第144話
グルタス伯爵との戦いに備えて、黎明の覇者の準備が始まった。
しかしそうなると、黎明の覇者に所属していない者たちにとっては、そんな動きが気になるのは当然の話だろう。
「なぁ、黎明の覇者の連中……どうなってるんだ? もしかして、もう交渉をしないのか?」
商人の一人が知り合いの商人に尋ねると、その相手は真剣な表情で頷く。
「ああ、どうやらそうらしい。何でもグルタス伯爵との戦いに参加するって話だ」
「はぁ? ……いや、傭兵だからそうなるのは構わないけど……でも、それならベヒモスの骨はどうするんだよ?」
「俺に聞かれても分からないよ。ただ、妙な連中が妙な行動をしないように、しっかりと護衛を用意するって話らしい。だから、妙な真似はしない方がいいと思うぞ」
「ちょ……何でそれを俺に言うんだよ!」
まるで自分が混乱に乗じてベヒモスの骨を盗もうとしているかのように言われ、男は慌ててそう告げる。
……実際には、もしかしたら黎明の覇者がいなくなるからチャンスがあるのでは? と心の片隅で思っていたのだが。
だからこそ、余計に自分は何がするつもりはなかったと、そう示したいのだろう。
知り合いだけに、話していた商人は何となく事態の流れは理解出来たものの、それ以上突っ込むような真似はしない。
「取りあえず黎明の覇者がいなくなるのは間違いないらしい。そうなると、この辺りをどうするのかというのはきちんと考えておいた方がいいと思うぞ。……具体的にどういう風になるのかというのは、ちょっと分からないけど」
「うーん……黎明の覇者がここから一時的にしろいなくなるのなら、俺たちもドレミナに向かった方がいいのか? 交渉相手がここからいなくなる以上、ここにいてもおかしくはないし。……あの連中が、もう少し頭が柔らかかったなぁ……」
そう言う男の視線が向けられたのは、ベヒモスの骨を守っている者たち。
黎明の覇者に降伏して、現在はその指揮下にある者たちなのだが、そのような相手だけにこっそりベヒモスの骨を削って骨の欠片を貰いたいと思っても、誰もがそれを受け入れないのだ。
……降伏した者たちは、イオの使ったメテオを見てどうしようもないと判断した者たちが多い。
メテオの衝撃がまだ残っているのに、それを行ったイオがいる黎明の覇者を裏切れと言われ、はい分かりましたとは言えないのだろう。
ミニメテオはともかく、メテオは凶悪な威力を持っている。
それこそ、天変地異か何かではないかと思えるほどの。
実際にはそこまでの威力はない。
しかし、間近でメテオを見た者にしてみれば、それは間違いなく最悪の未来を見せつけているかのようだった。
この辺が、黎明の覇者に降伏してきた者たちと山を越えてやって来た商人、研究者、傭兵といった者たちとの違いだろう。
本物のメテオの威力は、直接自分の目でみてみなければ分からないのだ。
まさに百聞は一見にしかずだろう。
「俺は黎明の覇者と一緒に移動することにしたよ。ベヒモスの素材についての交渉が出来ない以上、ここにいても意味がないだろうし。他にも商人の中にはドレミナに戻る奴がいるって話だったけど、お前はどうする?」
「商人の中って……他の連中は? いやまぁ、傭兵たちの場合はドレミナに行く必要はないんだろうけど」
山を越えてっこにやって来た傭兵たちは、あくまでもベヒモスを倒すための討伐隊としてここにやって来たのだ。
そのベヒモスも自分たちが倒すよりも前にすでに倒されてしまっている以上、いつまでもここにいても意味はない。
実際には自分たちで倒すことはできなかったが、とにかくベヒモスはもう倒されたというのを、雇い主たちに知らせる必要があった。
……中には、ベヒモスの素材を欲してここに残りたいと考える者もいたが、もしそのうような真似をすれば、黎明の覇者を敵に回すことになる。
傭兵としてやっていく上で、ランクA傭兵団を敵に射回すというのは最悪の結果を招く。
もちろん、ランクA傭兵団を敵に回してもどうにか出来るだけの実力、あるいは後ろ盾といったものがあれば、その辺はどうにかなるかもしれなかったが。
しかし、生憎とこの場にいる傭兵にはそこまで実力や後ろ盾を持つ者はいない。
そうである以上、黎明の覇者を敵に回すことは出来ない。
むしろ黎明の覇者を敵に回してでもベヒモスの骨にちょっかいを出そうしているのは、研究者たちだろう。
研究者というのは、自分の興味のあることに対してはどこまで貪欲になる。
山を越えてきた研究者たちの目的はイオの使った流星魔法によって降ってきた隕石だったが、それを入手出来た者はそう多くはない。
そんな中でイオが黎明の覇者と共に戦争に行くとなると、交渉も出来なくなる。
もっとも、ミニメテオではなくメテオで降ってきた隕石もあるのだが……そちらもまた、イオは知らなかったがしっかりと護衛がついていた。
そんな訳で隕石を入手出来ないとなると、次に研究者たちが注目するのはベヒモスの骨となる。
護衛がついている以上は好き勝手出来ない……と普通なら考えるのだが、研究者たちはそうは考えない。
いや、研究者全員がそのように考える訳ではないのだが、中には自分の研究のためには何をやってもいいと考えている者もおり、そのような者は本気で何かをするか分からなかった。
「取りあえず、俺も一緒にドレミナに行く。このままここに残っていれば、いらない騒動に巻き込まれそうだし」
商人は諦めたようにそう言うのだった。
「ん? ……来たか。予想していたよりも早かったな」
イオたちが野営地に戻ってきた翌日、周囲の様子を警戒していた傭兵の一人が、野営地に向かってやって来る数台の馬車を発見した。
もしかしたら、その馬車はドレミナからやって来た兵士たちではなく、この野営地を襲撃にきた敵なのでは?
