会を狙っていた。
その想いは募り。やがて彼女に恋するようになっていた。仏の道の彼らは、澪の美しさに狂っていた。
やがて雨がどんどん降って来た。強く落ちる雷。そして周辺は土地が低く、水浸しになって来た。
「おい。ここは危険だ。岩屋の奥へ行け」
「娘。来い」
澪は引きづられるように洞窟の奥に入っていった。この洞窟は上へ上へと空いていた。彼らは足場が悪いが静かで濡れない場所に蹲っていた。
「娘。怪我は無いか」
「紫藤。放っておけ。そのうち我らに慣れるであろう」
「そうだ。馬を見て来ねば」
洞窟の入り口に長海が様子を見に行った。これを澪はじっと見ていた。
……どうやって逃げよう。
外は大雨、そして雷。囚われるくらいなら雷に打たれて死にたい澪は、逃げる隙を窺っていた。せめて雨でなければ空を飛べるが、今はそれは困難だった。
そんな雨音がごおと響く洞窟の中。彼女は臭い匂いを鼻に感じた。
それは洞窟の奥からの匂いだった。かび臭い、水の腐った匂いだった。
男達は気がついていない様子に、澪の鼓動がドキドキした。
「馬はそこに繋げ直した。それにしてもすごい雨じゃ」
「……何か臭わないか」
「あの」
「何だ。娘」
咄嗟に彼女はなんでも無いと目を瞬かせた。そして必死に話を巡らした。
「私をどうするおつもりですか」
「一緒にいれば良いのだ。笙明殿よりもずっと楽をさせてやるぞ」
「本当ですか」
澪の背後からは水の腐った臭いと共に生温い風が吹いていた。彼女はそれに気がつかない振りをし続けた。
「ああ、本当だとも」
「私は人ではありません。それでもよろしいのですか」
「人では無いか?さては私達を謀ろうと、あ」
その時、澪の背後から大量の水が吹き出して来た。彼らと澪は洞窟から溢れ出した水で押し出されて行った。
◇◇◇
悲鳴を上げるまでもなく。彼らは水に流された。夜の大雨。雷。澪は真っ暗な冷たい水に流れていた。岩にぶつかり痛む身体。このまま死ぬと覚悟を決めた彼女は、気を失った。
気がついたのは朝の日差しだった。
眩しくて目覚めた澪は、川のほとりに浮かぶ大木の上に間に挟まっていた。このおかげで自ら浮いていた彼女は、なんとか水辺から這い上がった。
しかし全身を強く打ち、身動きができなかった。
どこが痛いのか分からぬほどの苦しみ。いっそ死んだほうが楽だと思った澪は、そっと目を伏せた。するとどこからか、声が聞こえて来た。
『……生・養・治・気・元……』
……笙明様の声。いや、どこか違う。
生死を彷徨う澪は、自分の額を優しく撫でる手を感じた。温かい優しい手だった。
『案ずるな。死なせはせぬ』
……いいえ。澪はもう、生きていても。足手まといになるだけ。
悲しい思いに涙が出て来た澪。すると必死な声が届いた。
『娘!生きよ。目を開けろ』
この切ない声に澪は目を開けた。白くぼんやり光っていたのは、烏帽子を被った見知らぬ男だった。彼は心配そうに自分の頬を撫でていた。
するとこの場に笛の音が響いていた。澪はこれに失いかけた意識がしっかりして来た。
白い影の男はやがて消えていった。
「ここだよ!ここにいたよ」
「ああ?こんなに血が。澪。しっかりいたせ!」
「篠。龍牙様……笙明様は」
「ここにおるでは無いか。もう安心致せ」
彼らの顔を見た彼女は、嬉し涙を流しそしてその身を委ねた。
◇◇◇
「はあ、はあ」
「兄者。娘は助かったのか」
「ああ、はあ。はあ」
遠き都。天満宮の屋敷。水鏡で澪を見ていた晴臣は疲労がひどく身を崩していた。そんな兄を弦翠は起こしていた。
「なんという汗だ?これは水だ。兄者の方こそ、大丈夫なのか」
「……ああ、だいぶ楽になって来た」
娘を撫でた自分の手を、晴臣は見つめていた。
悪い未来を悟っていた晴臣は、笙明に伝えていたが、それは起きてしまった。
晴臣は都の水鏡で、水に浮かぶ娘を発見していた。しかしこの遠隔動作。彼は疲労困憊していた。
「だがな。命は助かった」
「それは何より。それにしても……」
「何だ」
命がけで笙明の供である娘を助けている兄は、女に興味のない非道な男。この兄の真意を弦翠は計りかねていた。
「なぜにあの娘なのだ。兄者には妻がおるでは無いか」
「別に。この娘を助けただけだ。それの何が悪い」
一睨みをし立ち上がった晴臣に、弦翠は問い正した。
「本当にそれだけだな。兄者」
「ああ。案ずるな」
そう言って弦翠の肩に晴臣は手を置いた。しかしその力の無さに、弦翠は兄の疲労を悟った。
部屋を出ていく兄の後ろ姿。厳格で冷酷な兄。弦翠はそんな兄の真の心に触れたような気がしていた。
三話 完
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