「第7章 クローバーとイエローブースターの関係性」 (4)

(4)


「それが巧君との出会い。あの公園で私は君にイエローブースターを教えた。この先辛い選択をしなければならない時の道しるべとして。どう、思い出してくれた?」


 全てを話し終えた彼女がもう一度、巧に確認をする。それに彼は頷いた。


「はい。完全に思い出しました。あの時の四つ葉のクローバー探しを手伝ってくれたお姉さんだったんですか」


 うっすらだった当時の情景が徐々にハッキリとした形となった。あの時の空の色、土の匂い。何もかもが頭に浮かぶ。


「あれから約十年。時折様子を見ていたけど、約束通り巧君は誰にもイエローブースターの事を話さなかった。約束を守ってくれてありがとう」


 彼女は笑顔で礼を言って、一区切り置き、小さなため息を吐く。


「でも、まさかこんな事態になるなんてね。イエローブースターを最初から知らなかったらって考えると完全に私の失敗だ。ごめんなさい」


 彼女は巧に深々と頭を下げる。


 巧は彼女の謝罪を否定しない。


 自分自身でもそう思えてしまうからこそ、許すという選択はなかった。


 ずっと頭を下げ続けている彼女に「頭を上げてください」っと促した。「んっ」っと彼女は素直に頭を上げる。


 こちらの言葉を待っている彼女の目を見て、巧は心境を吐露する。


「確かにこんな事になったのは、貴方が俺にイエローブースターを教えたのもあります。その事実は絶対に変わりません」


「うん」


 巧の話を彼女は頷いて応える。そこに余計な感情はない。こちらを見る真っ直ぐな瞳は、彼女の真摯な気持ちを表していた。イエローブースターを教えてしまった事による心からの後悔と申し訳なさ。それが伝わってくる。


 だからこそ、巧は静かに微笑んで「だけど」っと続けた。


「イエローブースターで助けられた事もあります。少なくとも初めの一回は、新城さんを助ける事が出来た。それもまた事実です」


「えっ!?」


 一回目の時よりも驚きが混ざった返事が返ってくる。


「だから、謝れとかそういう事は言いません。だって何もかも嫌な訳じゃないんですから」


「……いいの?」


 瞳を震わせて問いかける彼女。その不安を取り払うように巧は力強く頷く。


「はい。だから、教えてください。イエローブースターとは何ですか?」


 教えてもらってから今日まで、イエローブースターを使えば望んだ奇跡が起こった。回数制限はあるものの、その結果は物理法則を無視している。


 方法を知っていれば誰でも使えるのか。それとも自分しか使えないのか。


 最初に知る必要のあった事を巧は何も知らない。知る術が無かったからだ。


 しかし今、隣にはイエローブースターを教えてくれた本人が座っている。


 だったら聞かない訳にはいかない。もう自分は、とっくに知らなければならない段階にいる。


 巧の質問の後、二人の間には沈黙が流れた。


 彼女は下を向いて、目を閉じている。黙って彼女の返事を待った。


 やがて、静かな息を吐いて彼女が目を開けた。


「分かった、教える」


「ありがとうございます。良かった」


 彼女の了承を得られて、肩を大きく下げて安堵する。


 その様子に微笑んで、彼女は説明を始めた。


「奇跡というのは、認識出来ないだけで普段から常に起こっているの」


「認識出来ないだけで?」


「そう。例えば今、この場に隕石が落ちてこない。それもまた一つの奇跡。車内に私達が呼吸可能な充分な酸素がある。車から降りてスターバックスまで他の車に轢かれずに辿り着けるのも奇跡。生きている限りは常に目に見えない奇跡が沢山起こっている。ココまでは分かる?」


「はい」


 生きているだけで、普段から目に見えない奇跡が起こっている。彼女の理屈は分かる。もっとも見えないからこそ、実感が湧かないのだが。


「そう言った小さな奇跡の積み重ね。そこにはどうしても端数が生じるの。それが目に映る大きさまで膨らんだのが、初めて人が認識出来る奇跡。イエローブースターは奇跡の端数を集めて自由に使う事が出来る」


「でも、それは……」


「信じられないのは分かってる。古くは私の家系に伝わるおまじないだから。科学的な根拠はないの。元々は違う名前だったらしいし。だけど力は本物。現に君は使えているでしょう?」