一瞬そんな風に思ったのだが、近付いてくる馬車にはこれから戦うという気配はない。
もちろん、そのような気配を発することもない兵士もいるのだが、そのような者たちは当然のように腕利きで、そう簡単に人数を揃えられるものではない。
馬車に乗っている者たちの数を考えれば、まさか全員がそのような相手だとは到底思えない。
そういう意味では、こうして近付いてくるのはドレミナの兵士で間違いないだろうと思えた。
問題なのは、これからグルタス伯爵との戦いが近付いているのに、こちらに数台もの馬車を回す予定があるのかということだろう。
(その辺は向こうに聞けばいいか)
見張りはそう考えつつ、口を開く。
「おーい、ドレミナからの兵士が来たぞ!」
その言葉に、声が聞こえてきた者の多くが野営地に近付いてきている馬車に多くの視線が向けられる。
そんな視線を向けられたのに気が付いた訳でもないだろうが、少し馬車の速度が落ちた。
しかし、そうして速度を落としたことは見ている方に疑問を抱かせる。
「おい、あの馬車……速度が落ちてないか? 何でだ? あの距離なら、まだこの野営地に到着するまでは結構な距離があるし、まだ速度を落とすには早いと思うんだが」
「もしかして……実はあの馬車に乗ってるのは敵だったりしないよな?」
まさか、と。
あの馬車が敵かもしれないという言葉を聞いた者たちはそう告げるが、それでも警戒心は少し上がる。
もし油断している状況でいきなり襲撃されるようなことがあれば、それこそ洒落にならないと理解しているのだ。
もっとも、それはあくまでも念のためでしかない。
こうして見ている限りは敵意の類はないのだから。
それでも何かあったときのためにと、傭兵たちが集まってくる。
そして……少しの時間が経つと、やがて馬車が野営地に近付いてきた。
馬車の御者をやっていた者たちも、まさかこうして傭兵たちが集まっているとは思わなかったのだろう。
その表情は盛大に強張っていた。
しかし、それでもまさか怖いからといってここから引き返す訳にもいかない。
渋々、本当に渋々といった様子だったが、馬車は野営地の前でその動きを止めた。
やがて馬車が開き、そこから兵士たちが降りてくる。
(なぁ、普通こういうときって箱馬車じゃなくて幌馬車……もしくは荷台が剥き出しになってるような馬車を使うんじゃないか?)
馬車から降りてきた兵士たちの様子を見ていた傭兵の一人が、側にいた仲間に尋ねる。
するとそう言われた仲間の男も、疑問を感じつつ頷く。
(普通ならそうだと思う。実際、これからグルタス伯爵とやらと戦いになるんだろうし、こういう箱馬車はいくらあっても足りないと思うんだが。……何でだろうな?)
(実はドレミナでは馬車が余ってるとか?)
(まさか、そんなことはないだろ。ドレミナが実は馬車の一大生産地とかだったら、まだそうなってもおかしくはないが……ドレミナはあくまでも普通の街だし)
そんな風に傭兵たちが言葉を交わしていると、やがてソフィアとローザがやってくるのが見えて、ざわめき始める。
当然のように、ソフィアたちの前にいた傭兵たちは邪魔にならないようにと道を空ける。
そんな傭兵たちの様子を見て、馬車から降りた兵士たちにも緊張した表情が浮かぶ。
自分たちに近付いてくるソフィアの美貌や、一目で分かるほどの実力に圧倒されてしまったのだろう。
これがもっとしっかりとした……相応に能力のある兵士たちであれば、そこまで気にするようなこともなかったのかもしれない。
しかし、グルタス伯爵との戦いが迫っている今、有能な人物は実際に部隊を率いて戦場に出る必要があった。
ここに来たのは、戦場では使えないと判断された者たち。
そのような人物を指揮するために、有能な人物を送るような余裕はダーロットたちにもなかったのだろう。
だからといって無能な人物、あるいはベヒモスの骨を自分の物にしようとするような小悪党を送ったりすれば、それはそれでまた黎明の覇者と敵対することにある。
結局送られてきた指揮官も可もなく不可もなくという人物で……その人物は、ソフィアの美貌や迫力に気圧されながら、何とか一歩を踏み出すのだった。
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