「第7章 クローバーとイエローブースターの関係性」 (3)

(3)


「私はもうイエローブースターを唱え終える直前だった。本当に数秒の差。やれって言われても絶対に無理。そんな差で君は自分の力で、四つ葉のクローバーを探し出した」


 満足気に彼女は当時の出来事を語る。


 彼女の話を聞いて、巧にも僅かだが当時の映像が浮かぶ。


 見つけられるのを待っていたかのように存在した四つ葉のクローバー。


「確かにそんな事があった気が……」


「あっ、やっと思い出してくれた?」


 彼女の顔がぱっと明るくなる。そんな期待を込められた瞳で見られると実にいたたまれなかった。思い出せたのはほんの少し、油断すれば霧散してしまうような微かな記憶でしかない。


「いや、思い出したと言っても、ほんの少しですから」


「じゃあ、四つ葉のクローバーを探してた理由は? それは流石に覚えてるでしょう?」


 流石に覚えていると前置きをされると、首を横に振るのが申し訳ないが、彼女にもう嘘はつけない。巧は静かに首を左右に振った。


「……すいません」


「え〜、覚えてないの? 探してる理由を聞いて私、感動したのになぁ」


「すいません。あっ、それだったら……」


 イエローブースターを使います。そう提案しようとしたが、声に出す前に察した彼女がそれを止める。


「大丈夫。わざわざ使わなくても私が説明するから」


「ありがとうございます」


 巧は彼女の制止に口から出かけた提案を引っ込める。


「よし、それでいい。さて、どこまで話したっけ?」


「イエローブースターを使う前に僕が四つ葉のクローバーを見つけたところまでです」


「あっ、そこからだ。じゃあ、それからどうしたのか、続きを話すね」


 そう言って彼女は物語の続きを再開した——。




 ずっと苦さと寂さを混ぜた顔しか見せなかった彼が、四つ葉のクローバーという念願の宝物を手にして、弾けるような笑顔を見せる。


 彼女は立ち上がり、少年に駆け寄った。手の中にあるクローバーは三つ葉が重なっていない紛れもない本物の四つ葉だった。


「見つかって、本当に良かった」


「ずっと手伝ってくれてありがとうございます。一人じゃ諦めてました」


 笑顔と照れが混ざった顔で彼がペコリと頭を下げて礼を言う。その仕草が可愛らしくつい、笑みが溢れた


「あー、見つかって良かった。それでさ。結局、何で四つ葉のクローバーを探していたの? いい加減、教えてくれてもいいじゃない」


 答えてくれなかった疑問を再度ぶつける。


 彼は困ったように口をへの字に曲げる。これ程手伝ってくれたのに言わないのはどうだろうかという感情とそれでも話したくないという感情がせめぎ合っているのが、手に取るように分かった。


 彼女はじっと待つ。急かさず待っていたら、最後にはちゃんと話してくれる。不思議だが確信があった。


 その確信の通り、彼は小さく息を吐いてから、決心した目を向けた。




「ココにもちゃんとあるんだって安心したかったんです」




 頬を赤くして隠していた理由を話す彼。その様子に彼女は口を開けて、呆気に取られてしまった。想像していたどの理由とも違っていたからだ。


 安心したかった?


 普通、四つ葉のクローバーを探す理由なんて、幸運を願うだとか。誰かに自慢したいとかその辺りが主流で今回もその例に漏れないと考えていた。もしかしたらクラスにいる好きな子に見せてあげる可能性も予想していた。


