六 夏の宴
「うわああ」
夜の部屋内を飛び交う蛙に栗松は恐れで腰が抜けていたが、妖隊は構えていた。
「篠!河童の腕は」
龍牙の叫びの前に篠はこれを抱えていた。
「言われなくても持ってるよ。笙明様は蛙を」
「静、縛、鎮、苦、滅……」
室内を飛び回る蛙。これに唱えた呪文で動きは弱まっていた。しかし、不気味な蛙は出ていかなかった。
「くそ。こうしてくれる!」
龍牙が太刀を振るいバサバサと倒して行った。明らかにこれらは河童の腕に向かっていた。
「……没、去……面倒だ。篠、外に出ろ」
「最初からそうすればよかったよ!」
腕を抱えた篠が外に出ると、そこには黒い影があった。
「うわ?お前か」
「……寄越せ。腕を、それを」
この時、篠の背後にいた龍牙と笙明も河童と対峙した。しかしこの河童には両腕があった。
「どうするの?」
「斬るか」
「いや。返してやれ」
そういって笙明は腕を包んだ白い布を預かった。そして河童に向かった。
「これだ。持ってゆけ」
「……」
河童は無言で闇に消えた。ここに栗松もやっと這ってきた。
「恐ろしい。いったいこれは何事ですか?」
「澪。いるのか」
「はい」
すると彼らの背後から白い娘が現れた。これに栗松はまた驚いた。
「ひい?」
「ねえ、栗松様は本当に神主なの」
「捨ておけ。篠。澪、河童を頼む」
「はいはい。行こう。澪」
「篠。私は先に行くね」
澪はすっと闇に消えた。篠も夜の道を進んで行った。
「……さあ。我らは少し休みましょうか」
「え。良いのですか」
不適な笑みの笙明に栗松は驚いたが。龍牙が優しく背を押した。
「ははは。身が持ちませんぞ?ささ、朝まで休みましょう」
栗松の戸惑いも無視し、笙明と龍牙は床で休んでいた。やがて朝になり澪が戻ってきた。
「河童の巣は、川が二股に分かれているところです。今は篠が見張っています」
「そうか。では参るか」
「腹が減ったがやむを得ないな」
「あの。私は留守番を」
こんな及び腰の栗松だったが、笙明は供をせよと話した。
「なぜですか?」
「そこに妖の塊があるからだ。ついででよかろう」
「ひいいい」
笙明は先に澪を飛ばし、龍牙と栗松に馬を借りさせた。彼らは上空を飛ぶ鷺の案内で川の交わるところにやってきた。
「あ。きた」
「よくやった。して河童は」
「あの穴に入ったきりだね」
草むらに隠れていた篠と合流した三人は現場を凝らしてみたが、朝日の中、動きがなかった。
「夜に動くのでしょうか?このまま待ちますか」
この栗松に篠は呆れた顔で振り返った。
「そんなわけないでしょう?」
「そんな言い方は失礼じゃ。栗松殿。我々は突入するのじゃ」
「え」
龍牙の当たり前の顔に驚きの栗松であったが、彼は笑っていた。
「ふふふ。念願の妖退治だ。ゆるりと腕を振るわれよ」
「えええ?」
不適な笑みの笙明はそういって妖刀を抜き、草むらを駆け出した。
「ここだ。行け!篠」
「たまには龍牙が先に行けよ」
「待て……ここはこれで行くか」
草むらに開いた穴。ここに笙明は焚火で燻すと言い出した。
「栗松殿はここで火を。篠は向こうの穴を塞げ」
「ではワシはここを。ここから出てくるからな」
三箇所ほど見受けられる穴。四人が動く中、ここで澪はやってきた。
「笙明様。水の中にも出口があります」
「そこはお前に頼む。岩で塞げ」
「はい」
この様子を栗松はじっと見ていた。
そんな中。栗松の煙がどんどん穴に入って行った。
「気を付けろ。龍牙の穴ではなく、ここからも出るかも知れぬ」
「どうかここから出ませんように、出ませんように」
