「第4章 たった一言が言えなくて」
中学の頃、陽菜に告白したのは二つの理由があった。
一つは、高校が別々になってしまう事。以前にこれはこれで構わないと言ったから、矛盾しているかも知れないが、中学の僕は実際にまだ別々の高校生活を経験していないだから、問題はない。さらに付け加えるならば、これは特段、告白を焦らす要因にはならなかった。彼女の進学先が私立の女子高。そこそこ偏差値の高い、お嬢様学校なのを知っていたからだ。
余計な男子の心配がないだけで、危険度は一気に平均以下にまで下がる。会いたければメールを一通飛ばせば、簡単に会えると考えていた。
もう一つ。こっちの方が決定的な要因で、中学三年の頃、卒業式の練習を毎日していた影響か、クラス内のあちらこちらで告白が大流行した。流行自体に僕は関係ないし、勝手にどうぞだったが。悪い事に陽菜にまで伝染しようとしたのである。簡単に言うと、隣のクラスの森成君が彼女に告白しようと試みているのを知ってしまったのだ。体育の着替えの時間に話しているのを偶然耳が拾い、陽菜に告白する日時を知った。来週の月曜日らしい。
馬鹿だな、今日の放課後に告白すればいいものを。何を勿体ぶっているんだ。っと思えなかったのは、相手が陽菜だからである。他の女子相手ならそう感想を抱いただろうが、生憎そうはいかない。
以上の二つの理由が大きな理由。
僕は金曜日の放課後。彼女に告白した。これにより月曜日は隣のクラスの森成君が悲しい気持ちで終わるだけの平和な一日だった。まあ、そこは別にどうでもいい。
放課後、けやき公園に呼び出して告白して、顔が完熟トマトになった陽菜がコクンと頷いてくれたあの瞬間は、僕の十六年間の人生で、紛れもなく最高に幸せだった――。
陽菜に謝る。そう決めてからウダウダして、もう四日が経過してしまった。本当にあっと言う間で、早送りのビデオテープみたいにキュルキュルと進んでいった。
けやき公園で陽菜に言わなくてもいいと言われたのが、頑丈な鎖となって僕の心の自由を許さない。内容を話していないのに、話した気分になってしまう。
「ねえ、悠君?」
「ん、何っ?」
下校中、そんな事をずっと考えていたら、隣で珍しく大人しかった陽菜が聞いてきた。
「私の事好き?」
「ああ、好きだよ」
エアコンのスイッチを点けるのと変わらないくらいに当たり前の事実を僕は答える。陽菜を好きじゃない訳がない。うん、当たり前。世界の常識だ。
一体どうしたのだろうか?
何か不安にでもさせてしまったか。
「急にどうした?」
「何か最近ね、悠君の心が明後日にある気がしたから。他に好きな子でも出来たのかな~って」
いつもの軽口に少量の不安を混ぜた顔の陽菜。その顔は例の喧嘩の時、僕が最悪な一言を言った時と同じ系統の顔だった。人生二度目のその顔を見た瞬間、何だか無性に自分を殴りたくなった。
っと言うか、気付いた時には右手が勝手に動いていた。
ガコンッ! 体内で骨が響く。右手の拳で一切の手加減なしに頬を殴ったのだ、当然。
「痛い……」
隣の陽菜は口をあんぐりと開けている。
驚かせてしまったようだ。
「何やってるのっっ!!」
僕の右手を取り上げて叫ぶ。
「気付いたら……」
「気付いたらって……。意味分からないよ」
だろうな。実際、逆の立場なら陽菜と同じ反応する自信がある。でも、やった本人としては言いようのない不思議な爽快感で満ちていた。
取り上げられた右手は陽菜の両手に包まれて、彼女の胸元に持って行かれている。少し冷たい彼女の手は火照った右手に丁度良い。
「ゴメン、もうしないから。右手を離して?」
流石にこれ以上心配させるのは不味い。
「本当に? 約束出来る?」
ちょっと強めの口調で確認する陽菜に僕は穏やかに応える。
「大丈夫、約束する」
「信じるからね? 嘘は嫌だよ?」
信じてくれた陽菜は僕の右手を解放した。自由になった右手を見てみると、赤くなっている。まあ、当然か。適当にヒラヒラと動かして、異常を確認する。特に痛みもない。