 使えている。


 信じられないと考えかけた巧の思考を一気に封殺する現実を向けられる。


 追いつかない思考に強制的に止ブレーキをかけられたような感覚。納得し切れていないだけに心にモヤモヤとした感情が残る。


「おまじないって言うなら誰でも使えるんですか? イエローブースターって名称と方法さえ知っていたら、俺以外の人でも」


 単純な問いを彼女に飛ばす。すると、彼女は力無く首を左右に振った。


「イエローブースターの名前とやり方を知っている程度じゃ使えない」


「でも、俺は」


 教えてもらっただけで使えた。そう話そうとした時、彼女が続きを被せる。


「さっきの思い出話では説明の必要はないかと省いたけど、私が巧君に教えた時には、今後。君が使えるようイエローブースターを使っていたの。だからあの日以降、私はイエローブースターが使えない。元々、一子相伝のおまじないなの。だから、使用者一人で代々受け継いでいく」


「そんな……」


 自分の知らない複雑な事情が起こっていた事に驚きを隠せない。


 言葉を失っている巧に彼女は話を続ける。


「最初に話したけど、いくらどんな奇跡を起こせるイエローブースターでも出来ない事はある。矛盾するけどしょうがない。イエローブースターの原料が自分の奇跡の端数だから、それを越えるような使い方は出来ない」


「それは一日三回しか使えない事と関係してるんですか?」


「三回以上は許容量を越えるから出来ない。あと、誰かに話してはいけないのは単に秘密を守る為。知られても良い事はないから。それと、あの時は言わなかったけど、もう一つ出来ない事がある」


「それって何ですか?」


「他人に使ってはいけない」


 彼女の発した短く冷たい言葉が巧の耳に届く。


 自分はこれまで何度、他人に向けて使用した事がある。どれも基本的には問題なく効果が出ていた。それが出来ない事?


 これまでの使用場面を回想して固まる巧。そんな彼に彼女は指を二本立てる。


「他人に使ってはいけない理由は二つ」


「はい」


「一つは責任が持てないから。奇跡というのは一見すると、とても都合が良いものだと思われるけど、実際はその逆。使い辛くてとても危ない。自分で使うのも大変なのに。他者に使うなんて出来る訳がない」


「分かります」


 他人へ使用する事の危険性を説明する彼女に巧は深く頷いて同意する。


「そうね。これは今の君は充分に分かってるか。そして二つ目は、一つ目と繋がるんだけど、イエローブースターの材料となる奇跡の端数は自分自身から作られている。そこに他者の分は含まれていない。それなのに無理に使うと体に痛みが出る」


