「第3章 フィルター越しの世界が壊れる時」 (3)

(3)


【今朝は、私のせいでごめんなさい】


 その夜のメールは、沙代の謝罪から始まった。


【大丈夫、何とも思ってないから。気にしないで】


 巧は素直にその気持ちを書く。確かに最初こそ、クラスに違和感が滞留していたが二時間目が始まる頃には、自然に霧散した。当然だが周囲から何も聞かれない。悠木とも今日、何度か会話をしたがその話は出なかった。


 もう終わった事。記憶は次第に薄れていき、明日になれば人々の記憶からも完全に消滅するだろう。それなのに沙代はこうして謝罪をしてきた。


 沙代も早く忘れてくれたらいいのに。……いや、まさか。


 巧の中に一つの嫌な可能性が生まれた。


 慎重に言葉を選び、それを尋ねる。


【新城さんは誰かに何か言われたの?】


 学校生活の充実度に天と地程の差がある巧と沙代。教室内でもいつも誰かと一緒にいる彼女は、自分よりも遥かに何かを言われた可能性は高い。


 巧はその可能性を質問に代えてメールを送った。


 いつもは、すぐ返信が来る沙代が珍しく遅い。


 無言の時間が続けば続くだけ答えに近付いてしまう。


 巧は迷わず沙代に電話をかけた。数コールして、沙代が電話に出る。


『……はい、もしもし』


 普段の澄んだ感じがとても小さく、今にも消えてしまいそうだった。


 その声を聞いて、瞬時に巧は答えを出す。


『誰に何を言われたかまで、話さなくていい。ゴメン。俺がもっと上手くやれば良かった』


『香月君が謝る事、ないよ……』


 こちらの謝罪を否定する沙代。構わず巧は言葉を続ける。


『いや、俺一人ならどうなってもいいけど、新城さんに迷惑がかかるのは絶対にダメだ。そんなの何より俺自身が許せない』


 強い口調でそう断言する巧に電話の向こうから細く息を吸う声が聞こえた。彼女の驚いている表情が目に浮かぶ。


『そっか。そんなに香月君が言ってくれるなら、しょうがないのかな』


『ああ。しょうがないんだ』


 沙代が申し訳ないと感じさせない為にも絶対に巧は気持ちを曲げない。


『分かった。もうこの話はお終い。ところで今日の三時間目の数学でさ——』


 沙代が話題を変える。多少強引ではあるが、今の流れが続くより全然良かったので、そのまま彼女の話に耳を傾けた。


 何回か当たり障りのない話が往復されて、笑い声も一緒に行き来する。


 そんな時間が一時間近く続き、次第に話が低速になっていく。


今日もそろそろ終わりだな。巧がそんな事を考え始めたその時、急にそれまでの流れを止めて沙代が小声で『やっぱり私、嫌だな』っと呟いた。


『嫌って何が?』


『今日の電話で最初に話した事が』


 簡潔に答える沙代。その言い方は彼女が怒っているように感じる。巧が知る限り、沙代が怒っているところなんて見た事がない。


 それは普段の教室でもそうだ。おそらくその空気になるのを意図的に避けているのだろう。たとえ自身の中に消化不良の何かが残っていても、口に出さずに時間をかけて消化しているに違いない。


 まだ付き合いの浅い巧でも分かる沙代のスタイル。


 相手が少しでも不快に感じた事があったならば、自らすぐに謝罪をする。先に自分から謝る事で場の空気を整えようとする。


 それが今、崩れようとしていた。


『どこが嫌なの?』


 切るコードを間違えたら爆発してしまう時限爆弾を解体する。


 そんなイメージが巧の頭に浮かんだ。


『だって、香月君は何も悪くない』


『それを言うなら、俺は新城さんが悪いとは思っていない』


 また空気が少しずつ重くなっていく。


 どちらかが折れないと交差する事のない平行線。巧は自分が折れない限り沙代が引かないと分かっていた。


 だが、それはこちらも同じ。


 決して曲がる気はない。


 では、一体どうしたらいいのか。


 互いに相手を納得させる何かを探す沈黙が続く。


 答えは初めからないと思っていたら見つからない。見逃しているだけで、どこかに隠れていると思い探し続ければ、意外な場所から顔を出してくれる。


 巧の十七年の人生で得た一つの公式だった。


 沈黙だけが二人の代わりに存在を主張している。通話料は無言であろうと発生するのでこの時間は、本来勿体ない。だからと言って、電話を切ってしまったら、それ以上の大事なものまで一緒に切れてしまう。