 自分がいかに矮小か、目の前の少年に教えられる。


 そう考えて思わず黙ってしまった彼女に彼が不安そうな顔をした。


「ああ、ごめんね。少し驚いちゃったの。そっか、そういう理由で探してたんだ。ココにもって事は前にもどこかで見つけたの?」


「はい。僕一ヶ月前に今の小学校に転校して来ました。でも、まだクラスにあまり馴染めなくて、クラスの皆は一年生からずっといるから……」


 スタートからおらず、既に完成されている空気に自分という異物が混ざる辛さ。自分にも経験がある。大人である今でも辛い。


 彼はまだ小学生。辛いのは当たり前だ。


 風が強くなってきたので二人はベンチへと向かい、腰を下ろした。


 四つ葉のクローバーが風に飛ばされないよう、両手で大事に包み込み彼は話を続けた。


「いじめられたりとかはありません。今のクラスは明るいクラスです。でも、やっぱり周りがあだ名で呼び合ってるのに自分だけが苗字に君付けだと……」


「寂しいんだね、無理もない。今、何年生?」


「三年生です」


 という事は九歳か。


 彼の学年を聞いて年齢を計算する。九歳、まだ人生は始まって間もない。何者にだってなれるし、どうとにでもなってしまう。


 勿論、当事者である彼にそんな事を言っても無意味だ。


 そもそも彼はこうして一日一日をちゃんと生きている。たった数時間しか交流がない自分にもそれは伝わってくる。


 だからこそ、彼女は失礼がないよう、慎重に言葉を選ぶ。


「小学校はまだ後三年あるんだから。まだ前半が終わっただけ。今日の事で君が良い子なのは、充分分かった。きっと君ならこれからの三年間で沢山友達が出来るから。大丈夫」


「本当ですか? 卒業するまでに友達が沢山出来ますか?」


 彼は二つの瞳を震わせてこちらを真っ直ぐに見ている。不安な気持ちはストレートに伝わって目を逸らせない。


 不安を取り除いてあげるにはどうしたいいのか。


「今の学校にまだ友達って言える人がいないんです。隣の人は話してくれるます。だけど、やっぱり自分がクラスの一員とは思えなくて」


「それで前に住んでいた場所にも生えていた四つ葉のクローバーを?」


 彼女の問いに彼は弱々しく頷く。


「はい。ココでも一生懸命探したらあるのかなって思って。公園に入ったらクローバーが沢山生えてたから」


「見つかって本当に良かったね」


「……」


 彼の返事が聞こえなかった。代わりにポタポタと透明な涙が溢れ落ちていく。涙は、四つ葉のクローバーを包んでいる両手に当たり空中で霧散する。


「寂しいんだ?」


「……」


 この問いにも返事はない。涙だけがずっと流れ落ちている。


 まだ九歳で広大な人生を歩き始めたばかり。


 小さな体が届く範囲の世界で悩み、両目から涙を流している。


 助けたい。


 横で鼻を啜りながら涙を流す彼を見て、心からそう思った。


 以前住んでいた場所の痕跡を一人、公園で一生懸命に探す彼を助けたい。


 その感情は大きくなり、あっと言う間に彼女の心を占拠する。


 それでもほんの微かな時間、彼女は悩んだ。助けても構わないかと。


 この先、もっと大変な事はいくらでもある。そんな彼の人生を不用意に外から助ける事で知らなくていい苦痛を受けさせるのではないか。


 強い横風が頬を撫でる。


 彼の小さな手の中に四つ葉のクローバーはちゃんとあるだろうか。


 もしかしたら、今の強風でどこかに飛ばされていないか。手はしっかり閉じられているのに、ついそんな妄想をしてしまう。


 容赦のない横風から懸命に四つ葉のクローバーを守る彼。


 その姿が痛々しく、彼女は自分の髪を掻き乱す風を手で抑える事なく、目の前の彼を見つめていた。


 迷う必要なんてない。もし、この先彼が苦痛を受ける事になったらその時は今日のように手伝えばいい。


「よしっ!」っと大きめの声を出す。思いの外響いた声は、彼は勿論、遊具にも届いた。突然の大声に彼は目を丸くしている。


 驚かせてしまって申し訳ないと思いつつ、でもお陰で彼の涙が止まった事にも安堵して彼女は口を開く。


「これから話す事は、絶対に誰にも話しちゃダメだよ」


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