第145話

「し、失礼します。今回ベヒモスの骨を守ることになった兵士たちを率いているドワズといいます」


 ドワズと名乗った男は、緊張した様子を見せつつソフィアに向かって自己紹介する。

 自分がソフィアの美貌と迫力に気圧されているのを何とか押し殺そうとしていたようだったが、残念ながらそれを隠しきることは出来ていない。

 外見からして、騎士ではなく兵士であるのは間違いないが、それはソフィアにとっても気にならなかった。

 騎士はグルタス伯爵との戦いの主力となる面々だ。

 そのような者たちをベヒモスの骨の警備に連れ出すような真似が出来るはずもない。

 ……あるいは、ダーロットがソフィアやローザを口説くために恩に着せる目的でならという可能性もあったが、幸いなことにダーロットは極度の女好きであっても貴族や領主としては無能ではない。

 この状況で自分の欲望のために戦力を減らすということがどういうことなのかは、十分に理解していたのだろう。


「ドワズね。私は黎明の覇者の団長のソフィアよ。一応確認のために聞いておくけど、ここに来たのはベヒモスの骨を守るためということでいいのよね?」


 そう言いつつ、ソフィアの視線は離れた場所にあり……それでいながらここからでも見ることが出来るベヒモスの骨に向けられる。

 ドワズと名乗った兵士は、ソフィアの言葉を聞いて即座に頷いた。


「はい、それで間違いありません。それで、自分たちがここでベヒモスの骨を守っている間、黎明の覇者の方々には戦いに参加してもらうという話でしたが」

「ええ、それについては契約が終わってるから、安心してちょうだい。今日中にここを発つわ」


 その言葉にドワズは安堵する。

 もしここでソフィアが戦場に向かわないといったようなことを口にした場合、どう対処すればいいのか分からなかったからだ。

 もちろん、しっかりと契約をしているという話は聞いていたので、そのような状況で断るといったことはまずないと思ってはいたが。

 それでも万が一を考えると、心配だったのだ。


「ありがとうございます。それでは……その、聞いた話によると黎明の覇者に降伏した者たちがいるという話でしたが、そちらはどうするのですか?」

「貴方たちがベヒモスの骨の警備をしてくれるのなら、いらないでしょう。元々いつまでという約束はなかったけど、ちょうどいいし、終わりにするつもりよ。報酬を支払ってね」


 一度黎明の覇者に敵対し、降伏してきた者たちに報酬を支払う必要はあるのか?

 黎明の覇者の中にはそのように思っている者がいることもソフィアは知っていた。

 しかし、きちんと最初にそういう約束をしている以上、ソフィアにそれを破るつもりはなかった。

 もしそのような真似をすれば、ソフィアの名前に悪評がついてしまう。

 黎明の覇者を率いるソフィアは、その美貌もあってかなりの有名人だ。

 そして有名人である以上は当然のことと言うべきか、そんなソフィアを妬んでいる者もいる。

 そのような者たちは意図してソフィアの悪い噂を広げたりしているのだが……もし今回の件で約束を破ったという話を聞けば、それこそ好き放題に言うだろう。

 他にも、約束を破るという話が広まれば、傭兵団として活動する上でやりにくくなったりもする。

 自分たちにとって不利益になるのが分かっているのに、ソフィアにはそのような真似をするつもりはなかった。

 当初の約束通り、ベヒモスの素材を渡してそれを報酬とする予定となっている。

 その報酬では足りないと言う者もいるのかもしれないが、さすがにそこまでは面倒をみきれない。

 貰った素材を武器や防具、あるいはマジックアイテムとして使うか、それとも商人に売るか。

 その辺りの判断は個人に任せることになる。


「そうですか。出来れば何人かは残って欲しかったのですが」

「何故?」

「ベヒモスの骨の警備など、やったことがありませんので。それをやる上でのコツを教えて貰えると助かりますので」


 その説明は、ソフィアを納得させるのに十分な説得力を持っていた。

 だからこそ、ソフィアは少し考え……隣にいるローザに尋ねる。


「ねぇ、ローザ。何人か追加でベヒモスの素材を渡すから、まだここに残ってもらうということは出来ないかしら?」

「出来るか出来ないかと言われると、出来ると思うわ。けど、その場合はきちんとした性格の人を残す必要があるわね」


 今までは黎明の覇者の傭兵たちが側にいたから、警備をしていた傭兵たちも妙なことは考える余裕はなかった。

 しかし、もしここに残すということになれば、今度は黎明の覇者の傭兵は誰も残らないのだ。

 そうである以上、迂闊な者を残せば今こうしてやってきた警備兵と戦いになる……という最悪の未来も考えておく必要があった。

 そうならないようにするためには、ここに残す傭兵をしっかりと選別する必要がある。

 ……もっとも、本当に質の悪い傭兵の場合はここに残さなくても黎明の覇者がいなくなった時点でベヒモスの骨を奪うといった真似をしてもおかしくはないのだが。

 そのような真似をするのであれば、ここで残す者たちを云々といったようなことを考えても意味はない。

 とはいえ、そのような真似をすれば当然だが黎明の覇者を敵に回すことになる。

 黎明の覇者に情報を渡さないとすれば、それこそこの場に残った者たちを誰一人残すことなく全滅させるといった真似をしなければならないが、ソフィアやローザが見たところ、ここにそれだけの実力を持つ者はいない。