 よって、巧は決して電話を切ろうとしなかった。


『あの、さ』


 沈黙を先に破ったのは、沙代。


『どうしたの?』


 未だ答えが見つからない巧は、先に向こうが見つけてしまったかと内心焦りながら返事をする。沙代は一拍置いてから声を出した。


『二人共、自分が悪いって思っているんだよね?』


『ああ、そうなる』


『だったらさ、もうそれでいいんじゃないかな。二人共、互いに自分の方が悪い。ならそれを合体させて——』


 そう沙代が説明し始めた時、巧は割り込んだ。


『言っている意味が分からない。前提として自分だけが悪いって思ってるんだから、相手にも悪いって思わせるのは、成立しないだろう?』


 本末転倒。沙代はどうしてそんな無意味な事を言い出したのだろうか。答えを探す事に疲れて自暴自棄になってしまったのか。様々な可能性が浮かんでは消えていった。


『えっとね、そうじゃなくて二人が合わさって初めて悪いが出来る。それならどう? 一人では決して悪くはない。だけど、合わさる事で悪くなる。それなら、最終的に自分が悪いって事からは外れないでしょ?』


『……ああ、うん』


 彼女本人もまだ所々曖昧で固まっていない様子だが、話しながら形にしている。沙代の説明の仕方にそんな印象を持った。固まらない状態でも話してくれた事に感謝しつつ、巧は彼女が話した説明について考える。


 自分単体では悪くない。合わさる事で悪くなる。


 そしてそれは、悪い自分とで発生している為、原因は自分であると結論付けられる。


『どうかな? 変な事を言ってる自覚はあるんだけど』


『いや、変じゃない。凄いよ。新城さん』


 沙代の見つけた答えは強引さは消せないが、一応は納得出来る。


『香月君に褒められると嬉しい。ありがとうっ!』


 巧の賞賛を大げさに喜んだ沙代は喜んで「じゃあ」っと話を続けた。


『二人共悪くないんだったら、合わさり方さえ変えれば、また出来るよね』


『はっ?』


 予期せぬ提案に巧は呆気に取られてしまう。そんな彼に、沙代は話すのを止めない。


『二人とも悪くないんだったら、また学校で話そう? もちろん、今朝みたいにいきなり教室に一緒に行くのは難しいと思う。だからまずは、すれ違い様に廊下で話すところから始めようよ』


『それは……』


 巧は口ごもってすぐには答えられない。沙代の考えは尊重したいが、様々な要因で難しいのではないか。


 少なくとも今朝のような視線の集中がまた起こる。それは、自分はもとより沙代に迷惑がかかってしまう。廊下で話すようになった程度では変わらない。自分と彼女ではそもそもにおいて立場が違うのだ。


 巧が互いの立場の違いを考えていると、沙代はこちらが怒っていると勘違いしたらしく、おそるおそる尋ねる。


『……やっぱり、嫌?』


『別に嫌じゃない。だけど、新城さんに迷惑がかかるって考えると、難しいと思う』


お互いの立場を考慮した発言をする巧に沙代は小さく笑った。


『そんな事。香月君が心配するような事じゃない。あっ、心配してくれるのは嬉しいんだよ? だけど提案したのは私だから。その辺りの事もちゃんと考えてる』


 そこまで言われたらもう断る理由がない。


『分かった。少しずつでいいなら、明日から学校でも話していこう』


『良かったぁ、ありがとう香月君。ワガママ言ってごめんね』


 巧の了解に安堵の声を出して、沙代は礼を言う。


 この後に別の話をする体力はもう二人に残っておらず、この日の電話はそこで終わった。




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