一 地獄太夫
妖隊は東山道を進み岩代の町にやってきた。彼らは都を出立した春三月から時を経て、今は夏を迎えていた。東国は涼しく妖退治を忘れる一時を過ごしていた。
この先は奥州。都人には寂しい陸奥の道であった。
彼らが通るのは街道。途中に宿場町があり宿屋があるが、妖退治をしている彼らは神社仏閣に寝泊りをしていた。そんな時、笙明が熱を出したため、彼らは珍しく宿屋に泊まった。
「どうぞ。旦那様と家来の方二人。そして娘さんで」
「そうだ」
「悪いけど布団を敷いてよ」
「いいえ。私がやるわ」
大将が心配の三人はさっさと床を敷き彼を休ませた。そばで診ると聞かない澪に任せて龍牙と篠は夕食を食べていた。これが終わった頃、宿屋の婆が顔を出した。
「旦那様も地獄大夫を観にきたのですか」
「なんだそれは?わしは修験僧。こっちは子供だぞ」
「おっとこれはすみませぬ?しかし、うちの宿の客はみんなそうなので」
「ねえ。龍牙。どういう意味?」
「お、お前は笙明殿の様子を見て来い」
老婆は廊下に消えた篠を気にしながら話し出した。それはこの宿場町にある女郎宿の話であった。
「そこには美しい地獄大夫がいます。本当は人気者なので会えませんが、私が言えば今夜にでも」
そう言い不適に笑う老婆に龍牙はゾッとしたが、気になっていたことを尋ねた。
「わしは行かぬ。それよりも地獄大夫とはどういう意味だ」
遊女にさせられた自分がいるこの世は地獄である、という彼女は、自ら地獄太夫と名乗り、地獄絵図の着物を着ていると老婆は話した。
「不憫よの。しかし地獄絵図とは。なかなかの女のようなだな」
ここで篠が戻ってきたので龍牙は改めて行かぬと念を押し老婆を返した。この夜は四人は静かに休んだ。
翌朝。大雨に彼らはもう一泊する事になった。笙明は少し良くなっている様子であった。こんな彼に龍牙はゆっくり休めと話した。
「龍牙……この宿場町に妖がおるようだ」
「左様か。どこにおるのだ?」
「水占いをしたい所だが……こう熱があっては出来ぬ」
苦しそうな笙明に澪は首を横に振った。
「無理はいけません。元気になってから占えば良いのよ」
「……そうじゃな。しかしわしらは暇なのだ」
そんな龍牙に床にいた笙明は微笑んだ。
「視えるのは……赤い口、黒い髪……香の香り……」
布団に伏せて目を瞑る彼は、感じるもの話していた。
「白い花……地獄の絵図……」
「あいわかった。言わずとも良い」
心当たりがあると龍牙は部屋を出た。そして篠に説明し、宿屋の老婆に話をした。この夜龍牙は桜楼という女郎屋にやってきた。
一番人気には最初から会えるはずない。この店でお金を使わないと会えぬ女である。しかし龍牙は老婆に銀を握らせ高級席にやってきた。
酒と女の化粧の匂い。そんな部屋に女が入ってきた。
「お待たせしました」
「お主が地獄大夫か」
「……御坊様でありますか。世も末じゃ」
美しい女はどこか寂し気に笑った。彼女は龍牙に酒を勧めた。本来酒好きの彼は、女の手前、少し口につけるつもりであった。
「うまいな。それにしても美しい。都でも滅多に見ぬ面よ」
「そうですか。ありがとう存じます。ささ、どうぞ」
女の勧める酒にいつしか龍牙は飲まれて行った。
「左様か。盗賊に拐われてこの遊郭に」
「昔の話です。幸せになるのは諦めました」
「そんなことを申すな」
地獄大夫の前。龍牙は酒を飲みすっかり使命を忘れていた。
「都に妻子を置いて妖退治ですか。それはなかなか出来ぬ事。ささ。お坊様。お酒を」
「ん?そうか、して、お主は、その」
「まあ?怖い顔。ささどうぞ」
いつしか酔い潰れた龍牙は、部屋でいびきをかいていた。地獄大夫はこれを見るとそっと彼の首元に口付けた。優しく指で撫でると、首に波打つ血管を優しく口付けた。
そして次の瞬間。歯を剥き出しかじりついたのだった。
「何をやってんだよ。俺をこんなところで待たせて」
妖退治と聞いていた篠は、桜楼の屋根の上にいた。しかし龍牙から合図がなく、痺れを切らしていた。その時、風に乗って気配がした。
……血の匂い……どこだ?どこだ……
彼は軽妙に屋根を降りた。そして誰もいない二階の寝室に入った。布団の奥のふすまから怪しい気配が漏れていた。これに篠は刀を抜き、そっと襖を開けた。
そこには女と男が抱き合っていた。しかし、男は動かず、女は覆いかぶさっていた。
……龍牙だ。女と何をしているんだ。