簡易健康診断を終えた右手を所定の位置に戻して、僕達はまた歩き始めた。
それからしばらく、二人の間に言葉はなかった。
別に喧嘩している訳ではないが、自分のやった行動で空気が重くなり、口を開けなくなっていたのだった。重い空気の強力さは凄い。体重計でも計測不可能だろう。
そんな重さを破ったのは陽菜。
「私はさ……」
「うん」
陽菜は足を止めて、真っ直ぐに焦げ茶色の瞳で僕を捕えた。
「大好きだよ、悠君の事。本当に大好き」
いつも「好きだよ~」っと言っているが、今のは度合いが違う。勿論、普段のも嘘じゃないのだろう。だが、それとは違う。何よりの証拠として、顔を赤くしている彼女が目の前にいるのだ。言われた僕まで恥ずかしい。
「ありがとう。僕も陽菜が大好きだ」
さっきよりも“大”とランクを上げて陽菜へ飛ばす。下校中に道の真ん中で何やっているんだという感じだが、幸い今は誰も歩いていない。
だから余裕なのだ。ううん、きっと人が森の木々のように沢山いたとしても、僕は彼女に大好きだとはっきり言える。心が正面を向いてる本当の気持ちだからだ。
「ああ~、安心した~っ!」
両肩の浮力を落として、陽菜は盛大にため息を吐く。
「そんなに不安だったの?」
陽菜のため息は珍しかった。それ程までに僕が彼女を追い詰めていたのが分かる。
「心配します~。だって悠君って自分から好きって言ってくれるタイプじゃないし」
「そんなに言ってない?」
「言ってないーっ! 私が言い過ぎちゃってるのかなー。今度からちょっと控えてみよっと」
「嫌だ」
反射的に言葉が出てしまった……。口から飛び出した本心は空気を突き抜けて陽菜の耳に入る。彼女が頬を赤くしながら、徐々に喜び顔へと進化させていく。
穴があったらぜひ入りたい。
「そっかそっか~。嫌なのか~」
満足百万点の笑顔で、僕と手を繋ぎブンブンと振る。そう言えば、今日はまだ手を繋いでいなかった。いつも(ここ最近は必ずと言っていい程に)繋いでいるのに。
「もしかして、手を繋がなかったのも寂しかった、から……?」
発見した事を慎重に聞いてみると、上機嫌の陽菜は鼻歌混じりに「秘密~♪」っとはぐらかされた。きっとそうに違いない。陽菜はいつも笑顔で傍にいてくれたから。それが当たり前になってしまって、甘えてしまったらしい。
僕って馬鹿だな。もう一発自分を殴りたい衝動に駆られて、ピクッと右手が疼く。だが、殴らないと陽菜が信じている以上、その信頼を踏みにじる事は出来ない。だからここは、代替案を考えよう。何が良いだろうか。
思考を巡らせていると、丁度視界に赤い自動販売機が姿を現す。まさにうってつけだった。僕が足を止めると手を繋いでいる陽菜も自然と停止する。
「何か飲みたいのある? って言っても陽菜は見るだけになっちゃうけど」
道の脇にあるどこの都道府県にも存在する極めて一般的な赤い自動販売機。
隣には、これまたどこにでもある青いベンチ。ここで買って飲む用途以外にないと主張している。比較的綺麗、腰を下ろしてもズボンは白くならなさそう。
僕は陽菜の喜ぶ顔を想像する。彼女は食いしん坊なので、生きていた頃からよくコンビニで肉まんを奢ってあげていた。「肥る~」っと歓喜の悲鳴を上げながらも、笑顔で大きく口を開ける陽菜。今回も当然、僕は同じ系統の彼女の顔を想像していた。
――じゃあ私、この限定の贅沢サイダーがいい! みたいな架空の反応だってすぐに聞こえる。だけど、現実のお陽菜の反応は僕の予想とは大きく違っていた。
「絶対にいらない」
本気の拒絶だった。意外である。まあでも、僕も飲むつもりだったし、こっちが美味しそうに喉を鳴らしていたら、我慢出来なくなって欲しがるに違いない。一口頂戴って言ってきたら、何と言って焦らそうか。おかしなシュミレーションを計画しつつ、僕はポケットから財布を取り出す。