「ベヒモスの素材を追加で渡すんだし、喜んでやってくれるとは思うんだけど」


 結局そういうことで、もう少しだけベヒモスの骨を守る者たちを残すことになるのだった。


「じゃあ、ローザは兵士たちを連れてベヒモスの骨のところまで行ってちょうだい。それと今まで警備していた傭兵たちに報酬として素材を渡すのを忘れないでね」


 ソフィアの指示に従い、ローザはすぐに行動に移る。

 なお、ベヒモスの素材について取引をしていた商人にかんしては、すでに商品の受け渡しは行われている。

 ただしドレミナとの和平交渉が纏まってからは、商談は一時的に止まっているが。

 何しろ和平交渉が纏まった以上、これらの素材はドレミナで普通に売ることが出来るのだ。

 何とかしてこちらの足元を見て……あるいは商人の習性として、少しでも安く買おうとする相手との商談を進める理由はない。

 ……いや、実際にはこれだけの巨大な骨をドレミナまで運ばなくても、この場で商人に売ることが出来るというのは、黎明の覇者にとっても悪い話ではなかったのだが。

 しかし、その辺りを考えても自分の足元を見て不当に安く買い叩こうとする相手というのは、ローザにとっても不愉快だし、何より信用出来る取引相手とは到底言えない。

 だからこそ、基本的には商談は行われていなかったのだ。

 基本的にとあるように、優良な取引相手と思われる相手とは商談も多少は行われていたのだが。


「では、準備を始めましょう。ギュンター、野営地の撤退をお願いね」


 ソフィアの指示にギュンターは頷く。

 とはいえ、撤退の準備そのものはそこまで大変ではない。

 元々ドレミナから警備のための兵士が送られてくるというのは、前もって聞かされていた。

 そうである以上、兵士たちがやってきたらすぐにでも出発出来るように準備を整えていたのだ。


「あの……」


 さっさと準備を整えて出発しよう。

 そう思ったソフィアだったが、そこに再び兵士を率いるドワズが声をかける。


「まだ何か用事があるのかしら?」


 こちらはさっさと準備をして出発したいのに。

 言外にそう告げたソフィアに、ドワズは申し訳なさそうに言葉を続ける。


「黎明の覇者の皆さんは、ここを出発したら一度ドレミナに寄るんですよね?」


 何故ドワズがそのようなことを聞いてくるのかは分からなかったが、特に隠すようなことでもないのでソフィアは頷く。


「ええ、そうなると思うわ。グルタス伯爵と戦うための軍と合流して行動することになると思うし」


 黎明の覇者には先に出撃してグルタス伯爵の軍がダーロットの領地に侵入してこないか牽制しろ。

 そのような命令が下される可能性もあるが、その命令を受けるにしても結局一度はドレミナに寄る必要がある。

 ……本当にどうしようもなかった場合は、ドレミナから伝令がやってきて、命令を伝えてくるかもしれなかったが。


「では、私たちが乗ってきた馬車も黎明の覇者でお使い下さい」

「……どういう意味? それだと、まるで馬車と馬を私たちに渡すと言ってるように思えるけど」


 この世界において、馬車もそれを牽く馬も、そう安いものではない。

 人によっては、それだけで一財産となる。

 ましてや、馬車はその形状に寄っても値段が違ってくる。

 屋根も何もない荷馬車よりも幌馬車の方が高いし、幌馬車よりも箱馬車の方が高い。

 馬もまた、しっかりと訓練をされている馬であればそれだけ高額になる。

 そういう意味では、こうしてドワズたちが乗ってきた馬車は、箱馬車で馬もそれなりに訓練をされている、最上級とまではいかずとも中の上といったくらいの馬だ。

 それらを何の理由もなく渡すと言われると、何故そのようなことなるのかと、疑問に思うのは当然だろう。


「それに、私たちに馬車を全て渡したら、貴方たちがドレミナに戻るときはどうするのかしら?」


 ここまで馬車で来た以上、帰りはどうするのか。

 もちろん、歩いて移動するという手段もあるだろう。

 しかし、馬車で移動しても一晩は野営をしなければならない距離はあるのだ。

 そうである以上、馬車もなしで歩いて移動するというのはかなり厳しいのは間違いなかった。

 ソフィアのそんな問いに、ドワズは大丈夫だと口を開く。


「後日、この場所での護衛が必要なくなったら、ドレミナの方から新たに馬車を派遣してくれることになっています。それを使って帰ることになるかと」


 その言葉に、ソフィアは何故高価な箱馬車で来たのかを理解し、呆れたように口を開く。


「分かったわ。こちらも馬車は多い方がいいし、助かるのも事実よ。馬車は受け取るわ」


 結局、そう告げるのだった。

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