七 月に思う

「暑いな。水を飲もう」

「篠は飲み過ぎじゃ」

「うるさいな。そうだ!龍牙の影を歩こう」


 夏の日差しが眩しい街道。都の陰陽師八田笙明率いる旅の一行は、妖を求めて東山道を東に進んでいた。とは言っても大物はすでに退治されており、今日もただひたすら進むだけであった。それでも小物の妖怪や他の隊が逃した妖がいないか取りこぼしを探していた。


「それよりさ。笙明様。どうして栗松様にお父上様の話をしなかったの」

「我が父は清廉潔白。聖職者の鏡のようなお方だ。おそらく昔、この地に妖狐

を退治したときに、あの娘御に惚れられたのだろう」


 馬上の笙明が話すと龍牙が続いた。


「旅先で娘に慕われてものう。国には連れては帰れるぬものだ。不憫だか仕方がない」

「おい!龍牙」


 篠が突くのを気づかず龍牙は続けた。


「お前はまだ子供でわかっておらぬのだ。国に帰れば妻や子もおるし。旅をしている男には国の暮らしが待っておるのだ」

「……私は先に飛んでいます」

「あ?澪、ほらもう!」


 彼らの背後で話を聞いていた澪は鷺になって飛んでいってしまった。


「しまった」

「……なんと言う事を」


 頭を抱える笙明に龍牙は真っ青になった。


「すまぬ?これはうっかり」

「馬鹿!もう、どうするんだよ」


 篠に蹴られた龍牙は、走って澪を追ったがもう見えなくなっていた。


「もう仕方がない。龍牙。戻ってきた時に私が謝る。先に進もう」

「はあ。申し訳ござらぬ」

「本当だよ!いい加減にしろよ」


 少年に叱られた龍牙は落ち込んでいたが、篠はこの時、笙明に尋ねた。


「でもさ。本当にどうする気ですか?澪を都に連れていくの?」


「……ああ。先の約束ではあれに仕事を見つけてやるまでと思っておったがな」


 笙明は澪の妖力が気がかりだと話した。


「此度の旅でわかったが、あれに妖が寄ってくるようだ」

「そうだね。澪は美人だし」


 彼女を思う二人の間に静かな空気が流れていた。篠も彼女を思っているのは笙明もよくわかっていた。


「なので、置き去りにではできぬ。私はあれを都に連れていく。そこで仕事を探してやりたいのだ」

「そうですか」


都の天満宮の陰陽師の笙明が旅先で知り合った田舎娘を娶れるはずもないのは、誰もがわかっていた。しかし都に連れて行くと話した笙明の澪に対する誠意が見えた篠はこれに納得した。

そんな重い足取りで進む彼らは先に進んだ澪をゆっくり追っていた。ここで篠は話を変えようと笙明の父の話を尋ねた。


「そうだな。父上は若い頃。都に現れた妖狐を退治したのじゃ」

「もしかして。玉藻前の話?」

「それはワシも知っておる。帝の側室であろう」


龍牙の話に笙明は木陰で休みを取ることにした。


 上皇の寵愛を受け、政にも力をつけていた玉藻前は、陰陽師八田夕水の見立てにより妖狐と見破り、これを退治したと彼は話した。


「あの妖狐は長生きをした狐でな。尾が九つもあったそうだ」


 神職者に倒された妖狐は毒を吐きながらとうとうこの下野の国までに逃げてきたと彼は話した。


「死んだの」

「いや。石になったと聞いている。父上が封印したはずだ」

「その旅で、先の蛇女と出会ったのだな。なるほど」

「……あのさ。笙明様には兄上様がいるんでしょう?」

「そうだ。私は末の弟で。正式には従兄弟になる」


 彼は珍しく身の上話をした。それは両親が亡くなり、自分は父親の兄である夕水の養子になった話だった。


「私の三人の兄者はそれは優秀だ。私などは鼠のようなものよ」

「笙明様が鼠なら俺なんか蟻だな」

「ガハハハ」

「龍牙は笑うな!」

「これ。そう怒るでない」


 午後の日は暑く三人は涼しくなるまで休むことにした。蝉の声がうるさかった。


「篠は。都に帰ってどうするのだ」

「俺は天狗の山に帰って修行かな。でも俺は天狗になるつもりはないんだけど」


 天狗の長に育てられた篠は、長に恩があるが此度の旅で、身の上を考えていると話した。


「ずっと山に籠っては暮らすのは嫌だ。でも俺には都の暮らしはできない」


 篠は今回の妖退治で妖気こそ少ないが妖に向かう心意気は非常に優れていると笙明は思っていた。大の大人が怯む中、篠だけは鬼でも蛇でも立ち向かう勇気。これを篠の才能と見ていた。


「此度の退治の旅を成果にすれば良い。天狗の山も良いが、お前なら城や国境の兵にふさわしい」

「そう?」

「ああ。推挙する。しかし、それも妖退治の成果を上げねばな」

「やるよ。っていうか。もうやっているし」


 優しい空気の中、龍牙もまた考え込んでいた。


「わしは国に家族がおるのでな。帰ってもまた妖怪退治かも知れぬ」

「そんなに妖がいれば良いがな」

「笙明殿?」


 彼は微笑んでいた。


「まずはすべてこの旅だ。少しでも妖を滅し、帝様をお助けするのだ。帝様は御身一人で呪詛を受けられ民を守っておいでだ」


 そう言って彼は立ち上がった。日は西に沈みかけていた。彼らはまた歩き出した。




「澪はまだか」


「落ち着け龍牙。そのような様子ではあれも姿を出しにくい」


三人は先に進み今宵の宿である無人の寺社にいた。日は落ちた中、火を起こした男達は、澪がおらぬ寂しい時を過ごしていた。


「澪―。帰ってきてー」

「わしも呼ぶ!」

「もう良いと申しただろう。どれ」


 ここで笙明は笛を取り出した。夏の夜は涼しい風が吹いていた。

草原に響く彼の笛の音は、どこか寂しく優しかった。


 優秀な兄を持つ彼は、都では劣等生であった。何をしても兄に及ばぬ力、月が出てなかれば無能とされた己の力。此度の旅は一族で不要な自分が選ばれたと彼は思っていた。

 そんな気持ちの旅。天狗の少年は真っ直ぐな気持ちで妖を退治している。修験僧は妻子のためその太刀を奮っていた。当初は自暴自棄な心であった笙明は己の器の小さきことを恥じていた。

 そんな時、出会った娘。半端者の自分を命がけで守ってくれる鷺の娘。美しい娘は天女のように清らかで優しく、鬼のように残酷であり強く、自分を慕ってくれている。この澪を手放すことなど彼に出来るはずはなかった。

都に連れて行く。誰が何を言おうとも。

彼の愛を載せた笛の音。やがて暗闇に白い娘が現れた。




「……澪」

「笙明様」

「おいで。私の元に」


 彼は娘を抱きしめた。


「よくお聞き。この旅を終わったら、一緒に都に参ろう」

「私もですか」

「ああ。お前を一人にはさせぬ」


 抱きしめる彼が震えていた。これに澪は目を瞑った。


「はい。澪は、澪はおそばに居られれば、それで……」

「良いな。私を信じて。決して離れるな。私のそばにいるのだ」


 肩を震わせる彼の想いに涙の澪はうなづいた。

夏の夜の草原には、月が眩しいほどであった。



つづく

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