小銭入れから硬貨をニ、三枚出し投入口に入れようとする。
「僕は飲むつもりだから、ちょっと待ってて」
相手の返事を待たない言い切り方式で、用件を告げる。しかし、それすらも陽菜は拒絶した。
「ダメ」
投入口に陽菜の白く細い指が蓋をする。
一体どうしたんだ? ここまで来たら、一連の行動原理は、陽菜の気まぐれではなく何かを隠しているのは、流石に分かった。こんな場面は僕達の歴史で、なかった訳じゃない。
「喉が渇いたんならさ、グリーンドアに行こう? ね? 私、今日もココアケーキが食べたいな~」
投入口を塞いでいる陽菜の手を払いのけるのは簡単だ。それに彼女は幽霊。本気で入れようとしたら、恐らく彼女の手は硬貨を止める壁の役目は果たせず、貫通するだろう。
本当に簡単で、悩むのが馬鹿らしく思えるくらいに。
「…………」
「…………」
雲の流れが止まっている気がする。いや、本当に止まっているのだ。そう錯覚してしまう程に、僕達は石像になり目を合わせたまま固まっている。僕の好きな陽菜の焦げ茶色の瞳が輝かず、左右に儚く揺らいでいる。
「えっと……」
何を言うのか決めてないのに、僕の口は自動的に動く。
陽菜の悲しそうな瞳は見たくなかったから動いてしまう。
「うん」
案の定、続きがないのですぐに手動に切り替わる。いつもこうだ、喧嘩の時といい。今といい。こういう自分の曖昧で情けないところが一番嫌いだ。彼女に話しかける言葉候補は欠片も湧かないのに、自分を中傷する言葉候補は宇宙のように無限に湧いてくる。
一体、こんな自分のどこを陽菜は好きなのだろうか?
陽菜は好きだといつも言ってくれる。照れくさいけれど、愛情もちゃんと感じている。それを証明する行為だってしてくれる。だけど、それはどこに? 何に?
立場が逆だったら、こんな相手を好きだと言えない。喧嘩の件で謝るのだって、山科さんとは話すと結論を出した。なのにまだ……。むしろ、陽菜に諭されるがまま、言わない約束までしてしまう始末。
本当どこが好きなのだろう?
膨らんだ疑問は心の中で霧散せず口まで到達した。
「陽菜は僕のどこが好きなの?」
左右に揺らいでいた陽菜の瞳は、一瞬で丸くなった。訳が分からないと顔が言っていた。けれど、その顔はすぐに蒸発して、いつもの優しい顔になる。
「知りたい?」
コクンと返事をする僕。
「しょ~がないなぁ。では、教えてあげましょう。でもその前に……」
「前に?」
「ここで飲み物、買うの止めてくれる?」
お安い御用だ。僕は財布に硬貨を戻してポケットにしまう。
「よーし。じゃあ、悠君の耳貸して」
「分かった」
右耳を陽菜の口元に近付ける。彼女の口から漏れる息遣いがくすぐったくて、反射的に離れてしまいそうになる。
動きかけた僕を察知した彼女はすぐ「逃がすかっ!」っと顔を両手でガッシリと掴んできた。これじゃあ逃げられない。
顔に彼女の手の体温が伝わってきて、余計に恥ずかしさと緊張のパロメータを上昇させる。
「すぅーっ」
陽菜の息を吸う音が耳元で聞こえる。近付けている分、大きい音が鼓膜に届いて体に響く。ジェットコースター頂上にいる気分だ。
「悠君は優しいし、格好良いから大好き」
至近距離で自分のどこが好きか言われる。陽菜の柔らかな声が耳を突き抜けて、頭の奥まで辿り着いて、僕の顔が林檎のようになる。
「あと、可愛いところも大好きかな~。今みたいに」
顔を離れた陽菜が満足気に追加する。男をとしては微妙な部分を褒められたので、素直に万歳出来ないのだが、大好きでいてくれるならいっか。
「今度は私の好きなところを教えて?」
「えっ?」
思わず声が出るが、陽菜は構わず自分の耳を僕の口元へと近付ける。その時、髪を耳に掛ける仕草に、ドキっとした。
「早く~早く~」
急かす陽菜に僕は小さく息を吐いてさっきの彼女と同じようにすぅーっと息を吸う。そして、言葉を言おうとした時、ふと疑問が生まれた。
僕は陽菜のどこが好きなのだろう?