少年が戸惑う最中、彼の背を向けていた女はそっと口元を拭った。その手は朱に汚れていた。
「え」
「誰じゃ。そこのおるのは」
くぐもった声に襖はさっと開いた。
「あの……」
恐ろしい程美しい女は、口から血を滴らせて篠を見た。笑っていた。
「そうか?お前は……天狗の子かえ」
「え」
「親に捨てられのか。可哀想に……寂しかっただろう」
「いや。俺は」
「……都からの旅。お前は家来扱いか?ひどい大将じゃ。どれ、妾の胸のおいで」
彼女の顔が一瞬母に見えた篠は、気がつけば彼女に抱きしめられていた。甘い匂い、柔らかい体。これに篠は目を閉じていた。
「まだ幼いのに。こんなに怪我をして……辛かっただろう」
「ううん。俺はそんなに」
「無理せずとも良い。ひとりぼっちで寂しかっただろう」
優しい彼女に抱きしめられた篠は、ふと彼女の手を見た。その爪は真っ赤に染まり指は骨になっていた。
「……俺は一人ぼっちじゃなかったよ」
「おお?坊や。私には甘えて良いのだよ」
その時。篠は彼女を振り払い対峙した。
「お前!龍牙に何をした!血を吸ったのか」
「……ふっふ。妖が効かぬか?」
地獄大夫は恐ろしいくらいの笑みを浮かべると、すっと立ち上がった。
「お前の血の方がうまそうだ」
「くるな!」
ここで篠は刀を構えた。女は笑っていた。
「寂しいんだろう?わかっている……さあ、一緒においで」
「うるさい」
「……坊や。私の息子」
その時。外から笛の音がした。空気を切るような響きに、龍牙も起きた。
「……なんじゃ?」
「お前は母さんなんかじゃない。とりゃーーー!」
刺した刀は胸に刺さった。女は口から血を吐いた。
「ぐほ!フッフ。妾は死なぬ……こんな傷など」
女はそう言い刀を引き抜いた。ここで龍牙がよろよろと太刀を構えた。
「どけ!わしが首を落とす」
この光景に女は絶叫した。
「ははは。愚かな男どもよ!?妾が死んでも。また別の地獄太夫が生まれるのだ?はーははは」
この言葉を聞かないうちに龍牙の太刀は振るわれたのだった。首は飛び、着物の胴体が倒れていた。
「見ろ。龍牙」
「これが女か?」
美しい女の姿は消え、そこにはムジナになっていた。やがてここに店の者がバタバタと忙しく入ってきた。この血みどろのムジナの光景に家主の老婆が気絶した。この隙に二人は屋根をつたい逃げ出した。
「よ!酷い有り様だな」
「助かったよ」
「面目ない」
助けにきた笙明は月明かりの元、澪と一緒に川辺の柳の下で座っていた。
「龍牙。その首はどうしたの?」
「なんじゃ。うわ?血が」
「龍牙はあの女に血を吸われたんだよ」
首の手当てをする澪であったが、笙明は下がるように語気を強めた。
「呪詛に掛かっておる。祓うぞ」
「ここに寝ろよ。澪は下がって」
篠と澪が心配する中、笙明は呪文を唱えた。夏の夜、涼しい風に彼の低い声が響いていた。
「……これと。そうだな。札でも貼るか、どれ」
落ちてきた柳の薄葉を手にとった彼はこれに呪文を施した。これを龍牙の首に当てた。こうして手当てをした一行は、宿屋には戻らず、朝焼けの道を進んでいた。
「それにしても龍牙よ。そんなに良い女だったのか」
「聞かないでくだされ。わしは嘘が言えぬ」
「篠は見たのであろう?どうであった」
馬上の笙明は面白そうに聞いてくるが、篠は焦っていた。
「そうだね……ええと、その」
隣を歩く澪がじっと自分を見ているので、篠は一瞬考えて応えた。
「綺麗な人でしたけど。みんなが言うほどじゃないな」
「そうか。ん?澪はいかがした」
「別に」
「何を怒っているのだ」
意外そうな顔の彼に、篠は口を尖らせていた。
「澪がいるのに。そんなこと聞くからだよ」
「そうか?私は澪以上に美しい女子はいないと思っているのでどんなものかと思っただけだ」
地獄の女とはどんな女か見たかっただけだと彼は話した。
「この世が地獄か……それならば我らは鬼だな」
「俺は違うけど笙明様はそうだろうね」
「わしもそう思う。ん?澪。いかがした」
笙明の言葉に機嫌をよくした彼女は他の話は聞いていなかった。
「ふふ。私はみんな一緒ならどこでもいいわ」
笑みをたたえる娘に龍牙安堵した顔で痛めた首を摩った。
篠は思い出したように懐に手をやった。妖の玉を受け取った彼らは奥州目指し、進んでいくのだった。
続
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