「そうなんですか」


 巧の問いに「ええ」っと彼女は頷く。


「新城さんを助ける時に使った際、痛みを覚えたはずよ。それは拒絶反応。当然回数を増す事に痛みも増幅されていく。でも君は使い続けた……」


 彼女はため息をつく。


「痛みが増幅されていくと、どうなると思う?」


「……死ぬという事ですか?」


「ええ、そうよ。次第に増大した痛みに耐えられなくなって、脳が壊れてしまう。それは一瞬だけど、信じられない程の激痛。それが出来ない理由」


 彼女の強い口調に耳を傾ける。自分がしていた事の大きさを自覚して、何と言ってい良いか返せずにいると、彼女は一拍置いて、口を開いた。


「貴方はそれをやっていたの。覚えておきなさい」


「ごめんなさい」


 強い目で見つめてそう言う彼女に巧は頭を下げて謝罪する。


 その謝罪に彼女は笑って許すような事はしなかった。


 何の意味もなく許すのはあり得ないし、同情もしない。本当に心から怒っているというのが、伝わってくる。同時に心配もしているという事も。


 スターバックスのコーヒーは少しずつ、温度を下げていく。それが嫌でも時間が進んでいく事を物語っていた。


「大分、暗くなってきたね」


 ポツリと零した彼女の言葉に反応して、巧は視線を空を移す。


 先程まで自分に向けて怒っていた雲は、顔を黒く染めており外は夜になっていた。


「そうですね、冬だから。夜になるのが早い」


「そろそろ帰りましょうか。私に聞きたい事はもう大体聞けたでしょう?」


 帰るという単語を起点に車内に流れていた重い空気が霧散していく。


 黙っている巧を了承と受け取った彼女は、プッシュスタートボタンを押す。エンジンがかかり、眠っていた車が目を覚ます。


 心の七割以上は満足してしまっている。


 イエローブースターについて大事な事は聞けた。もう充分じゃないか。


 誰かが頭の裏でそう言ってくる。


 でも、まだだ。一番大事な事を聞いていない。




「まだ、聞いてない事があります」




 それは大きな声ではなかったが、彼女の耳に問題なく届いた。


 一度、下げたサイドレバーを再び上げてこちらを見る


「他に何かあった? 別に無理して作らなくていいんだよ? 何なら家に帰ってから電話してくれても大丈夫だし」


 微笑みながら答える彼女。一種の怖さすら感じる優しいその物言いで巧は察してしまった。


 彼女は自分が聞きたい事を分かっている。


 にも関わらずやんわりと遠ざけようとする。その態度が見えない針となって、心の内側を突いてきた。


 だが巧は負けない。意を決して口を開く。


「どうやったら、新城さんを元に戻せますか?」


 巧の質問に彼女は、起こしたばかりのエンジンを再び切った。話をする意志を示してくれた事に感謝をしつつ、彼女の返答を待つ。


「新城を元に戻す方法はあるよ。でも、それには大きな犠牲を払う事になる」


「犠牲? 何です?」


 消してしまった人間一人を戻せる事に比べたら、どんな犠牲だって払う。巧にはその覚悟があった。彼の覚悟とは逆に彼女は言い辛そうに顔を歪める。


「どうしても?」


「はい、どうしても」


 彼女の確認に間髪入れず、すぐに答える。


 彼女は下を向き、息を吐く。下を向いた時点で、その犠牲の大きさを感じさせられる。


 しばらくして、彼女が問題の犠牲について話し出した。


「イエローブースターは奇跡を起こすおまじない。そして、一度起きた奇跡というのは否定する事が出来ない」


「はい……」


 巧がイエローブースターの特性について頷くと彼女が「だけど」っと言葉を続ける。


「これから先全ての未来を否定する事は、同時にそれまでの過去も否定する事になる。つまり、自分の人生には奇跡は最初からないとイエローブースターをかければいい」


 機械的に、何かのテキストを読むように彼女は前を向いて方法を口にした。


 未来を否定する。


 それが二人を元に戻す方法。彼女の説明を頭の中でよく咀嚼してから、巧は質問する。


「では犠牲は、これからの俺の人生に奇跡が起きないという事ですか?」


「具体的には、目に見える範囲の奇跡全て。更にこれまで巧君が使ったイエローブースターを含めた奇跡も否定されるから、現在と異なる環境へ移行される。もし、イエローブースターを使わなかったら? じゃなくて、奇跡がなかったらという世界になる」


 イエローブースターだけを否定するなんて都合の良い事は起こらない。


 確かに奇跡を否定するなら、イエローブースターに関わらず、根本から否定する事になる。


 それだけならまだ彼女は話すだろう。おそらくまだ、話さなかった理由がある。巧は彼女の説明を待った。


「人を二人消してしまった代償。そう考えると決して難しくはないかも知れない。だけどね、問題は奇跡を否定して困るのが君以外にもいるという事」


「奇跡が他人に影響している可能性があるからですか」


 巧の言葉に彼女は「ええ」っと大きく頷く。


「君の奇跡の恩恵を受けているのは、君だけじゃない。家族や友人、その他多くの人々。彼らとの繋がりに奇跡が関わっていた場合、それが消えてしまうんだ。勿論、比率は圧倒的に君の方が大きい。だとしてもどうなるか分からない。分からないから危険なんだ」


 奇跡を否定する事で他の誰かに不幸が訪れるかも知れない。それはこの世の中に生きて人と接している限り、充分にあり得る話だった。


 巧がそう考えていると、彼女は「それだけじゃない」っと更にを付け加える。


「巧君自身だって無事か分からない。これまで命の危機を目に見えていた奇跡で助かってしまっていたのなら、どうなるか。分かるよね? 否定した瞬間に巧君は死んでしまう」


「成る程」


「分かった? 決して簡単な話じゃないの」


「はい」


「帰ろうか。あまり遅くなるとご両親も心配される」


 彼女は無理に明るくした口調でそう言うと、車のエンジンをかけて、発進させた。ハンドルを握るその横顔からは、これ以上話す気はないのが窺えた。


 サービスエリアから高速道路に戻る。左右にあるオレンジ色の街灯が照らす道路は幻想的だった。それを視界に入れながら、先程の話について考える。


 二人を元に戻す方法。


 自分一人が犠牲となる事で済むのなら、すぐさま右手を振った。しかし、周りにも影響が出る可能性があると言われると、そうもいかない。


 初めてイエローブースターを使用してから今日に至るまで、思い出せる限りその場面を思い出していた。結果、思い出せたのは僅かな数。覚えていないだけで使った回数はその何倍もあるだろう。イエローブースターの痕跡を辿ったせいで頭は熱を帯び、思考速度が緩やかになっていく。


 速度が完全にゼロになる直前、巧の意識は深く沈んで行った——。

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