栗松の願いが叶ったか、龍牙の穴から河童が飛び出してきた。
小柄な妖怪に彼は拳で殴っていた。痛さで倒れた河童はよく見れば幼く、妖力も感じられなかった。
「腕を見ろ。腕だ」
「わかっておる!くそ」
しかし。出てくるのは小兵ばかり。大物が一向に出てこなかった。
これに笙明は倒れている若い河童に尋ねた。
「大将はどこだ」
「……」
「お前達を焼き討ちして良いのだぞ」
「……」
この時。河童はちらと川面に視線をやった。これに笙明は背が冷たくなった。
「川だ!澪のところだ」
走る彼の声に篠も走った。すると川面で澪と河童が揉み合っていた。
「澪!」
「くそ」
しかし。二人は澪が邪魔で刀が使えなかった。ここに龍牙と栗松がやってきた。
「どうじゃ。あ、澪が」
「娘さんが?」
栗松が驚く中、笙明は笛を取り出した。その音色に河童は苦しみ出した。
そして澪から離れた。篠が彼女を庇っている間に、龍牙は河童を斬った。
川には河童が浮かんでいた。
「はあ、はあ」
「大丈夫?澪」
「うん。すごい力だったわ」
水から上がった澪と篠は、倒れた河童をよく見た。
「顔が、人だわ」
「……ずいぶん歳をとっているみたいだね」
「もしや。元は人だったのかもな」
ここにやってきた笙明も河童の顔をよく見た。
「しかしもはや人ではない。さあ。下がれ」
笙明は念じこれを祓った。すると河童は痩せこけた老人の体となった。
ここに篠がそっと手を伸ばした。
「あったよ。妖の塊」
「栗松殿。さあ」
「は、はい」
受け取った彼は大事に布で包み懐に収めた。
こんな彼らは神社に戻ってきた。
雨が降ったため、一行は一晩ここに泊まっていた。
「笙明殿。私は明日、出立します」
夜の席。栗松は寂しそうに挨拶をした。
「左様ですか。此度は付き合わせて申し訳なかった」
「いいえ。あのですな」
栗松は澪の話を尋ねてきた。
「私はこれでも神職。さすがにあの娘の妖力を感じました」
「……して。私に何と」
言葉は優しいが笙明は鋭い心で彼を見遣った。彼は恥ずかしそうに頬を染めた。
「別に、何もありませぬ。お役に立てずお恥ずかしいです」
純情な栗松であったが、澪の話を都でされるのは面倒であった。笙明はどのようにして釘を刺すか思案していた。
「でも、できれば」
「できれば?」
「澪様と、その、お話を」
「……そうですか。お待ちくだされ」
笙明は着替えをした澪をこの席に連れてきた。
「澪が白湯を持ってきました。どうぞ」
「はい。熱いですよ」
「ありがとうございます」
栗松はただ黙って白湯を飲んでいた。美しかった。ただそれだけだった。
「はあ。美味しゅうございます」
「ふふ。ただの白湯ですよ」
笙明の傍らで朗らかに笑う娘に栗松は目を細めた。
「澪様。私はこれから京都に戻りますが。どうぞお体に気をつけてくだされ」
「はい」
「……澪。もう休みなさい」
そういって彼女は席を立った。そして笙明は話した。それは澪の件は他言無用とのことだった。彼女を思う彼はこれを承知し彼と別れた。
そんな栗松が最後に一人立とうとすると、光る線が見えた。
……御髪か。これは澪様の。
その艶やかな黒髪を一本。胸に忍ばせた栗松は、翌朝、彼らと笑顔で別れ、都に戻って行った。
夏の日差し眩しい街道。危険な街道であったが、栗松は胸に愛しい娘の髪を忍ばせていた。この思いを抱くように京都へ旅立っていくのだった。
続く
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