外見が可愛いとか、仕草や声が好き。みたいなのを言うのは違う気がする。勿論、嫌いなんてのはあり得ない。全てが好きだ。むしろ、嫌いな箇所を探す方が大変な作業である。
だけど、具体的に陽菜の大好きなところを上手に声にするのが、とても難しい。そもそも、今の僕にそんな事を話していい資格なんて……。
大好きなところを言う前に、言わなければいけない事があるのに……。
「もうっ! 言ってくれない気~?」
ずっと黙っていたので、我慢出来なくなった陽菜が顔を離してプンスカと怒っている。
「いや、違うんだ」
何が違うんだよ。
心の中で自分にツッコミをしてしまうくらいに変な言い訳をする。勿論、陽菜には全て見透かされていて。
「次に聞く時までにちゃんとまとめておいて下さい。いいですか?」
「はい」
先生のように指を立てて、授業っぽく話す陽菜い敬語で返す。
「よろしい。あ~楽しみ」
「はいはい」
「早速グリーンドアに行こ? 今の話、山科さんに自慢するんだ。今度悠君が熱烈な愛の言葉を言ってくれるってっ!!」
「えーっ!」
絶対あの人面白がる。一秒もかからずに、にやけ顔の山科さんが頭に浮かんできた。行くのは止めよう。そう強く言えないのは、陽菜が僕以外に自身の姿が見えるのは、今のところ霊感がある山科さんだけだからだ。
その影響か最近は、あそこに結構な頻度でお邪魔している。ひょっとしたら生きている時より、多いかも知れない。
きっと話し相手が欲しいんだろう。僕の右手を上機嫌に掴んでいる陽菜を見ながらそんな事を考えていると、彼女はふいに手を離した。
「さて、私は幽霊散歩しながら先に行ってるね」
「分かった」
寂しいけど、すぐに会えるからと、口には出さなかった。
「どうせなら競争しようよ! 負けた方が今日のグリーンドアを奢るっ!」
「なっ!?」
勝てる訳ないじゃないか。フワフワと空を泳ぐ陽菜と地面を走る僕では、競争行為自体が無意味である。火を見るより結果は明らかだ。
僕がふて腐れていると、彼女は笑う。
「怒らない怒らない。可愛くて格好良い顔が崩れちゃうぞ?」
理不尽だ。声には出さずに目で訴えてみたが生憎、陽菜には通用しなかった。ヒラヒラと手を振りヘリウムガスが詰まった風船のように軽やかに上昇して行く。
「じゃあ、グリーンドアで待ってるね~」
勝利宣言を耳に残しつつ(向こうも競争とかする気ないのが今ので分かった)僕は、遠くに飛んでいった陽菜を見ながら考える。
やはり、言わなくても……。妥協と言う名の流れ星はいくつでも観測出来る。優しいと言ってくれる陽菜に申し訳ない。僕は優しくなんてない、弱くて卑怯なだけなのだ。
喧嘩の件を話すのは誰の為に?
自問するが明確な答えはない。
僕? 陽菜? 自分がスッキリしたいだけ? 彼女に心から謝りたい?
出口のない思考迷路を歩きつつ、僕の重たい両足はグリーンドアへと向かったのだった。
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