第2話 サイドワーク



「あまり汚れてはいないけれど、掃除もしていないわね」


とちょっと大き目の声で言うと、その言葉がドームに響いて、恥ずかしくなった。きっと音楽会なども開かれたであろうこの場所で、私の一言は絵の天使ですら笑ってくれそうだ。

ティッシュを拾って掃除をすると、埃がバスケットボールくらいに集まったのは、この部屋が「吹きだまり」のようになっているからとわかった。

そうしているとコツコツと靴音が響き、それが徐々に大きくなって、この部屋数か所あるドアの一つがゆっくりと開いた。


 現れたのは、私が想像していたよりはるかに若い女性だった。

十代の後半か、白人特有の驚くほど白い肌、あどけなさが残る口元、大きな目、すっとした鼻。まとめられたブラウンの髪には様々な色の髪飾りがあった。衣装は豪奢だが、ちょっと重そうだ。


「ア・・・」


と彼女が言ったが、どう聞いても日本語の発音であろうはずもなかったので、私は響く場所で「パン! 」と大きく手をたたいた。残響が完全に消えてから、私は彼女に話しかけた。


「掃除に来ました、言葉はわかりますか? 」


「え! ええ! そうなのですね、手をたたくと良いとは教わったのですが、あなたが掃除の方ですか」


若いけれどおっとりとしたしゃべり方と、丁寧な言葉使いは、確かにこの宮殿にふさわしいもののようにも思えた。



「まだ、ここにきて日が浅いのでしょう? 」

「よくお分かりですね、まだ一か月でしょうか・・・やっと食堂の雰囲気にも慣れて・・・」

「お友だち、お話できる方が出来ましたか? 」

「はい・・・」

その受け答え一つで、悪いが彼女は「歴史上名前の残った人ではない」と判断できた。ヨーロッパ中世の貴族階級の令嬢の典型なのかもしれない。立ち居振る舞いは、きちんとした型にはまったもので美しかったが、それ故なのか少々表情が暗く、乏しいとも思えた。

この年くらいの普通の女の子なら「箸が転がってもおかしい」様な明るさがあるはずだが、それが逆にひとかけらもなかったので


「あの、聞いてもよろしいですか? 」と私は尋ねた。

「はい・・・何をでしょうか? 」

「あなたは若返っていらっしゃるのですか? 」

「いえ・・私はこの年で死んだはずだったのです・・・ペストで」

「ペスト・・・・・それでは・・・・・」

「あの! 教えてください! 本当に私の顔はもとに戻っているんでしょうか? 私がペストにかかり、自分の顔を鏡で見た時の・・・あの・・・・・」

彼女は始めて感情を顕わにし、その場にうずくまり両手で顔を覆ってしまった。幼い頃から美しいと言われてきた顔がペストによりきっと変わってしまったのだろう。黒死病ともいわれるこの病で、彼女にとっては死以上の苦しみだったのかもしれない。


 私はやっとそのことに気が付いた。自分自身も決して偉人でもないくせに、その人たちの部屋を掃除したからと言ってちょっと、嫌、かなりいい気になっていたのかもしれない。


「大丈夫よ、顔をあげて。あなたも本当に美しいわよ。お人形の様だわ。さあ、落ち着いて、涙を拭いて」と私はタオル地のハンカチを彼女に貸してあげた。


「ああ・・・気持ちがいい・・・この肌触り・・・とても」

「タオルよ、これはオーガニックコットンだから猶更」

「オーガニ?・・・」

「まあ、まあ・・・その・・・彼に頼めば・・・きっと」

「え! あのお方にそんなことをお頼みしてもよろしいんですか? 」

「ええ・・・その・・・あなたの見た彼はどんな風だったの? 」

「それは素晴らしい方です! ハンサムで教養があってきっと剣もお上手なのでしょう! あんな素敵な方・・・・私が今まであった方ではいませんでした。私は・・・ペストで死ななければ私の父ほどの年の人と、きっと結婚しなければいけなかったでしょう。本当にここでこんな形で生きていて、初めて人に恋するという気持ちを感じることができました! 」


彼女の生き生きとした言葉に、逆に私は自分の思っていることを

「一言も口に出してはならない」と必死だった。そしてとにかく自然な表情で

「良かったわね・・・」と言った後、気が付いた。

つまりこの可愛い貴族令嬢は、

ピッカピカの、まっさらの、絶対的な

「ヴァージン・・・処女ってことか・・・」

心の中でつぶやき、その後に「全くあの男は・・・」と続けることにしたが、表面上は笑ったまま彼女に


「さあ、あなたの部屋に案内して頂戴、おトイレもお風呂場も掃除をするから」


「はい、ありがとうございます」


自然な感じの美少女に変わっていた。


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